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リスキリングとは無縁の私

 最近、『リスキリング』、『学び直し』といった単語を見かける機会が増えてきました。

 しかしながら、私自身はこれらの言葉とは無縁です。

 これは私が一切学んでいないというわけではなく、『学び終えた』と思う区切りがなく、常に学び続けていると感じるからです。

 医師になって10年以上が経過し、これまで一般外科、乳腺外科と専門を変えてきましたが、今年から、訪問在宅診療に携わることになりました。
 40代後半に突入しましたが、手術や当直をいつまでもこなせるとは思えません。
 今のところ、新しい知識をつければつける程、新たな経験をすればする程、成長を感じることができていますが、最近は体力や記憶力の低下を自覚する機会も増えてきました。 
 50代、60代、それ以上になっても専門を変えたり、新たな事を学ぶことは可能と考えますが、ハードルは年々高くなるに違いありません。
 学生の頃より頭の片隅にあった『総合診療』に携わるとすれば今が絶好のチャンスと考え、思い切って専門を変えることにしました。

 私のキャリアは一般的なドクターと比べると、かなり風変りです。
 簡単にご紹介してみると

 大学受験に失敗し、数年浪人。
 それでもうまくいかず、高卒のまま社会へ。
 そうこうしていると、バブルもはじけ、不況の波も押し寄せ漠然とした不安が頂点に。
 失うものも何もなく、勢いだけでアメリカ留学(生物学と心理学を専攻し、4年半で卒業)
 精神科医に興味を抱くも、アメリカのメディカルスクール入学はハードルが高く、運よく日本の医学部学士編入試験にひっかかり、地方国立大学を4年半で卒業。
 二年の初期研修を終えた後、一般外科医→乳腺外科医
 といった経歴です。

 現役でストレートで医師になった場合と実年齢を比較すると、10年弱のギャップがあります。

 精神科医を目指していた私がどうして外科の道に進んだかというと、医学部生時代に、『人の精神は興味深いが、未知の領域だらけで自らの専門にするには荷が重すぎる』と考えたからでした。

 海外ドラマ『ER』などの影響もあり、総合診療・救急医療にもあこがれていたものの、要領も悪く不器用な自分の場合、『なんでも見る』を目指していたのに『どれも十分に見れなく』なってしまうことも危惧されました。

 どんなに勉強して、どんなに望んでも内科医は手術ができない一方、外科医は意志・意欲があれば内科的知識も学ぶことはできる。

 そう考えて、外科の道に進みました。

 医学的知識は目まぐるしく変化します。新しい事実や技術が紹介されるのはもちろん、それまでの常識が急に禁忌(命に関わりえるもので、決して行ってはならない医療行為)になることすらあります。

 外科医としては手術も、医学的知識も、マスターからは程遠いものです。なんとなくこなせているように見えても、学ぼう・極めようとしたら決して終わりはありません。内科的勉強まで手をひろげる余裕はありませんでした。
 
 一般の方々からすれば、どの科の医師であっても、常識的な医学的知識は全てつけておくべくだと思われるかもしれません。
 ごもっともなことですが、その常識的知識が目まぐるしく変わり、新しい薬剤や技術が常に新しくなるので、アップデートだけでも大変です。
 仕事も忙しく、専門分野での知識や経験のアップデートだけでも大変なので、専門分野以外は尚更手薄になりがちです。

 訪問在宅診療では、必要時は専門機関へ紹介しつつも、極力あらゆる病態・病状に対応しなければなりません。
 
 最近は、糖尿病のガイドラインを読んでみたり、『Common Disease』という日常よく遭遇する内科疾患に関連する本を読んだり、勉強三昧の日々です。

 それが読み終わると、診療ガイドラインUp to dateに一通り目を通したいと考えています。

 更には、朝倉あるいはハリソンなど、『内科学』の成書についても一度はしっかり読み終えたいと考えています。

 医学部生時代や外科医時代は、課題も多く、時間的にも体力的にも成書を読む余裕がありませんでした。
 アメリカの学生時代は、学期を通して成書を一冊以上読み終えることがカリキュラムに含まれていました。
 日々の講義や課題が、成書の内容に基づいていたからです。
 成書一冊を読み通すことに慣れると、読み終えることで得られる知識の深さが、いわゆるマニュアル本や要約本からえられるものとは大きく異なることが実感できます。
 試験や課題、手術や当直といった負担が減った今こそ、自分で限界を設けることなく、貪欲に学びを続けたいと思います。

 
 最後に私見を少し。
 『学び直し』や『リスキリング』といったものは、一時のブームで終わるべきものではないと考えます。

 私の職業は医師ですが、頭の作りが医師向けにできているわけではありません。これまでに医学に関する知識を学んだ経験が平均より多いというだけです。
 専門なので、勉強を続けて学び続けているというだけです。時間の制約があるので、法律や経済を学ぶことに割ける時間は現時点ではそれほど多くはありません。
 しかしながら、学びたい・学ぼうと思えば、学ぶことは可能です。

 『専門外だから勉強するのは無理』、『専門だから勉強出来て当然』というわけではありません。
 職業上の専門であろうと、なかろうと、学ぶ気持ちがあれば、大概のことは独学でも学ぶことが可能と考えます。

 住宅ローンをきっかけに、お金に関する勉強も始めました。投資に関する本も少なくとも数十冊読み終えました。
 これまでのところ成績はよくありませんが、他人にまかせることなく株式投資の運用もしています。

 投資を始めたばかりの頃、周りによく言われたのは
 『無理だからやめとけ』、『素人が手を出すものではない』
 といった言葉でした。

 海外留学をする時も、医学部学士編入に挑戦した時も、周りからは
 『無理だからやめとけ』、『成功するはずがない』
 と言われました。

 今回、専門を変えるにあたって誰にも相談せずに自分だけで決めましたが、相談していたらおそらく
 『今更無理だからやめとけ』、『うまくいくはずがない』
 と言われていたことでしょう。

 『リスキリング』、『学び直し』というキーワードを使い、研修などによって強制されるよりも、大切なのは『一人一人が、学ぶことの楽しさ、人生に活かせる重要性に気づくこと』ではないでしょうか。

 私はアメリカ留学をするまで、分厚い本などとても読み終えられるものではないと考えていました。
 ところが、アメリカ留学中は、成書を読み終えない限り、ろくな成績をとることができません。成書を読むことに慣れる中で、いかにそれまでの人生が『自分で自分の限界を作り、努力もせずに諦める』ものだったかを認識するようになりました。
 日本で大学受験生・予備校生だった頃は、理科・社会が嫌いで、暗記科目に苦手意識を持っていましたが、それが『興味がなくて、覚える気がなかっただけ』ということにも気づきました。

 学ぶことの楽しさ、大切さに気づけば、学びは一時期のブームで終わるものではありません。
 研修という形で押し付けられたり、教えてもらうという受け身の態度では、『自ら学ぶ』という姿勢は決して生まれてきません。
 研修が終われば、そこでまた学びが止まってしまうことでしょう。
 人生において、学びは終わるものでもありません。
 『学び終えた』と考えるのは、『実際に学び終えた』というよりも、『とりあえずこれで十分だという地点で妥協し、歩みを止める行為に他ならない』と私は考えます。

 記憶力や体力はますます低下していくことになるでしょうが、10年後、20年後の自分は今よりはるかに成長している。
 そう自信を持って言えるような学びを、これからも続けていきたいと思います。


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