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『土佐日記』感想

 こんにちは。なんとなぁく秋らしくなってきましたね。実は秋が苦手な秋吉です。

 先日、紀貫之『土佐日記』(為家自筆本系統)と菅原孝標女『更級日記』(定家自筆本系統)を読みました。なんでわざわざ写本の系統書いたかって?それは単に私がちょっとだけときめくからです。うへへ。

 まあそんな事はいいとして。今回は『土佐日記』読んで思った事を徒然なるままにちょっとだけスマホに向かひて書いてみます。あっ話変わるけど私『徒然草』も好きです。それはいいとして。まずは昔の「日記」がどういうものなのか、というお話からはじめます。

 平安時代くらいですかね、一概に「日記」と言っても、2パターンあったらしいです。ひとつは漢文日記、もうひとつは仮名日記っていいます。

 漢文日記は、その名の通り、漢文体で書かれています。書き手は粗方貴族の男性で、内容は一日の仕事の話に始終します。日記というよりかは公務の記録的なイメージだと思っています。また、漢文日記は、現在のカレンダーのように一日一枠で区切られていて、そこにはその日の日付や運勢(やっけ?)が絶対に書かれています。なので、何月何日に何をした、みたいな事がはっきり分かるんだそうです。

 対する仮名日記の話をします。こちらもその名の通り仮名(平仮名)で書かれたものです。昔は漢文は男性、仮名は女性のものみたいなイメージがあったらしいので、仮名日記の書き手は粗方女性です。内容は、公務の記録等ではなく、現在の日記と似たような感覚です。一日一枠で区切られている訳でもなく、毎日日付が書かれている訳でもありません。日付が書かれているのは、筆者にとって重要な出来事が起きた時くらいだそうです。

 んで肝心の『土佐日記』です。筆者は紀貫之で、ご存知の通り男性です。たぶん。会ったことないし知らんけど。まあでもたぶん男性です。でも、本文は仮名で書かれているのです。

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こんなん。ところどころ漢字使われてはいますが、漢文体ではありませんね。たぶんこれは、語り手(日記文学でも語り手とか言うのかな?)が女性であると設定されている為ですたぶん。有名な冒頭一文引用しますね。

をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみむとてするなり。

「男性が書いてるらしい日記ってやつを、女の私も書いてみよー!と思って、今これ書いてます!」みたいな文章です。古文できひんからあんまり仔細を問い詰めたりはしないでくださいね。で、この冒頭一文からも分かる通り、筆者紀貫之は男性ですが、この『土佐日記』の語り手は女性なんですね。こういうの女性仮託の作品って言うらしいです。だから文章が仮名で書かれてるんですかね、へーーーー。ちなみに、この『土佐日記』、女性仮託の作品ではないとする説もあるらしいですが、残念ながら私は『土佐日記』ガチ勢ではないので仔細は省略します。気になる人はCiNiiとか見てみたらいいと思います。この辺とか如何でしょうか。

はい。

 で、それはいいとして、私が一番気になったのは、毎日毎日日付が書かれている事です。それに、特に何もなかった日でも、「何日 特に何もなかったよ」みたいなこと律儀に書いてあるんです。形式が漢文日記に似てませんか?仮名日記だったらところどころ日付は省略されるはずやのに……。

 それで、なんでかなーと気になってたんですが、『土佐日記』が日本初の仮名日記やからなんじゃないかなーとふと思いました。そう。日本初の仮名日記なんだそうです。『土佐日記』以前の日記は悉く漢文日記だったらしいです。そんな中、新しい試みとして仮名日記である『土佐日記』が書かれたっていうことです。やから、まだ仮名日記の形式が確立されてなかったんじゃないかなー、みたいな。そんな事を考えたりしました。

 今回はすごい形式的な事にしか触れませんでしたが、なんかものすごーーーーーーいテキトーーーーーーーな感想いろいろ書いてたりもするので、よろしければツイートの方ご覧になってください。

 書きたかったことはひととおり書けたような心持ちが致しますので、この辺りで失礼します。

 あっ、ところで、私のnoteの名前を「秋吉霞」から「秋吉露」にこっそり変えてたのご存知でしたか?他意はありません。悪戯心による気まぐれです。そのうちちゃんと戻しますね。では!

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