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年齢別、心の育ちを支える保育

どうもしろやぎ保育書房です

はじめに

みなさん。子どもたちの心の育ちを支える保育、されていますか? 

以前、心理学者の鯨岡峻さんの著書を紹介しました。

そこでは、現代は子どもたちの心の育ちが阻害されている。そのために、保育者は、子どもの心を育てるための「養護の働き」を大切にしよう。とお伝えしました。

これは保育者の「養護行為」よりも、保育者の「心持ち」こそが大切である、という内容でした。

例えば、0歳児が泣いているとき、わたしたちは「よしよし」といって抱っこをします。
しかし、この時に保育者が「早く寝てくれないかな~」と思いながら抱っこをしていると、その気持ちは子どもに伝わってしまいます。
逆に、保育者が「愛おしいな」と思って抱っこすれば、子どもの気持ちに寄り添うことができる。それこそが、子ども達の心の育ちを支える保育なんです。

こういった保育者の「心もち」こそが、子ども達の心を育てる為には必要だ、という話でした。

衣服の着脱ができる。お箸が持てる。トイレに行けるようになる。
こういった何かができるようになる事は、成長の喜びです。
しかし現代では、子どもが何か出来るようになることや、目に見える発達だけが重視されてしまいがちです。

私たち保育者は、目に見える発達だけでなく、「目には見えない」子どもたちの心の育ちを、しっかりと支えていく必要があるのではないでしょうか。

今回は、そんな「子どもの心の育ちを支える保育」について、改めて考えていきたいと思います。

子どもたちの心はどう発達していくのか。
子どもたちの心の発達段階において、保育者は具体的にどう関わっていくべきか。

明日からの子どもたちとの関わりにおいて「心の育ちを支える」という視点を持って保育をしていただけるよう、お話していきたいと思います。

今日の参考文献はコチラ
『機微を見つめる 心の保育入門』山田真理子著 になります

それでは今日もよろしくお願いします


1、本書の概要について

著者の山田真理子さんは、九州大谷短期大学の名誉教授です。
還暦のタイミングで大学教授をやめ、保育者養成と保育者養成に関わる大学教員のための学び場「子どもと保育研究所ぷろほ」を立ち上げました。

さらに2000年には、子どもたちや保護者の心のケアをする「保育心理士の資格」を立ち上げ、その認定と養成に力を入れて活動されています。

山田さんは、心理学者の河合隼雄さんに師事して、臨床心理学や箱庭療法を学んだそうです。本書にも河合隼雄さんの推薦文が載っていますね。
本書は、そんな臨床心理学を専門的に学んだ著者ならではの視点で書かれている本となります。

初版の発行が1997年と20年以上前の本になります。
なので書かれていることが少し昔の考え方だなあと感じる部分もあります。
しかし時代が変わっても、保育の本質というものがあまり変わらないのと同じように、本書の重要な部分は、現代の保育現場にも十分活かせる内容です。

むしろ、こういった「子どもの心の育ちを支える」といった内容の書籍は最近少なくなってきているように感じるので、現代にこそ読む価値がある本だと言えるのではないでしょうか。

2、0~5歳児の発達課題と心の発達を保証する関わり

さて、幼児期が人生の基盤であり、幼児期の体験が人生に大きく影響するということは、皆さん理解されていることだと思います。
なので、保育に携わる方々は「幼児期だけを乗り越えればいい」と考えて保育をしていないと思います。

しかし残念ながら、幼児期に体験していないことや解決していないことがあるために、思春期に問題行動やつまずきとして現れることがあり、それが増えている印象も拭えないと山田さんは言います。

この指摘は、心理学者・鯨岡俊さんの見解と重なる部分があります。
また、2020年ユニセフの報告書で日本の子どもの精神的幸福度が低かったことや、年々数が増えている子供の自殺率から考えても、ある程度妥当な指摘かと思われます。

山田さんは、「本来幼児期に体験しなければならないはずの事がやり残されてしまい、そのやり残したことのために、思春期で子供達がつまずいてしまう」といいます。

では、保育園や幼稚園で子供と関わる保育者が、幼児期のやり残しのためにつまずく子どもをこれ以上増やさない為に、特に「心の発達」を保証するために、何が必要なのでしょうか。

