日常の思い出が大切だと気づくとき
スウェーデンのお正月は、全くもって寂しい。
お正月というか、大晦日の方が重要?で、パーティーをして、花火を打ち上げて盛り上がるものらしい。
二日酔いで疲れている元旦は、ピザを買って食べる(二日酔いなのにピザ食べられるの?)というのがどうやらあるあるのようだ。
我が家はパーティーはしないが、お正月も頑張らない。前は少し頑張って色々作ろうとしたこともあったが、いかんせん材料が全然揃わないし、作ったところで食べる人はほぼ私なのでもういいや、となった。
今年は餅を買っておいたので、元旦にはお雑煮と、前日仕込んでおいたローストビーフで新年を祝う。
日本にいた頃はお雑煮の餅はそんなに好きではなかったのに、久しぶりだからか調子に乗って三つも食べたら胃がもたれて気持ち悪くなった。
脂っこくないのに、、生肉も消化が大変だからだろうか。悲しい。
とはいえ次の日には回復して、懲りずにローストビーフ丼にして食べた。こっちの人からすればローストビーフに米の組み合わせはギョッとするだろうが、日本人はどんなものでも米と組み合わせて美味しくする天才なのだ。
そして多めに炊いた米の残りは、朝ごはんに混ぜ込みおにぎりにして食べた。年末に日本の米をたくさん買っておいたので、躊躇わずに米を炊ける嬉しさよ。
いつもは娘が好きなしそふりかけを使うことが多いが、ふと野菜不足だしなぁと思い起こし、青菜のふりかけを使うことにした。
しゃもじで混ぜながら、母もこうしていつも作ってくれていたんだよな、などと考える。
母は料理好きで、お弁当も彩りや栄養を考えていつも作ってくれていた。
お弁当のおにぎりが白いことはほぼなく、子どもの頃に絵本のような真っ白な三角おにぎりに海苔、というのに憧れて、そういうのを作って欲しいと頼んだことがあった。
小学生の頃には、海苔が一緒に巻かれた卵焼きを見たクラスメイトに、〇〇ちゃんの卵焼き、カビが生えてる!などと言われてショックを受け、なんで普通の卵焼きにしてくれないの!と言ったこともある。
覚えていることが不思議なくらい、子どもの頃の小さなエピソードだけど、覚えているのはきっと意味がある。
このような日常の小さな出来事が私の血となり肉となり、今に繋がっているのだと感じさせてくれるから。
日常が一瞬にして壊されることについて、去年もたくさん考えたが、またしても元旦から思い知らされることになった。
愛おしい日常。一刻も早く多くの人の日常が戻りますよう、お祈り致します。
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