『機能不全家族で育つとどうなる?』~我が家のケース~ #3 次女はぴこ編②

皆さんこんにちは。はぴこです。
私は機能不全家族で育ちました。
今回も私はぴこが幼少期に嫌だったこと傷付いたことなどを
挙げていくシリーズのその②をお送りします。
前回をまだ御覧頂いてない方は『#2次女はぴこ編①』をぜひ先に御覧下さい。
※文章を読んで少しでもお辛くなる場合は、その時点でご閲覧を中止して頂くようお願い致します。

家族紹介


それでは前回の続き⑥~参ります。

はぴこ⑥

⑥子供をパチンコ屋に連れていき、自分が遊んでいる間、子供を一人放置する
 幼稚園~小学校低学年ごろだったと思いますが、私を家に一人でいさせないために母はよくパチンコ屋に私を一緒に連れていきました。
そこはボーリング場、ゲームセンターが併設されている施設だったので
1000円をもらい一人、時間をつぶしていました。
時折母のもとにいくと、私を隣の台に座らせて副流煙の中
パチンコを打たせるという、今考えればかなりぶっ飛んでいる状況もありました。

当時そのゲームセンターはちょっと悪い子が集まっていたので
子供が知るべきでないような卑猥な情報などが嫌でも耳に入りました。幼稚園生からそういった変な知識を持っていました。
またその際に性的なイタズラを受けましたが、誰にも言えず黙っていました。今ではもう大丈夫ですが、20代くらいまでは自分に対して「キモチワルイ」という感覚は抜けませんでした。

はぴこ⑦

⑦母が泥酔して泣いて暴言を吐く
 母は若い頃の父が行ったひどい仕打ちや、父が仕事のみに力を入れて
夫・父親としての役割が十分できていないこと、自分自身の生活にやりがいがないことに対して怒り・悲しみ・寂しさを抱えていました。
感情豊かな性格であるため、人より感じ方は強かったと思います。

しかし母は父に正面から文句・不満を言えません。
遠回しに嫌味っぽく言うことはありました。
すると父が「嫌味を言うな!」と怒るためそこで話はすぐ終わります。
そうして父への怒り・寂しさ・不満が解消されぬまま、心に溜まっていき、
いつしかお酒の力を借りてぶつけていくようになったのです。

母は夜になると毎日のように飲みに出歩くようになりました。
スナックなどをはしごして夜中酔って帰ってきます。
日中、父に言えない不満を、「馬鹿野郎!」などと泣いて怒鳴って叫んでいました。
父は母が何か不満に思っていることは感じていたでしょうが、「酒癖が悪くて困った女だ!」と怒っていました。母が不満をぶつけたくて暴れていると理解できないのか、ただわからないふりをしていただけなのかは未だにわかりません。

始めの頃は父も「うるさい!」と物を壊したり、殴り合いの喧嘩をしていましたがそのうち、母が帰宅した時点で逃げるように会社に行ってしまったり
叫んでいる母を無視して、ただ眠るようになりました。
私が幼少期から成人して家を出るまで、このイベント?はずっと続きました。

幼少期はただただ母への恐怖と怒りでいっぱいでしたが大きくなってくると
母が日中言えない不満をぶつけていることが理解できてきます。
酔ってしか不満を言えない母にも怒りがわきますが、それを父が完全に無視している状況に対して、
「面倒なことは解決しようともせず、ただ目をつむる人なんだ」
という軽蔑の気持ちと
おそらく子供に対しても同様で、
「良い子でいなければ無視されるんだ」
と理解していました。

はぴこ⑧

⑧母に反論すると「私が悪いって言うの!?」と泣き崩れて受け入れてもらえない
 滅多に母を責めたり怒ったりしない私が我慢の限界で母に反論したことがありました。
すると
「お母さんが悪いって言うの?!」
と泣いてしまい
その夜お酒をたくさん飲んでまた暴れて叫んでいました。
母は子供たちの気持ちを受け止めるというより、子供にそういうことを言われた母自身が可哀想だという態度でした。
「ああだめだ。この人に何を言っても伝わらない、受け入れられることはない」
と悟りました。