山田さんは「発達段階に合わせた保育」こそが大事だと言います。

発達段階に合わせた保育、というのは保育現場では当たり前の言葉として使われています。しかし、発達段階のどういう面に合わせて、どんな配慮のもとで、どんな保育がなされているのかというのは、園によってまちまちであることが多いです。

ここで山田さんが言う「発達段階に合わせた保育」とは、
「その年齢の子供はこれができる」という意味だけではなく、
「この年齢の子どもにとってこの時期は、こんな心の状態であり、そのことを十分に体験できる保育を展開することができて初めて、発達を保証することになる」ことを指しています。

つまり、
各年齢の子どもの心の状態を理解し、
その時期にふさわしい体験が十分できる、
そんな保育が大事だ
ということです。

それでは、各年齢の発達段階、そしてそれを支える保育について見ていきたいと思います。

「0歳児の発達課題:基本的信頼感」

0歳は胎外胎児期といわれ、親の全面的な養育なしに、育つことが難しい時期です。心の発達段階から見ると、この時期は「基本的信頼感」が育つ時期です。

基本的信頼感というのは、具体的には、
・「自分はこの世に生きることを認められた存在なんだ」(自信や自尊心ですね)
・「この世は自分が生きる上で守ってくれるし許してくれるんだ」(人間を信頼すること)

このように、「自分や周りの世界を信頼する気持ち」を指しています。

では、そんな基本的信頼感を養う上で、必要な体験はどういった体験でしょうか。

0歳から1歳くらいまでの子供にできることはまず「泣くこと」です。

喉が渇いた・お腹が減った・お尻が冷たい・暑い・寒い・痛いと言ったことを、泣いて表現します。生物は、「快」よりもまず「不快」を表現して、訴えることで自分の身を守ります。

赤ちゃんが泣くとお母さんやお父さん 、また保育者など世話をする人が飛んできてあたふたと世話をします。

「お腹が減ったのかな」「お尻が濡れているのかな」「汗をかいたのかな」と色々と世話をするうちに、赤ちゃんは不快感がなくなって心地よくなります。そして泣くことを止め再びぐっすりと眠ります。

このように、不快を感じる、泣く。世話をされる、心地よくなる。

0歳児は、これを何度も何度も繰り返します。 世話をする方は1日に何回も何十回もさせられて大変ですが、子供の心の中では「不快を訴えれば、心地よい状態にしてくれる」という体験を何度も繰り返していることになります。

すると、赤ちゃんの心の中では、
「自分は、不快を訴えれば、快の状態にしてもらえる存在なんだ」
という気持ちが芽生え、
「自分は生きていることが守られている存在なんだ」
「自分はこの世に受け入れられているんだ」
「この世は自分を守ってくれる世界なんだ」

と言ったふうに、「基本的信頼感」が育つ体験が積み上がっていきます。

一回で基本的信頼感が身につくなら世話をする方も楽ですが、そうはいきません。一日に何十回も一年に何千回もするのが大切です。

赤ちゃんは、不快な状態から快の状態に変えてもらう度に、ホッとする。この「ホッ」とする体験が、長い年月をかけて、ゆっくりと心の奥底に溜まっていく。
そして、心の奥底に溜まった体験が「基本的信頼感」になっていくんです。

まとめると、0歳児の発達段階が「基本的信頼感」の獲得であるとすれば、0歳児に必要な体験は、この「ホッとする体験」であり、乳児の訴えに対して応え、快の状態に変えてあげることを繰り返す。これが発達保障になります。

この基本的信頼感が育っているのかどうかが問われるのは、思春期のときだ、と山田さんは言います。

人は思春期において「自分は何のために生きているのか」「何のために生まれてきたのだろうか」と根源的な深い悩みを抱えます。
自分とは何か、自分はどうして生きているんだろうか。このような問いに答えるためには、一旦自分の心の奥深くまで潜って考える必要があります。

このとき、心の基盤がしっかりと育っていると、
「自分は生きていてもいいんだ」
「自分は生きることを支えてもらえる存在なんだ」
と考えることができます。不安定な思春期の時期を乗り越える事が可能になります。

