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言葉を文字に起こすということはめちゃ難しいんだなぁ。

少しこの記事について書くぞと決めてから
時間を空けてみた。
それは 何となくのことだった。

言葉が道具である事は
最近よく感じる事だった 言葉があるから
伝えられることが増えたというのは 人が人たるゆえんかもしれない。

ただの伝達の手段ではない。
日本語は特に 文字に起こすと 文字に意味を載せることができる
音だけを伝えるのではなく 意味をそして 温度も乗せられるのだろう。
文字を使うだけで その言葉は 深くなったり
軽くなったりする

相手と自分の間にある世界観をチューニングすることで 言葉は その意味も温度感も近い形で届くのだろう
そんな感覚だ

音を表すだけの 文字しか使わない人たちより
意味をものせて使うことができる人たちの方が
きっと 豊かに表現できるのだとおもう。

言葉も 文字も 道具である
それを使う人間がどう使うかで その価値は変わってくる
相手に合わせて 言葉を選べることは 武器だ
相手に合わせて 意味を受け取ることができるのも武器だ

表現が多ければ多いほど
表現が豊かであれば豊かであるほど
世界の感じ方は変わるのだと 私は思う

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