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人間万事塞翁が馬
人間万事塞翁が馬
私が座右の銘としている言葉です。
一見不幸に思えたことがその後幸運につながったり、逆に幸運に思えたことが不幸につながったり。
物事の意味や結果は、その一時だけでは判断し難いものです。
私は今、総合診療に携わり、訪問在宅診療の分野で医師として働いています。
私が医師を志したのは20代後半でした。
アメリカに留学し、心理学を専攻しました。そこから精神科に興味をもったのがきっかけでした。
日本にいた頃は私は文系でしたし、暗記科目に対する苦手意識ももっていました。
アメリカ留学がなければ、私が医師になることはまずなかったでしょう。
そういう意味では私の人生における最大の”あの選択をしたから”というのはアメリカ留学になるでしょう。
では何故アメリカ留学を決意したかというと
〇日本での大学受験がうまく行かなかったから
〇高卒で働き始めてみたもののバブルもはじけ将来への不安が更に高まったから
〇今更中途半端に日本の大学に入ってみても、自分の人生が好転するとは思えなかったから
など様々な理由が浮かんできます。
私は日本で受験生だった頃、文系で法学部志望でした。
法学部を志した理由は、『弁護士や裁判官になって○○したい』というものではなく、『とりあえず文系だったら法学部が自分にとって一番つぶしがきくのでないか』というとても消極的なものでした。
アメリカ留学がなければ医師になっていなかったであろうことと同様に、日本での大学受験が上手く行っていれば心理学専攻でアメリカ留学をすることもなかったでしょう。
また、高卒で営業職を経験することがなければアメリカ留学の際もあそこまで勉強に打ち込めなかったかもしれません。
日本で受験生だった頃、親に勉強しなさいとそれほど言われた記憶はなく、勉強時間だけは無駄に多かった気がします。今から考えると、ただ机に向かっている時間が長いだけで全く持って非効率な勉強法でした。真面目というより、勉強時間をかけることで自分は勉強していると納得したかっただけのように思います。
営業ではノルマを経験しました。こちらがいくら努力しても商品が売れるとは限りません。親や親族にどうこう言われるかを除くと、勉強では結果が出なくて困るのは自分だけです。ところが営業などの仕事の場合、結果がでなければ職場の上司からあれこれ言われます。高卒で営業職を経験したことで『勉強するのは自分のため。上司などからあれこれ言われず自分のために勉強に励めることがいかにストレスの少ないことか』ということに気づかされました。
自ら働いてみることでお金を稼ぐことがいかに大変なことかということにも気づかされました。仕事をせずに勉強だけに打ち込めることがいかに幸せかということに気づくこともできました。
当時は『人生における失敗』としか思えなかったことがその後の人生において非常に貴重な経験となっています。
医師になってからも決して順風満帆ではありません。
専門を外科、乳腺外科、総合診療と変えてきていますが、もし外科でのキャリアが順調で成功と呼べるものだとしたら、今現在総合診療に携わることはなかったことでしょう。
しかしながら今この領域に携わりながら考えるのは、外科医としてだけでキャリアを終えていた場合より私にとっては遥かに充実した人生が遅れているのではないかということです。
今後のキャリアや人生がどのようになるかは知りようもありません。
幸か不幸か。
その答えが分るのは最後の最後でかもしれませんし、ひょっとしたら永遠に分からないものなのかもしれません。そんな分からないことをあれこれ考えるのは時間の無駄とも言えるのかもしれません。
一時・一見の評価にとらわれることなく、全ての経験を今後の自分にとって活かそうとする態度を持ち続けたいと考える今日この頃です。