ep16 海を抱く家
開通したばかりの新道から、売出し中の看板が見えた。敏和と幸代は少し先で車をUターンさせて、売出し中の看板が出ていたニュータウンの入り口へ向かった。
旧道と新道がちょうどまじわるあたり、海に突き出た小高い丘は確か広い果樹園と畑だった。宅地の造成は数年前からなじまっていた。白地に水色で「鳴海ニュータウン」と書かれた、大きな真新しい看板。ニュータウンの入り口そばの空き地に、分譲会社の事務所がポツンと建っている。脇の大きな空き地には「商業予定地」の立板。事務所正面の空き地には、「学校ヨテ地」の立板が建っている。階段状になった、細かく区分けされた宅地には建設中の家屋が数件。すべてモデルルームということだった。
平屋の事務所脇の駐車場には、乗用車が数台止まっていて、空き地で遊ぶ小さな子どもの姿もあった。事務所の入り口を開けると、事務の若い女性が応対してくれた。応接セットで「しばらくお待ち下さい」と出された茶菓子は、時津で昔から有名な菓子店のものだ。
若手の社員は他の客の対応で忙しかったようで、10分ほど待って役職付きらしい中年の社人が応対してれた。
「どうもどうもお待たせしました。どちらからいらしたとですか?はあ、小串の方から。それはまた。いやもう毎日忙しくて忙しくて、どうしようもなかとですよ。大変申し訳ありませんでした。いやほんとですね、購入されるんであれば、もう1日2日の世界ですよ。今ならまだバス通りなんかの土地も空いてますから、ここと、ここと、あ、ちょっと待って、おーい、ここはもう決まったとやったかな。」
株価や不動産の価格がどんどん上がっているというのは、田舎の公務員の敏和の耳にも入ってきていた。高度経済成長期の終わりからはや10年あまり。日本の立派な先進国の仲間入りだと、報道も自信に満ちあふれている。たしかに、田舎公務員夫婦でも新築の一戸建てを購入しようと思うくらいの収入がある。
「早速どうですか、現地見に行かれますか。ない、歩いてすぐですから。よかったらどがんですか。」
活気のある事務所の雰囲気になかば飲まれるように、敏和と幸代は席を建って、担当の内田の後をついていった。
「ここがね、えーと、1,500万!もしかしたら来週には値上げするかもしれません。ここがバス通りになりますけん、バス停もね、どこにできたって歩いて2、3分くらいのもんですよ。こちらはもっとお手頃でね、1,400万になりますね。バス通りからは少し入るとですけど、すぐそこ、あそこの大きな土地のあるでしょう、あそこにスーパーの出ることが決まりましたけん。ほら、市内の、スーパー玉出。ご存知ですか?」
敏和も幸代もあっけにとられて、「見に来ただけ」とは言い出せずにいた。そして敏和は内田の口上を聞きながらなんとなく、ここでもいいかも、と思い始めていた。幸代のお腹には、小さな新しい家族がいる。しかも、二人。
内田はこのあたりの人にしては珍しく、礼儀正しい男だった。あるきながらタバコを吸うのは少し気にかかるけれど、携帯灰皿を持ち歩いて、商品である街にタバコの吸い殻を落とすようなことはしない。幸代はこの明るく押しの強い男に少し好感を持って、色々と聞いてみることにした。
「実は私達ふたりとも公務員で、まだそれほどお金がないんです。なるべく安くていい土地は空いてないですか。」
「ほう、そうですか」としばらくタバコを吹かして、内田は図面を見た。成約済の赤い印はもう半分ほどの宅地についている。
内田は敏和と幸代の顔と図面を見比べて、ほんの数秒考え込んだ。
「ここはね、正直なことを言うと少し売りづらいんですけども、お二人だったらもしかしたらと思うので、よかったら見てみますか。一番奥まったところでね、ここが少し北西向きに下るとですよ。そいけん日当たりがそれほどなんですけど、夕方には陽も入りますけん。あとはね、バスの車庫が近かけん、朝は始発も出ますね。」
敏和と幸代も図面を覗き込んで、場所を確認した。向かいの土地はね、もう宅地には使えんけん、緑地公園になっとります。まあ目の前が開けるけん、気持ちよかかもしれません。」
目的の土地は事務所から10分ほど歩いた先になる。あるきながら敏和はこの街での暮らしを想像した。四角い空き地だらけの土地に、真新しい一戸建てが並ぶ。瓦屋根の家も最近は減ってきている。これだけのサイズの土地なら、立派な家が立つだろう。植えられたばかりの細い街路樹も青々と茂る。
「テレビで見たことありませんか。アメリカのビバリーヒルズ。ソレは言いすぎかもしれんですけど、立派なよか街になりますよ。」
心の中を見透かされたような内田の言葉に敏和はドキッとした。
「新道の脇もね、もう少し先になりますけど、大きなショッピングセンターができます。これはもう決まり。あすこの大神宮のバス停あたりの大きな畑があるでしょう。そこの用地買収がほぼ決まっとるとです。もう市内にも出らんでよかごとなるかもしれませんよ。」
幸代のつわりも、先週ころから落ち着いてきている。10分歩くのなら問題なさそうだ。
土地はニュータウンの端の角地。確かに北西向きの斜面になっていて、南側には別の住宅が隣接するので、やや日当たりは不安だ。敏和が宅地側を見てうーんと考え込んでいると、幸代が敏和の袖を引いた。
「ねえ、見て。海を抱いているみたい。」
妻の言葉に敏和も海を見た。左手側には半島の山。敏和と幸代の住むアパートはこの半島の先端にある。右手側には、東彼杵の海岸線。2つの陸地がちょうど両腕で湖のような海を抱きかかえている。その間には、午後の日に輝くゆりかごのような静かな海が横たわっている。
「私ここ、好きだな。」
幸代の言葉に、敏和も黙ってうなづいた。ここなら、市内にある敏和の実家、外海にある幸代の実家のどちらにも近い。自分たちと同じように、海を見ながら育つ子どもたち。彼らが大人になる頃には、日本はアメリカよりも大きな国になっているかもしれない。目の前の緑地公園には、芝がはられたばかり。まだマス目がうっすらと見える。二人の目の中にあるのは、夏の芝が伸びていくような、青々とした未来だ。
「これだけの宅地ですから、南側に庭を作ればきっと陽も入りますよ。」
内田はそう言いながら、二人の連絡先の書かれた紙に見込み客の印をつけて、事務所へ戻ったら早速二人に住宅会社の提案をするつもりでいた。今日だけで見込み客も入れると、12件の成約。この調子なら、目標としていた夏までの完売は、簡単な仕事だ。