2023年の福間健二さん
2023年5月1日、TLに訃報をつげるツイートが流れてきた。〈悲しいご報告です。4月26日に福間健二が亡くなりました。3月に脳梗塞で倒れて命をとりとめ、回復してもうすぐ転院というところでした。きのう近親者のみで見送りました。詩と映画と文学と大学、そしてわが町国立で、長きにわたりご厚意と友情をいただいたすべてのみなさまに感謝いたします。〉(福間恵子)
呆然とした。いろいろな感情、いろいろな言葉があった。その後、7月に「福間健二さんを送る会」がひらかれ、『現代詩手帖』『映画芸術』で追悼特集があった。「送る会」でのことは知る由もありませんが、いくつかの追悼文でわかってくることもありました。
以下の記述では、亡くなるまでの福間さんが2023年、1月から4月までの日々をどのように過ごされていたのか、ツイートや雑誌の追悼文などを参考・引用して、日付順に整理した。
福間さんがもういないという事実を受けとめられない心の整理のためでもあったし、その晩年のこころの流れに接してすこしでも感じたいということでもあった。
前半は主にツイートから、後半になって追悼文からの参考がふえる。福間恵子さんが精力的にローシャ、イオセリアーニなどの映画をみているが、そこに福間健二さんは同行していたのか、どうか。記述にないので分からない。以下、敬称は、つけたり、つけなかったりした。
前年の2022年12月には、監督作品『きのう生まれたわけじゃない』の撮影が完了している。
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1月
1/1〈あけましておめでとうございます。
2023年、実りの多い年にしたいです。
みなさん、よろしく+よい一年を!〉と挨拶のツイートをする。
1/7 前年29日からつづいたツイート詩「縛られないために」(全10回)完成。
1/8~1/17 ツイート詩「波を立てる」(全10回)完成。
1/20 この日のツイートで、コロナ療養中だったことを告げる。
〈おはようございます。コロナ陽性になって、軽症の症状が出ましたが、きのうで自宅療養期間が終わり、きょうから条件なしに自由に動くことができます。基本、ポジティヴ志向なので、学んだことあります。みなさん、よい一日を!〉
コロナのただなかでも、毎日のツイート詩は欠かさなかった。その病の療養のなか、ボルヘスbotの〈すべての文学は、最終的には自伝的なものである。〉という言葉をリツイートしている。思うところがあったのでしょうか。
1/25 天沢退二郎さん亡くなる。一般に報じられたのは、28日だったろうか。
1/18~27ツイート詩「二〇二三年の雨」(全10回)完成。
1/28 〈天沢退二郎さん。60年代後半、毎日のように彼の詩を読んだ。ある時、ある人に「天才と呼ばれて生きるのはどんな感じ?」と聞かれた彼の顔が記憶にある。渡辺武信さんと三人で座談会したとき、彼は夕食の支度があるからと途中で帰ったが、スーパーでの買物のしかたを得意そうに語った。どうぞ安らかに。〉とツイート。
1/28 福間塾、課題は「お茶」。
〈「お茶の時間」という作品を書いて印刷したところ。〉とツイートで報告。
2月
2/3 節分。恵方巻きではなく、奥さんの作った巻き寿司(太巻き)が食卓に。
2/6〈ストレンジャーでの『にわのすなば』。いままで以上に、いいなと感じるショットがつぎつぎに。サカグチを演じたカワシママリノさんと黒川幸則監督で住本尚子さんをはさんだ上映後トーク。主演女優の登場するトークでこんなによかったもの、立ち会ったことあるだろうかと思えるほどの楽しさと充実感!〉前日、2/5の19:00~『にわのすなば』をみて(おそらく、3回目の観賞)、上映後トークに接した模様。
1/28~2/6 ツイート詩「冬の卵」(全10回)完成。
2/14 〈城定秀夫監督、いまおかしんじ脚本の『銀平町シネマブルース』、たのしかった。そして、これまで自分に言い聞かせてきたことを復習した。その1、映画は笑いと涙だ(教えてくれたのはル・クレジオだが)。その2、学びたいのは城定の「解決」といまおかの「未解決」(合わせるとこうなるのだ)。〉とツイート。映画についての言及はこれがさいごになる。