母は謝ることはしませんし、基本的に「悪いのは周囲の人間だ」という考えです。「自分は大変な目に合ったりみんなのために色々我慢をして可哀想な人だから、周りが自分に優しくしたり尊重するのは当然なんだ!」という考えをベースに、自分の意思を押し通します。
2者間で一方だけの意思を押し通せるのは、上下関係がある場合だと思いますが、他人はそれでも逃げることができます。しかし子供にとって親は『無償の愛』の対象ですし『絶対』の存在なので、子供は親の願いを叶えようとします。
母は弱く狡猾です。自分に非があるという考え方をすると心が壊れてしまうのだと思います。
こうした弱くて狡猾な人間にとって、『我が子』はスケープゴートとして、もってこいな存在なのでしょう。子供はスケープゴートにされているとも気付かず傷付きながら一生懸命その役割を果たそうとするのです。

はぴこ⑨

⑨母が知らない男性と親密にしている。その男性から叱られる
 母はパチンコをしたり、スナックに飲みに出歩くようになってから
見知らぬ男性と交遊するようになります。
母は完全に『女』になっており、隠されてもいなかったので、子供の目から見ても明らかに男女関係であることが見えます。
そしてその男性から、「お母さんを困らせるんじゃない!」と叱られ、
ただでさえ二人の関係が気持ち悪いのに、何も事情を知らない男性に叱られました。言葉は汚いですが、ものすごく胸糞が悪いものです。

こうした状況を見ても、それでも母のことを嫌いにはなれませんでした。
刷り込みのヒナのごとく子供はどんな親でも結局愛しているのです。

はぴこ⑩

⑩父は見て見ぬふり
 母が男性に連れられて酔って帰ってきても、結局父は苦言を言っただけで母と向き合うことはしませんでした。
父は家族間で何が問題があっても、見て見ぬふりをして何もアプローチはしません。
家族に不満を持っても、本人ではない相手に愚痴をこぼすだけなので、
言ってみれば不毛なただの悪口でしかありません。
こうして母の行動はエスカレートしていきました。

はぴこ⑪

⑪母が帰ってこなくなり家事が疎かになる
 飲みに出たきり母が帰ってこない日が続きました。
父は家事をしたことがないため、食事は惣菜やファーストフードを購入したり、少しずつ父と姉で簡単な味噌汁・納豆・卵焼きなど作るようになりました。
最初はゴミ捨てもわからなかったため、真夏日にゴミをためて虫が湧いてしまったこともありました。
皮肉ですがこれがきっかけで父が家事を手伝うようになったのは
良かったと思います。

はぴこ⑫

⑫親戚に子供を引き取ってもらおうとする
 母が帰ってこなくなった当時、姉は小学校高学年、私は幼稚園生でした。
姉はある程度自分で身の回りのことができても、私はさすがにむずかしく
ほぼ仕事で家を空けている父は私の面倒を見ることが難しいと感じたのだと思います。
父の実家は疎遠なので、九州にある母の親戚に幼い私を預けようとしました。東京から九州に私を連れていきましたが、親戚はあえて私を引き取らずに追い返したようです。
当時はなぜ九州に連れられているかはわかりませんでしたが
後に親戚から事実を教えられて、ショックだったことを覚えています。
引き取り先が見つからず、やむを得ず自宅で育てざるをえなかったという状況であるものの、極度の人見知りである私は、別のお家でもなじめず「暗くて変な子」と思われてしまう可能性があったため、まだ良かったのかもしれません。

はぴこ⑬

⑬成人後、貢献感を求めてあえてブラックな職場で働いてしまう
 親戚に引き取られなかった私は、関係がずっと停滞した家族の中で、
成人して自立するまで過ごすことになります。
父親、母親から求められる子供像を頑張り、条件付きの愛情とコミュニケーション不足の中で、自分自身をそのまま受け止めてもらう経験がないことから、自己肯定感は極端に低くなり、自分の存在に対して常に不安を感じていました。
人・親から認められる自分でないと存在して良いと思えなかったのです。
だからこそ成人した私はわかりやすく、とにかく「人の役に立っている」という感覚が得られるような医療系・介護系の仕事を選択していきます。
さらにもっと厳しい環境で上にいかねばと、より過酷な職場に毎度就職していました。1つの自傷行為であったとも思います。

ここからどのように自己肯定感を回復させて、「やらねば」精神を克服していくかはまた別の「はぴこ大人編」で書かせて頂きたいと思います。
それでは、こんな家族話をここまで読んでくださりありがとうございました。
よろしければまた次の記事をよろしくお願い致します。

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