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「海辺のカフカ」を考察したいと思ったら、国語の読解の授業って苦行じゃん!と気づいた話
村上春樹の「海辺のカフカ」を読んでいる。
久しぶりの村上春樹だ。
村上春樹をよく読んでいたのは大学時代だった。
それが今年の夏の終り、本屋で平積みで置かれていた「海辺のカフカ」を見て、久しぶりに村上春樹の文章が読みたくなった。
正直、村上春樹の小説はあまり好きじゃなかった。
でもたまに、ごくたまに無性に読みたくなる。
文章に惹きつけられるのだろうか。
「海辺のカフカ」は、面白い。
忘れたくない台詞に
「退屈でないものには人はすぐ飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ」
というものがある。
それから、ナカタさんというおじさんと行動をともにする「星野青年」という若者がいるのだが、彼の表現は主に「星野青年」なのだが
ときおり「星野さん」と表現される。
どんな意図があってのことなのか。
考えたい。
知りたい。
これを考察している人いるの?
と、
ここまで思ったところで・・・。
「これって国語の読解の時間じゃん!」と気づいた。
主人公はこのときどうしてこのような行動をしたのでしょうか?
◯◯とはこの文章においてどんな意味を持っているのでしょうか?
「読解がキライ」「国語の文章題が苦手」という人は多くいるだろう。
大学受験のとき予備校で「読解はテクニックで解ける」と教わり目からウロコが落ちたものだ。
読書キライでも受験は突破できる。
話を戻そう。
私は「海辺のカフカ」について、いろいろな人の考察が知りたい。それは、読解の時間を持ちたいということ。
でも、興味のない人にとっては、そんな考察したくもないし、聞きたくもないだろう。
ということは、国語の読解の時間って、ごく一部の人だけが興味ある文章をムリヤリクラス全員で考察してた時間なんだ。
考察する場所まで決められちゃって。
シラけちゃうのも無理ないね。
その年代の人に意味のある物語を選んでいるのだろうけど、それに興味を持てる学生はごく一部。
そう考えると、学校生活はなかなか過酷です。
「果てしなく長い」と感じていたことも、自分ながら納得です。
でも今は大人なので、子どもに「読解なんてなんの意味があるの?」と聞かれたら「今は分からなくてもいつかおとなになったときに理解できるかもしれない、大切さに気づくかもしれない」とかって答えるでしょう。