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緑の世界のその後


お久し振りです。


前回から数年、なかなか上手く距離が測れず嫌厭していた緑の手の持ち主との対話手段を今年に入ったあたりにようやく『SMSのみで!』と決定してから、どうにかいくらかまともな会話ができるようになってきて半年以上。
久々に自分の記事を読んで、ふと「あの人は今も緑の中にいるのだろうか」と思い。

私にしては珍しく大胆にこちらから問うてみた。


「そちらではまた花を育てていますか」
と。

────以下、私と緑の手の持ち主とのやりとりである。



*  *  *



───そちらではまた花を育てていますか

裏に畑があって花を沢山植えて楽しんでいます

───よかった
   私はあなたが花や畑の世話をしているところを見るのが大好きでした
   最後の家には庭がなかったでしょう?
   だんだん萎れていくのが分かっていたけれど私では何もできなくて

   最初の家での緑の世界は私にとって永遠の故郷です
   もちろん2つ目の家のあの箱庭も

思い出沢山ありますよね、あそこで育ったものね

───知っていますか
   あなたのように植物をとても上手に育てられる人のことを緑の手を持つ人というんですよ


───頻繁でなくていいので、少しだけ今そちらで咲いている様子を見たいですね



*  *  *



こうやりとりをした。
私にとってあの人の周りに緑のない生活などあり得ない。
もし生まれ故郷に引っ越した先の家に庭がなくてもせめてプランターや鉢植えを玄関周りにたくさん置いてはいないだろうかと、そういうつもりでの問いだった。

けれど、どうやら今住んでいる家には庭畑があるという。
………花を、たくさん育てているという。

あの人の彩る緑を心の故郷にしたままどこにも根を下ろせず彷徨い続ける私にとって、それは何よりも抗いがたい誘惑で。
見てみたいと、そう、欲を零してしまっていた。

緑の手を持つあの人の創り出す緑の空間は、私にとって本当に楽園のような世界で、心の拠り所だったから。


念願のひとり暮らしになってすぐの頃、私も部屋周りに緑がないことが落ち着かずに何度か花々を購入したり持ち帰ったりしていた時期がある。
けれど私はあの人と違い緑の手を持っておらず、それどころかどんな植物も手入れが追いつかず終いには可哀想に無惨に枯らしてしまってばかりで。
自分であの世界を追い求めるのは諦めた。
その代わり、気付けば長い付き合いになっていたフットワークの軽い知人や友人たちに「花を見にいくときはその花の写真を撮って送ってくれ」と頼み──そうして送ってくれる数々の四季折々の植物たちを吟味しては、それぞれの開花時期や紅葉の時季に合わせてパソコンのデスクトップ背景に設定することで心を慰めていた。

ひとり暮らしになったのもあの人と離れて長期自宅療養をするためのものだが、前回からの時を経るごとに私の病状は悪化の一途を辿っている。
あれから4年が経った現在私は自力で数分間も立っていられなくなり近所を出歩くこともままならず外出時は車椅子での生活をしている。
頻度は少ないが訪問看護さんたちや訪問介護さんたちの手を借りながら日々を過ごす毎日だ。
だから緑を直接この目に映せるのは最寄りのコンビニへと車椅子を押してくれる間の道のり、その1往復のときだけである。
ご近所さんの家々で、庭だったり玄関先だったりにそれぞれ見事に咲き誇り枝を広げ剪定され手入れの行き届いている素晴らしく麗しい木々や花々を目にすると、ああ、とようやく楽に息ができるような気分になる。

手間をかけさせたくないので訪問看護さんにも訪問介護さんにもこのことは今のところ話していない。
あくまで私1個人のわがままに過ぎないから。
外出のついでに流れていく景色を密かに目で見て楽しむのみに留め、こちらから近付いて触れるようなことはしない。
ただ心の中で、いいなあ、と。
素敵だな、綺麗だなあと思うだけにしている。

そんな状態なので年がら年中植物不足に陥っていた私は、無意識にぽろっと「見てみたい」と送信してしまっていた。


その、翌日。


緑の手の持ち主から返信があった。

どうやら昔私たちが紅葉の樹を贈ったことを憶えてくれていたらしい。
あのときは嬉しかったと言ってくれた。
紅葉の花も咲いていたよと教えてくれた。


そうして、私の知らない花々の画像を送ってくれた。


それは、どう見ても『ほんの少し』とは間違っても言えないほど手の込んだ庭のもので。
画像には色とりどりの花々が咲き緑が生い茂っていた。
画像の下にこう付け加えてあった。

*  *  *

裏に庭畑があって花を沢山植えて楽しんでいます。
ほんの一部です。

紫水に見せたいです。

*  *  *

このときの嬉し涙を、私はきっと一生忘れることはないだろう。

だって、あの人がまた美しい緑の世界にいる。
好きなように新たな楽園を作り上げているという。
最後の家で疲弊していったそれが私の中の緑の手の持ち主の最後の姿だ。
そのさまが本当に見ていられなくてつらかった。
けれど、なんの力もない私にはそれをどうにもできなくて。
口惜しかったのだ、悲しかったのだ。
誰よりも笑ってほしかった、あの人だから。

いつも緑を彩ってきたその人が今も緑の手を存分に発揮できていることが、嬉しい。

画像に映る花はなんという名なのか聴いた。
蘭の種類の花と芍薬だそうだ。
私はその画像と返答で芍薬がどういう姿なのかを知った。

あの頃もそうだった。
種や球根や苗を植えるのを手伝う度、新しく花が咲く度に、
「これなんてお花なの?」
と首を傾げると必ず答えが返ってきた。
その返答で私はたくさんの、木々花々緑の名を知って覚えていったのだ。

それから、どうやらその人にとっても強く心に残っていたようで、紫陽花に至っては4種類ほど育てているらしい。
真っ白なものと、花開く萼が外周のみのものと、花と萼の形が小さくフリルを描いたようなものの画像をくれた。
嬉しくて仕方がない。

他にもピンクと白のアマリリス、黄菖蒲、虫取り撫子だと教えてくれた。
ピンクと紫と、白の3色のものだ。
曰く、白の虫取り撫子は珍しいらしい。
他にも四季折々の花をたくさん育てているという。

聴くに、すぐ近所に同年代の女性が3人ほどいて花のことで話したり花をもらったり渡したりしているらしい。
花はいいね、と笑っていた。


私は今、嬉しくてならない。
涙がどんどん零れ落ちていく。


ねえ、緑の手を持つあなた。
今、育ててて楽しい?
充実してる?

ずっとずっと昔から、笑ってほしいと願ってた。
誰よりも幸せになってほしかった。
そんなあなたが、こうして。
またあの黒い鉄の花鋏を手に、緑を彩って楽しそうにしていることが



─────ほんとうに、うれしい。

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