すずめの戸締り か。。。

みんフォト使っていただくと
自分とは違う目線 世界線の記事と出会う

あたりまえのこと

私のフィルターで その記事を読むと
またそれは違った形なんだろうなと
これを読みながら 思った。

私は すずめの戸締り の表現の仕方が
なんだか うやむやにしたまま 世間に受け入れさせる
そんな手法で語られている感じがして
気持ち悪かった。
何度も見に行きたい作品でも
見にいく作品でも
誰かにおすすめしたい映画でもなかった。

こういうのが 認められる世界なんかー。
私の感覚外れてるんだなーと感じた映画の一本だ

臭いものには蓋
そうやって 問題先送りにする
それを みんなにしろと言っているような
そんな感覚を私はこの映画をみて思った
今の表現だから これは
みた瞬間の表現の仕方とは違うんだけど
根底の言いたいことはおんなじであることは
私だけがしっている。

臭いものには 蓋といえば
先送りした 蓋をしたものに なに 蓋して隠してんねんっておもわないだろうか?

不発弾があって 埋めちゃえって当時埋めた結果
今頃 見つかって 電車は止まるは
近くの人は 避難せなあかんわってなっている時って
「なんで処理せんと埋めてんねん!」って思わないだろうか?

この映画でしている戸締りは
不発弾の撤去ではなく、起爆装置だけ抜いてまた埋めときますってことだ。
地震を起こすような危険なエネルギーを
今爆発しないように 閉じ込めてしまうだけ
それは、 他国と日本の関わりの中でもあるじゃないか。未来の人に解決策は託すやり方だ。

最初に処理しておいた方が 後で修正するより
楽なことは みんな人生経験の中でしているのではなかろうか?
あとで修正することになって めっちゃ頑張らなあかんかったことって
仕事してると 山のようにある
なんで最初に この項目入れといてくれんかったんだろう?って
そんな ことって どこの会社でもあると思うんだ

これからはちゃんと入力しましょう!
そういって・・・
過去データをどこかで整備する作業をするならまだしも
せずに使って 使えんデータだとか言ってしまう人は多い

戸締りは ただの対処療法に過ぎない。
このイメージを私は強く持ったのだった。

閉じ込め続ける事はできないとしたら?
そんな事を考える。

きっと見方 感じ方は違う
全部 正解なのだ。
全部正解であってほしいのかもしれない。

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