2/7~2/16 ツイート詩「追跡者」(全10回)完成。
2/16頃に読者の手元に届いた、新井啓子らの詩誌「こるり 創刊号」に、福間による詩。
2/18 福間塾、課題は「波」。
〈この日の福間さんはすこし遅れていらした。途中で足が痛くなって休んでいたところ“風の波がゆっくり運んでくれた”そう。〉(小松宏佳)
2/19 奥さんとともに近所の三日月書店へ。
〈三日月書店のトルコ、シリア地震支援のための古本市。一番乗りはのがしたけれど、もう行ってきました。3冊、500円。ということで、写真の6冊で、1000円。早い者勝ちかな。〉
添付の写真には、古井由吉『ゆらぐ玉の緒』、高峰秀子『台所のオーケストラ』、ピーター・マニュエル『非西欧世界のポピュラー音楽』と、洋書が以下の3冊、『ルイス・ブニュエルの世界』、シャーウッド・アンダーソン『ワインズバーグ、オハイオ』、ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』がうつっている。
2/20『現代詩手帖』4月号天沢退二郎追悼のための座談会に出席(「アマタイ、その非現実空間のゆらぎ」参加者は福間、野村喜和夫、小笠原鳥類)。大詩人にならない良さなど、語る。
2/17~2/26ツイート詩「きみに会うまで」(全10回)完成。
(2/27 福間夫妻もたびたび参加したダーティ工藤らのイベント「映画原理主義」(毎月最終月曜日開催)、今回で最終回。)
2月発行の『BOOKMARK』20号に、福間さんの原稿がのっている。
〈『ビリー・ザ・キッド全仕事』について、いままで言ってなかったことをひとつ言うと、これを訳したとき、詩を書きながら映画を撮りたくてしかたなかったぼくにとって、詩人オーダーチェが小説に向かっていく過程で生まれた作品であること以上に、あたかも映画を作るように「編集」された作品だと感じたことが大きかったかもしれない。ビリー・ザ・キッドの物語は語りつがれ、すでに何度も映画になっていた。オーダーチェ自身の、スリランカの金持ちの家に生まれてからカナダの詩の世界に仲間入りするまでの感情的な起伏が、それにどうクロスするか。勝負のひとつはそこにあったと思う。のちに『映画もまた編集である』という本も出すオンダーチェの、不必要なものを切りすてて出会うべきものを確かに出会わせる「編集」の方法が功を奏している。切り離されているものをつなぐのが「編集」だとして、それによってビリーの生きた世界をひとりが見ているのではない夢として再構成しているのだ。〉
3月
2/27~3/8 ツイート詩「消えないために」(全10回)完成。
3/10 福間健二誕生日。74歳。福間恵子のツイート。〈3月10日、早朝の空はお日さまが雲隠れしていて、お月さまがちょっと誇らしげに西の空にいた。つかの間の景色、月が愛おしくなるね。今日は、大切な二人の誕生日と命日。いい一日になりますよう。〉
3/11 健二誕生日翌日、福間恵子ツイート。〈生きている大切な人の誕生日のきのう、本人は歩けないのでタクシー行き帰りの贅沢。2年前から大ファンの若い店主のお寿司屋さん、じつに美味しかった❗️自分の誕生日はお寿司に決めてるけど、人の誕生日でご相伴にあずかるのは至福です。バースデーケーキもいただきました。あ、もちろん会計はわたしね〉
2023年3月、『きのう生まれたわけじゃない』編集終え、完成。
3/9~3/18最期のツイート詩「Transcript」(全10回)完成。
3/14 大江健三郎が3/3に亡くなったとのニュース。
3/14 福間健二のツイート。〈大江健三郎さん。ぼくがいちばん熱中して読んだのは、高校二年から二十歳くらいまで。何度も読んだのは『われらの時代』。かなり重症のオオエ病だったが、それは現代詩と吉本隆明で克服した。そのあと、こんどはヨシモト病に。それはもっと重症だった。〉
3/18 福間塾を欠席。
