同窓会の夜 3
一応、コンビニにガムを買いに行くという体で出てきた僕たちは、律儀にまずコンビニへ行って、実際にガムを買った。一緒にお酒も買ったけど。
どっか行こうよ。そんな言葉がするりと出てくる自分が誇らしいような、でも心のどこかで軽蔑するような、不思議な気分だ。23時を過ぎて、思案橋の街に人はまばらで、街は眠たげ。路地の明かりも半分くらいはきえてしまっている。
僕は長崎の夜の街をよく知らない。人のまばらな街から逃げるようにして稲田さんに手を引かれるままついたホテルも、一体どこなのかよくわかってもいなかった。
稲田さんは慣れた手つきで空いている部屋を選んだ。エレベーターに乗って3階で降りて、扉を開けたらあとはもう二人だけの世界だ。後も先もどうでもよくて、こんな夜がずっと終わらなければいいのにと、祈るように過ごした。
まさかこんなことになるとは思わなかったな。
僕が言うと、稲田さんはタバコをふかしながら「そう?」と意地悪そうに笑った。
「でもびっくりしたかな。そんなことするような人じゃないと思ってたから。」
そう言って稲田さんは寝転がって、僕の胸に頬を寄せた。
どうする?戻る?みんなのとこ。
「今さら?ウケるね。」
僕の冗談に稲田さんはまた笑った。
「ねえ、トランキライザーって知ってる?」
いや、知らない。答えると稲田さんは少し間を置いて教えてくれた。
「抗不安薬っていうんだけど。飲むとね、落ち着いて不安が無くなって眠くなるの。ショウくんってそれに似てる。」
褒められてるのか貶されてるのか、どっちなんだろう。判断がつかないまま、隣で寝息を立て始めた稲田さんにつられて、僕も目を閉じた。
夢みたいな夜はそれで幕を閉じて、それから僕たちの恋はそう長くは続かなかった。あの夜の気持ちを繋ぎ止めておくことは、僕にも稲田さんにもできなかったということだ。
別れる前に一度だけ稲田さんが東京に遊びにきたこともあった。渋谷や下北沢の街を一緒に歩いて、僕はひどく情けなくなった。人ゴミのこの街で、僕はなんて頼りないんだろう。同窓会の夜、僕たちは二人であんなにも世界を征服していたのに、この街では恐竜に怯えて暮らすネズミみたいだ。求めていたのはこんな現実的な何かでは無くて、もっと、なんだろう。うまく言うことができないし、その必要も無さそうだ。
稲田さんは実家の歯医者さんを継いだわけではなくて、大学で出会った別のお医者さんと結婚して今は大村の病院で働いているらしい。数年前には国道沿いの病院も無くなってしまったから、彼女が鳴海ニュータウンに近づくことは、もうきっと無いんだろう。
中学生の頃、決して目立つ方では無かった僕やピンの話を聞いて笑ってくれた稲田さん。奔放な性格で、高校でも大学でもちょっとしたトラブルメーカーだったと、その後誰かから聞いた。別れた後に一度だけ、泣きながら電話をかけてきたこともあった。
大村湾を挟んで、対岸の街で多分彼女は暮らしている。車で一時間くらい、船に乗れば30分でついてしまう距離に暮らしていても、僕たちの生が二度と交わることは無いんだろう。
同窓会の夜の出来事。この街の暮らしとかけ離れ過ぎていて、時が経つほどに、思い出すシーンが自分のことでは無くて、ドラマのワンシーンのように思えてくる。あれは本当にあった出来事だったんだろうか?確かめる術は、今の僕には無さそうだ。