挑戦するなら今でしょ!今なのか。うん多分そう。

娘が補助輪付きの自転車で練習を始めた。
補助輪が付いているからすんなりと漕げるかな?と甘く考えていたが、ペダルが重たいようで少し押してやらないと全然前に進まない。その上ほんの少しの坂や砂利道でも怖がって降りようとするので、これはなかなか長期戦かなぁと覚悟している。

さも当たり前のように娘に自転車の漕ぎ方を指導する私だが、実は私も恐らく自転車に乗れない。

恐らく、と言うのは私が最後に自転車に乗ったのはいつか覚えていないからだ。その上、記補助輪なしで自転車に乗った記憶がなく、一向に上手くならないので父が匙を投げて練習を止めてそのままな気さえする。
薄ぼんやりとした記憶なのだけど、小学生では自転車に乗れないことが恥ずかしく、隠していたような。
そして中学からは電車通学だったため、友達と自転車で集まる可能性はなくなり、自転車のことは気にも留めなくなり、そしてここからは割とはっきり思い出したが、大人になってからは自転車に乗れないことを一種のネタとして堂々と話していた。

芋づる的に記憶をたぐり寄せると、やっぱり私は自転車乗れない、という線が濃厚である。

これもまた驚きだが、私は記憶を書き換えて自転車を遠い昔には乗っていた、ということにしていた。
そして私も自転車を買って隣町まで行こうかな、と思いつき、さも当たり前のようにホームセンターに見に行ったのだった。

しかしそこで気がついた。
乗れる気がしない。
大きすぎやしないか?ジュニアと書いてあるやつでさえもギリギリ爪先が着くくらいで怖すぎる。
いや、無理無理無理。
この体の奥底から湧き上がってくる不安はなんなんだ?

帰り道、考える。
そして上記の記憶に辿り着いたというわけ。
うわぁ、記憶の書き換えこっわ!

しかしまた、考えている。
今こそ、チャレンジする時ではないか、と。
齢36歳、今年の目標、自転車に乗れるようになる。
あわよくば車の免許も取る。(こちらももっと早くに取っておくべきだったと後悔している)

最近の私は、挑戦することを忘れた大人になっていた。
今こそ自らのやる気を奮い立たせ、立ち上がるのだ!ととりあえず車輪の小さな折り畳みの自転車を探している。(大きいのはやっぱり怖い)

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