家康講座を終えて
本日は、こまつ人生塾にて
戦国時代を生きた英雄に学ぶ⑩徳川家康 タヌキ親父か?平和の創設者か?
と題し、戦国時代の最終勝者徳川家康の激動の生き方について解説しました。
まずは本日のテーマ徳川家康についての参加者のイメージを伺いました。
・太っていた(自分で褌を締めることができなかった)
・腹黒い
・ケチ(あんなケチな家康が次の天下人になれるはずがない。人望がない。と評した蒲生氏郷のエピソード。また家康自身も「鼻をかむちり紙一枚もおろそかにしなかったから天下を取れた」と自ら認めている)
・タヌキ親父
といったネガティブな意見がやはり多かったのですが
歴史通の方からは
・英雄
とこちらが期待した答えももらえて、いい雰囲気でスタートしました。
今回家康の生涯を語るに
・今川義元
・武田信玄
・織田信長
・豊臣秀吉
家康に大きな影響を与えたライバル・敵・同盟者とのかかわり
にフォーカスしました。
①今川義元
誕生より、屈辱・服従・人質生活を長く強いられたのですが、悪いことばかりではありませんでした。義元の師でもある、太源雪斎から教育を受けたことは後の家康の人生にとって大きなプラスになりました。ですが今川一族に加えられる褒美としてもらった築山殿(義元の姪)との夫婦関係が家康に大きな影を引き落とし… プライドが高い妻との確執・優秀な後継者候補である長男との関係など、家康の家庭内は大きなトラブルを抱えていたことを踏まえてもらいました。
②武田信玄
大惨敗(三方ヶ原での敗戦)、いかに信玄が強かったのエピソード
家康命の危機を迎えたこと、(しかみ像)そのライバルが後に滅亡することになると武田家の強さを徳川家に取り組みたいと尽力。最終的には「井伊の赤備え」として武田旧臣取り込みに成功する。最大の敵から学ぶ姿勢。
③織田信長
桶狭間の戦いで今川義元を破ってくれたことで、家康は今川家から独立、信長と同盟の中で徳川家も大きく発展する。しかし信長の長女徳姫を嫡男信康の正妻としてもらうことで後に徳川家にとっては大きな痛手を引き起こす事件を生んだエピソードを紹介。本能寺の変が家康にとっても大きなターニングポイントに。
④豊臣秀吉
信長亡き後の主導権争い。直接対決(小牧長久手の戦い)には勝ったのに最終的には秀吉に頭を下げざるを得なくなった理由とは?秀吉との水面下の権力闘争とは?
今回2時間弱の講座を終えて感じたのが、
ライバルの人間関係が結構複雑(面白い)
政略結婚を通じて誰と誰がどのような関係(親戚付き合い?)になるのか
意外な組み合わせ(義兄秀吉・義弟家康など)になること
をもっとわかりやすく、面白く伝えることも大事
と感じた今回の講座。
ご参加の皆さん、ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?