この「心の基盤」とは、「確固たる自分への信頼感」です。
つまり、この心の基盤こそ、0歳の時に培われる「基本的信頼感」だ、と言えるんですね。

「1歳児の発達課題:発見・感動・伝達・共感」

今までは、母親の肩越しにこの世界を見てきた乳児が、一歳を過ぎるころから自分の足で歩き、自分の周りの世界に働きかけ、自分の手で触れるようになります。
体験は間接的なものから直接的なものに変わります。

視力の面でも1歳はかなりはっきり見えるようになります。
今までは見えていたとしても、母親のフィルター越しに見ていたようなもので、実は、1歳の時に見るものが、人生においてはじめて自分の感覚で見るものといえます。

つまり、花や虫、植物、動物などなど、生後1、2ヶ月で見ていたものがあったとしても、「自分の感覚で見た!」と捉えるのは、1歳が初めてだということです。

なので、その時の「発見」はもう「感動」です。一才児は発見と同時に興奮します。声を上げて捕まえようとし、捕まえたものを差し出し、体中で「発見」を表現します。

そして発見し、感動した子、それだけでは終わりません。必ずその感動を誰かに伝えようとします。親や保育所などなど、伝える相手を探し、手に持っていればそれを差し出し、持てないものは指をさして、大きな声を上げて人を呼びます。感動を「伝達」しようとするのです。

そして伝えた相手から、期待したような共感や賞賛、賛同、が得られた子供は、さらに次なる発見へと関心が広がります。これが好奇心の始まりです。

このように、

発見する、感動する、伝達する、共感を得る、そしてさらに発見したくなる。

これを繰り返して1才児の心は育っていきます。

では、「1才児の発達を保障する保育」というのは、どう言ったものでしょう。

それは、子どもが「発見」し「感動」する体験にできるだけたくさん出会えるような「環境」を用意すること。そして、子どもの心を「発見」に導くこと。また子どもの「発見」に対して「共感」をもって接すること、といえます。

それでは、
そんな1歳児の「発見」「感動」を保証する保育とは、具体的にはどんなものでしょうか。
山田さんは、七夕を例に挙げています。

山田さんなら、園で用意した笹の中で一番太くて、一番大きい笹を1歳児クラスに用意するそうです。さまざまな色の短尺、モールや星飾り、イルミネーションで光らせたり、保育室を星でいっぱいにしたり、部屋中を星の世界にして子供達を迎えたいと言います。

保育室に入ってきた子どもたちが大きな笹に感動し、星を指差し、感動を伝え合い、共感しあう。このようにして一日遊んだら、別に願い事を短冊に書かなくても、1歳にとって十分な体験ができた、と考えるそうです。

どんな環境で、どんな出会いができるか。どんな驚きと感動を引き出し、感動を伝え合い、共感しあえる時間を作るか。こんな保育が1歳の心の発達を保証する保育になり得る、ということです。

さて、この一才児が、発見した感動を人に伝えようとする行為は

「自分が嬉しいものを見せると相手が喜んでくれた」「その相手が喜んでくれたことで自分の心まで嬉しくなった」といった体験を生み、ゆくゆく「人の心がわかる」という育ちにつながっていきます。

なので、一才児が何か発見したことを伝えてきた時に「汚いわね」「そんなの捨てなさい」といった「拒絶の対応」をしていると、「人の心がわかる」という育ちには繋がりません。

また、小学校になってから「人の心がわかる子になりなさい」といくら言っても、そんなの無理だ、ということになります。

もし、人の心がわかる子どもに育てたいなら、

1歳の時の「発見・感動」に対して、保育者がしっかり共感する、ということを忘れてはいけません。

「2歳児の発達課題:身体を通して世界をつかまえる」

2歳を過ぎる頃、急に集中力が低下し、落ち着きがなくなってくると感じることがあります。これは2歳児の特徴として、運動能力が高くなり、体を通して世界を捕まえることが、発達課題の中心になってくることによると思われます。

今までは走れば転んでいたのが、きちんと走れるようになり、段差を飛び降りたり、手が届かなかったところに届いたりするから、体を使っての活動が面白くて仕方がないわけです。

一歳の時は「発見」つまり「感覚を通して」この世の中を捉えていったのですが、 2歳児では運動能力の進歩から「身体を通して」この世を知りたがるのです。

走って転んで、怪我してぶつかって泣いて、飛び降りて足が痛い、手で触って冷たい熱い。そんな事を何度もやってみて自分の体で覚えるのです。
なので、落ち着きがなく見えるのは当然です。

