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いい夫婦のかたちとは ~九十歳のラブレター感想~
先日の11月22日、いわゆる「いい夫婦の日」に
精神科医の樺沢紫苑先生がXで以下の投稿をしていらした。
「結婚すれば、誰でも幸福になる」とは言えませんが、「結婚し、しっかりとしたつながりが構築できれば、幸せになれる」と言えます。 付き合い始めは「ドーパミン的愛情」がメインの「情熱的な愛」からスタート。 それが「オキシトシン的愛情」に置き換わっていくことで「永続的な愛」になるのです。
#いい夫婦の日
この日、ちょうど私は一冊の本を読み終えた。
「九十歳のラブレター」加藤秀俊著
糟糠の妻を亡くした90歳(執筆当時)の著者が、出会いから別れまでを振り返るエッセーだ。
ここには、
「情熱的な愛」=「ドーパミン的幸福」から
「永続的な愛」=「オキシトシン幸福」に至り、続けた過程が書かれていた。
「ドーパミン的幸福」から「オキシトシン幸福」へ
ぼくはどうしてもあなたが好きだった。
小学校で同級だった著者とその妻は
青春時代に通学路で再会し、じょじょに親交をふかめていく。
著者は妻が好きすぎて、
いわゆる「ストーカー」だったそう。
昭和27年5月1日の「血のメーデー」事件に居合わせたあと
急速に距離が縮まったものの、お互い若かったため結婚には至らず。
その後、著者は研究のため渡米。
アメリカでの研究が長引いたことで急きょ結婚、
新妻は貨客船と飛行機を乗り継ぎ、単身著者のもとへ向かう。
ものすごくドラマチックな話である。
このあたりは明らかに
「情熱的な愛」=「ドーパミン的幸福」だろう。
研究者とその妻はその後、
ケンブリッジ、京都、アイオワ、ハワイ、東京と居を移しながら、
家庭を築き、それぞれのしたいことをしていく。
妻は夫の異動については
いつも「好きなようにしたら」と肯定した。
家事や育児をきちんとしながら、
海外ではボランティアで学生に日本語を教えるなど、
その土地での暮らしを謳歌した。
多趣味で、洋裁、絵画、植物鑑賞など楽しんでいたらしい。
年老いていくと、お互い、病にかかったり、
体が思うように動かなくなってきたり、
年相応に物忘れも発生したりする。
そんなとき、この夫婦は、自然と、お互いがお互いに支えあうのだ。
そんなふうに、おたがいかなり深刻な病歴と持病を持ちながら、ぼくたちはその晩年をたのしくすごしてきた。ありがたいことに、車椅子はもとより、杖にたよったりもせず、ゆっくりながらふたりいっしょに自立して歩くことができた。ぼくは左耳のほうがよくきこえるから、あなたはぼくの左がわにならんでぼくの左腕に右手でしっかりつかまって歩いた。(中略)
そんなぼくたちが小声で話しながら行きつけのデパートの売り場を歩いていたら、顔なじみの女性店員が「まあ、いつもお仲がいいこと」と声をかけてくれたことがあった。そのときあなたは即座に彼女にむかって、「仲がよくなきゃ、こんなに長生きしないわよ」とほほえみながらこたえた。そのやりとりをききながら、ぼくはいまから七十年まえ、祐天寺の駅のあたりで胸をときめかせてあなたの手をにぎったころのことを思い出していた。
当然、この歳月のあいだにぼくたちは年齢をかさね、もう九十歳になろうとしている。握り合っている手や指も、おたがいずいぶん痩せ細ってしまったが、ふたりのあいだを静かに流れている微弱電流のようなものはすこしもかわっていない、とぼくはおもった。そして、あなたもまたおなじ感覚をわかちあっていることが、指先から確実につたわってきていた。
核家族で、夫婦仲良く過ごすにはどうすればいいのか――
本書はそのひとつの答えを示唆していると思った。
若いころの熱情は温かなときめきに形をかえ、
事あるごとに確認できること、ではなかろうか。
もっと夫婦仲良くいたい、
今後老いたら自分たちの夫婦関係どうなるのだろう、と思うひとには
ぜひ読んでほしいと思った。