“美”へのこだわりがつまった、資生堂パーラーの「ミートクロケット」
キレイな円を描いたトマトソースの上に俵型のクロケットをのせた、シンプルなスタイルの資生堂パーラーの伝統メニュー「ミートクロケット」。
クロケットにナイフを入れると、とろりとなめらかな味わいに、トマトソースのフレッシュな酸味の絶妙なバランスが口の中に広がります。
今回のnoteでは、長らく資生堂パーラーのメニューとして愛され続けている「ミートクロケット」にまつわる話をお届けします。
1931年に3代目総調理長 高石鍈之助によって誕生
「ミートクロケット」は、1931年に3代目総調理長 高石鍈之助によって考案され誕生しました。(簡単にいえば俵型のコロッケですが、資生堂パーラーではフランス風にクロケットといいます。)
考案のきっかけは1921年にさかのぼります。赤坂離宮(現在の迎賓館)で皇太子殿下(昭和天皇)が渡欧される歓送午餐会に高石がキッチンスタッフとして参加した際、当時の高石の師匠が会の献立を担当。そこで提供されたメニューがフォアグラのクロケット。丸、角、俵型のクロケットにパセリのフライが振りかけられるこのフランス料理に、当時23歳の高石は衝撃を受け自分のメニューに昇華しようと考え、ミートクロケットを考案しました。
高石はエビや鶏など、いろいろな具材で試作を重ねましたが、最後は仔牛の肉を選びました。昔は仔牛のほうが手に入れやすかったことも、その理由のひとつです。
庶民の味の定番をフランス料理に昇華
「ミートクロケット」が資生堂パーラーのメニューに加わったのは、昭和6年の秋のこと。
当時、コロッケというと小判型のジャガイモのコロッケが主流で、庶民の味の定番でした。
そういったイメージから、当初、資生堂の重役たちは「資生堂パーラーのようなハイカラなレストランで庶民的なコロッケなんて」と渋い顔をしていましたが、試食してその美味しさに驚きました。
高石は、自分の「ミートクロケット」は本場のフランス料理に負けないものをと苦心して作った傑作だと思っていました。高石の信念を通した結果が、後の資生堂パーラーの人気メニューを生み出したのです。
当時のことを高石はこのように話しています。
「ミートクロケット」にこめられた美意識
「ミートクロケット」には資生堂パーラーならではの美意識が見られます。
ひき肉やじゃがいもを使わずに、仔牛を使っていることもそのひとつです。一般的なコロッケに使われているひき肉では、ソースの美しさを損ってしまいます。
また、盛りつけの際にトマトソースをクロケットの下に敷くのは「美しい俵型を食べる直前まで目でも楽しめるように」という、資生堂パーラーならではの“美”へのこだわりからです。
受け継がれる当時のレシピと味わい
そして、高石が考案したレシピは今でも忠実に守られています。
つなぎはベシャメルソースでじゃがいもは使わないこと。トマトソースは旨味を引き出すために何度も濾すこと。すべてのものを一晩寝かせてなじませることなど……
シンプルだからこそ、ごまかしの効かないメニューづくりは資生堂パーラーの中で脈々と受け継がれています。
さて、資生堂パーラーの伝統メニュー「ミートクロケット」にまつわる話をお届けしましたが、いかがでしょうか?
誕生から100年近い時を経ても変わることのない伝統の味と美しさは、歴代シェフたちの手間暇を惜しまない、料理への愛情や想いによって守られてきました。
皆さまも、このシンプルなひと皿を召し上がる際には、そんなことを思い出していただけますと嬉しいです。
では、また次回の更新を楽しみにお待ちください。
◆資生堂パーラー公式サイトとSNSもチェックしてみてください
公式サイト https://parlour.shiseido.co.jp/
Instagram https://www.instagram.com/shiseido_parlour/
X(旧Twitter) https://twitter.com/shiseidoparlour
Facebook https://www.facebook.com/shiseidoparlour