しかし、これが2歳の発達段階として重要なのだとしたら、
保育において、めいいっぱい体を動かすということは非常に重要であると言えます。自分はどれくらい走れて、どのくらいの高さを飛べて、どのくらいのものが持てて、何ができないのか。
そんな「体を使って知る」という体験を、保育の中で積極的に取り入れる必要があるのではないでしょうか。

逆にこの時期にじっとさせるということは、子どもの発達を妨げることに繋がってしまうので、どこかに出かけるとしても、じっとしていなければならないところには連れて行かないということが、発達を保証することに繋がります。

先ほどの七夕を例に考えると、
山田さんなら、一人一人が持って歩けるサイズの小さな笹を用意するそうです。

これなら、七夕飾りをした後に「お星様に見せよう」といって、園庭を駆け回ることができます。もちろん、怪我をしたり、汚れたりすることもあるかもしれませんが、それも必要な体験です。

この2歳の時期に、あまり身体を通しての体験をせず、

汚れたり、怪我したりすることのなかった子供は、自分の身体のイメージが不安定なまま育ってしまいます。

児童期になっても身体の協応的な動きがスムーズにできなかったり、思春期には身体感覚を確かめるために必要以上に自分の体を痛めつけたり、過剰に飾ったりするというような傾向を持つようになってしまいます。

「3歳児の発達課題:自己主張と攻撃性の発散」

3歳児の特徴は二つあり、一つは「自己主張と攻撃性の発散」
そして、もう一つは「ファンタジー能力の開花」です

3歳になると、自己主張が強くなります。
そして、そこに「攻撃性」が含まれることが多くなります。

これは、今まで周囲からもらってきた「心のエネルギー」が、心の中で十分に養われ、溢れてしまい、そのエネルギーが外に向かって放出されるためだ、と言われています。
溢れたエネルギーが「攻撃性」となって、外に向かって出てくるわけです。

「攻撃性」と聞くとなんだか「乱暴」とか「暴力」といった悪いイメージになりがちです。しかしこれは、「心の中から外に向かって出てくるエネルギーが、自分に不都合なものを排除しようとする、生物として当然なエネルギーの使い方が実行されているだけだ」と山田さんは言います。
そして、そのエネルギーの使い方がまだ未熟なため「攻撃」という形になるようです。

しかし、この「攻撃性」というものは、積極性や活動性、やる気や意欲といった、生きるために必要な能力の源になる、とも言われます。
なので、危ないからダメ、そんなことしてはいけません。とすぐに押さえつけてしまったら、その子の「積極性」や「やる気」の種をつんでしまうことにもなりかねません。

また、この時期に「攻撃性」を抑え込まれ、自己主張の種が十分に育たなかった子は、「自分を表現するきっかけ」を失うので、中学生や高校生になってから「自分を表現しましょう」「自分らしさを保ちましょう」と言われても、なかなか実現できません。

つまり、この3歳の「攻撃性」は、「積極性」や「やる気」の育ちに重要というだけでなく、その子の「個性」の育ちにも非常に重要な発達であるといえるのです。

では、そんな3歳の「攻撃性」をどのように保育で保証すればいいのでしょう。
「そんな子はこのクラスにはいりません」と突き放すと、子どもの個性は育ちません。
「いうことを聞きなさい」「ダメなものはダメ」と押さえつけると、幼児期にはいい子でいても、思春期に爆発してしまいます。
だからと言って「反抗期だからしょうがない」と放っておくと、最低限の社会のルールを学べません。

ここで山田さんは、この時期のもう一つの特徴の「ファンタジー」をうまく使おう、と提案しています。

つまり、「ファンタジー」という「ごっこあそび」の中で攻撃的で発散的な遊びを十分にする、ということです。

想像を膨らませ、敵や怪獣、悪魔や悪者を作り、それに向かって攻撃性を思いっきり発散をするんですね。よく言われるのは、紙に書いたものや段ボールで作ったものなどに、ボールを投げつけて、攻撃性を発揮するような遊びです。

山田さんは、さらにそこに物語性も入れて提案します。

保育者がみんなに話しかけます「みんな、昨日この部屋に怪しいものが入ったみたいだよ。なんだか怪しいね〜?」すると子供たちは「ほんとだ!なんかおかしい!」と言いだします。3歳児は、最もその気になりやすい時期、誘えばすぐにファンタジーの世界に入ってきてくれます。

