狂気と演技の話

現在48歳、言語性120の運動苦手(動作性100)、発達障害当事者(ASD>>ADHD)二次障害の「双極性障害」が酷い。大腸がんサバイバ(切除済、再発なしだが後遺症で普段は寝たきり)。現・在宅ワーカー。元SE。

簡単な自己紹介

はじめに

双極性障害で、先日まで躁状態だったんで、しばらく止まってた賭博依存が再発。1ヶ月で半年分の貯蓄を浪費。

躁状態があまり酷く、このままだとお金と健康が破滅なので、主治医の「デパケン飲みなよ」に「素直に従い」(躁が酷いと医師に従えないから、従ったってことはまだ「まとも」である)数日間、デパケン服用。結果、鬱っぽくなってきた。(躁が終わると反対にダウナーに入る)

鬱気味だと、あんなに興味あった賭博も女にも興味が持てない。漫画よんで感涙してた「感情がキラキラする独特の感じ」も薄れる。ミュージシャンの一部が違法ドラッグとかする気持ちが少し分かった気がする。

今回、鬱寄りの状態で退屈なので、記事を書くことで紛らわしたり、少しハイに持っていけるといいと思って自分のために書いている。それゆえ支離滅裂気味だ。

創作者と双極性

少し前の記事で、コピバンのライブが楽しかった。ということを書いた。また、ライブを見てくださった方々や、近年、自分で少し「自己受容できた」という発見があり、それも絡めたことを書いてみたい。書きながら漫然と言語化するので、毎度読みづらいがご容赦ねがいたい。

私は、発達障害や双極持ちの自分が嫌いで、自己受容ができていない。振り返ると若い頃から傾向があったが、特にメンタル通院で向精神薬を使うようになり、躁鬱の「振幅」が酷くなった気がする。年々「こじれて」いる感じだ。

躁状態は鬱に比べ、気持ちが「外向き」になるため、本人は気が大きくなったり感動したり、誤解を恐れずいえば「楽しい」。それで私は一ヶ月、放置してきた。常にハイだからだ。ただ、他害性があって、私はなるべく自制したものの、ハタ迷惑な病気であり、人によっては犯罪にもなりかねない。

そんなわけで病気を受容するのは難しいが、先日のライブで少し気づいたことがある。というのは、「ロック」なんてことをする人間は「少々イカれていないと」面白くない、ということだ。これは自分が憧れたプロ達を見てもそうだし、けっこう奇人変人(だがとても良い方)な友人の評価からもそう確信した。

今回のバンドは、コピバンで「ギタリスト」として、サポートメンバー的に参加しているんだが、私の「本職」はヴォーカリストだ。過去にプロ目指し留学までした「なりそこない」だ。

音楽に限らず、およそ「創作」というものは(ジャンルにもよるが)多少、狂っていなければ面白いものができないのではないか。と思うようになった。文豪なども、SNSの発展でいろんな「人物像」を知ると、双極持ちらしき方や、借金だらけ、周りに迷惑かけたが、作品は後に評価された、という人もわりと居る。

上の「変人」な友人など、ご自身の変人さを受容されており、自らの独自性を誇ってさえいるのだが、私はこれまであまりそうでもなかった。

が、20数年ぶりにステージに立って、手前味噌だがかなりの好評を頂いて、改めて「変人の類いでよかったのかもな」と思う部分があった。学生時代の同級生らも、今は家庭を持ったりしながら音楽を楽しんでいるのだが、なかなか私のような「華のある」者は珍しいのかもしれない。(有難いことに、彼らも私の持つそれを認めてくれている)

私はどの分野においても「技術力」が高いほうではない。あまり身体操作が得意なタイプでないため(知能検査から身体知能は低め)楽器も歌唱も「もともと運動能力のある人ほど、どう頑張っても伸びない」からだ。だが、それ以外の部分で他にない「才能」があるらしく、言ってみれば非凡な部分があるらしい。

自分でいうな、という話だが、自慢でなく「躁だからこそ」ということをお伝えしたいのでご容赦ください。つまり、普通の方だと、かりに技術力があれば、聴かせることはできる。けれど、ライブ演奏というのは「プラスアルファの要素」が必要で、「魅せる」という部分は素質(ロックでいえば狂気)も関係してくる。

別の業界で例えるなら「絵がヘタウマで、あまり上手でなくてもアクが強い」とか「話が奇抜すぎて、画力がそこまで(プロとしては)上手でないけど面白さゆえに人気がある」という漫画。「この人にしかできない」という話をしているつもりだ。

芸事にはある程度、狂気があったほうがいいのかな

そんなわけで、私は決して、アーティストとして大成できる技量もルックスも、そういった飛び抜けた要素も無かった。けれど、現役を離れ、何十年ぶりにステージに立った結果「アマチュアにしては魅せるステージ」をできる自分を再確認した。

そして、その「華となる何か」は、もっぱら自分が持つ「狂気の一端」であると気づいた。今回はギターを持ってたのでかなり苦心したが、シンガーの場合、身ひとつで、声だけでなく全身使って表現するので「その瞬間は歌世界に没頭できる」一種の狂気めいたもの。そういうのは誰にもできることでないらしい。と思った。

結果、双極という、「一般からしたら奇異な状態」があることは有利な部分かもしれない。と思い、「しんどいけれど、創作者として必要なものかもな」と、受容できるに至った。まあ「ポジティブに捉えて諦めて受け容れる」とも言える。

ちょっと、これ以降、先日書いたのと重複する別の話題をつらつら書いてしまったが、中身がかぶりすぎたので、書いてから削除しました。(泡姫の迫真の演技力について)

また、本稿も、前に書いたことと重複しているんだけど

「鬱状態の自分が、書くことで気分を上向きにするリハビリ」という目的だったので、このあたりで切ってそのまま発表させて頂きます。ちょっとブツ切り感があるけど、ご容赦ください。

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