〈三月十八日の福間塾の課題は「約束」。その前日(3/17)に福間さんから欠席のメールがきた。そのなかに、「現代詩手帖の四月号の座談会で、天沢退二郎のことをぼくは元気に話しているので、このことをみなさんにお伝えください」とあった。〉(小松宏佳)
3/18〈鈴木志郎康、ゴダール、天沢退二郎、大江健三郎が立て続けになくなったことにふれて、「この四人から受けとったもの、それぞれちがう。そこが大事だと思う。もうひとつ、それぞれに文句のつけどころをぼくは見出だしている。それを自分の仕事なの活かす、というのを、あまり考えていなかったな、と思った。」〉(小峰慎也)と書く福間健二。
鈴木志郎康は去年の9月8日に、ゴダールは同じく去年9月13日に、相次いで亡くなっていた。
3/19 ツイート詩「春の物語」、1回目スタートも、結果ここで中断となる。ツイートした時刻は14:16。
3/20 早朝、脳梗塞で自宅で倒れる。入院。
後日、〈重いものだったが、危機を脱して転院予定も決まった。左半身マヒで車椅子生活になっても、声が出せなくなっても、二人で生き抜く未来をわたしは思い描いていた〉と福間恵子。
3/28 福間が参加した天沢退二郎追悼座談会の載った『現代詩手帖』4月号発売。
4月
(4/15ボブ・ディランコンサート@東京ガーデンシアター、開催)
4/26 福間さん肺炎で亡くなる。
〈入院して以来、恵子さんはコロナの影響で1度も面会を許されず、突然、電話で亡くなったことをしらされ〉た。入院中は〈毎日病院に行き手紙を看護師さんに預け()手紙を看護師さんに読んでもらい、本人のスマホは禁止されているので看護師さんが動画を撮ってくれて、少しは様子を知ることは出来た〉(伊藤洋三郎)
4/30 近親者のみでの葬儀。翌日、福間健二さんの死が報じられた。
***
〈私は、能天気に自分が長生きして何をするのかと考えることがある。こちらがつよい関心を持ちながらも読み切れないテクストがいつまでも残っている作家がいることは、ありがたい。その作家を読むために生きることができそうだからだ。〉と、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』と小島信夫を挙げる、〈『別れる理由』以降の小島信夫のテクストも、長生きしてつきあいたいもののひとつだ。〉(「彼が抱きしめたもの 小島信夫」)と書いたのが2015年。2013年に都立大を定年退職して2年たったあたりの、これからの生をみつめての心境。〈健二は、退職して二年目くらいから、やっと積極的に家事を手伝うようになった。ずいぶん時間はかかったが、皿洗いも掃除も上手になり、おいしいスパゲティも作れるようになった。たぶんそれからだろう。健二がわたしを、ともに映画をつくる同志と受けとめたのは。〉(福間恵子)
退職して10年。小島信夫やジョイスをゆっくりと読む、〈長生き〉とかんじる人生のフェイズを、福間さんはもったのだろうか。
〈小島信夫には、()晩年意識というのはなかったと思う。歳をとっても若者みたいにますます右往左往していたし、()整合的なライフサイクルに沿って活動した作家ではなくて、若いときに年寄りじみた仕事もしたような、年齢撹乱的な作家だった。そこが面白い。私なんかがこれから老いつつ読書していく際に同伴させる作家として、そのほうがよほど励ましを受ける感じがします。〉と、中村邦生は(福間と長いつきあいの千石英世との共著で)語っている。
〈B級好きの人間にはA級というか立派なものに対して苛立ちや反発するような気持ちが出てくる。六〇年代の詩人たちこそは、芸術家の生涯を考えたときに、成熟して老人になっていくみたいなのは全然面白いことじゃないんだと、はっきり言えた人たちだったんじゃないか。鈴木志郎康さんも天沢退二郎さんも老詩人として死んでいない。()A級というのは成熟から老人を立派に生きるかどうかであって、そんなことはどうでもいいんだという姿勢がある。〉(「アマタイ、その非現実空間のゆらぎ」)
いくつもの追悼文の書き手が、福間さんは老人でなく少年のような人だった、と書く。
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