「みんなで飼っている小鳥さんが怖がっているね。このままじゃ小鳥さんが泣いちゃうかもしれない。みんなでその怪しいものを探し出してやっつけようよ」

3歳の子供たちはすぐに「さがそう!」となります。しかし「このままじゃ、僕たち弱いかも、もっと強くなってからいこう」といって、

色紙やテープで思い思いに、武装を始めます。そして「わるものどこだ!」「小鳥さんをいじめるな!」「でてこ〜い!」というように、叫び、手を振り回し、足を踏み鳴らし、悪者を探します。

この一連の行為の中で、子供たちは自分の攻撃性をどんどん「昇華」させていきます

最後は、あらかじめ悪者に変装して隠れていた園長を園庭で見つけ、走り回って追いかけます。そして悪者を追い払ったあとは「小鳥さんよかったね」「わたしたちが守ったからね」と小鳥に話しかけ、くたくたに疲れながらも、イキイキと活動を終えたようです。

この事例の非常に興味深いところは、
子どもたちが十分に「攻撃性」を発揮し、それが「優しさ」に変化していく様子です。

山田さんは「優しさや正義感は、攻撃性を十分に出し切った子にしか生まれない」と言います。

3歳の頃「叩いたらダメ!乱暴なこともダメ!」と全ての攻撃性を抑え込まれて育つと、確かに、外へ攻撃性をださない子に育ちます。一見、とても優しい子に見えます。しかし、それは「弱い優しさ」だ、と山田さんは警笛を鳴らします。
「強い優しさ」こそが本当の優しさだ、というんですね。

では、強い優しさとは何か。
それは「優しさ」の影に「攻撃性」が潜んでいる、ということです。

例えば、自分で立ち向かっていく強さがあること。
大切なものを奪おうとするものに対しては、攻撃し返す強さがあること。
そんな、時には、断固として立ち向かっていく心こそが、幅のある豊かな優しさ、すなわち「強い優しさ」であると言っています。

「4歳児の発達課題:おせっかい」

3歳は自我や個性が芽生える時期だと言われますが、自己主張し攻撃性を発揮する中で「自分」を掴んでいった子供は、4歳になると今度はその「自分」を使って何かがしてみたくてたまらない時期になります。

つまり「自分はこんなものが好きでこんなものが嫌い。こんなことをしたくてこんなことはしたくない」ということが分かったら、次は「こんな自分を使って何をしようか、何の役に立つんだろうか」と考え始めるわけです。
これがいわば「おせっかい」と呼ばれる4歳児の特徴です。

「これしてあげる」「手伝ってあげる」といって
先を争って何か手伝おうとしたり、進んで小さい子の面倒を見たりします。

この4歳のおせっかいは、その子が「将来人と繋がろうとする人間」「人に手を差し伸べようとする」「見て見ぬふりをしない人間」になることの第一歩です。

しかし、現代の社会にはそんな子供たちの「おせっかい」が十分に発揮できる環境が整っていません。地域でいろんな年齢の子どもたちと遊ぶ機会が減り、家事も便利な電化製品がこなしてくれることが多いです。

子供がお母さんの家事を手伝おうとすると「いいから邪魔しないで。今はあっちにいってて〜。それが一番の手伝いになるんだよ」と返されます。

そういった環境で育つ子どもは、
「人が忙しそうな時には手を出すのではなく、遠くで自分のことをするのが一番だ」
「人が大変な時は、見て見ぬふりをして手を出さないのが一番なんだ」と学んでしまいます。

そんな自分のことばかり考える人間ではなく「困っている人に手を差し伸べたい」「自分も何かの役に立ちたい」と思える人間に育つためには、4歳のおせっかいが発揮される時期に、「自分が何かの役に立っている」と誇りを感じられるように接することが必要です。

例えば、小さい子たちの面倒、植物への水やり、動物昆虫の飼育、友達や保育士のお手伝いなどなど、こんな「おせっかい」を十分に体験することが大切です

4歳は人生で初めて「人の役に立ちたい」という思いが芽生える時期です。単なる「おせっかい」だと思わず、成長する上で必要不可欠な「おせっかい」として、素敵なものとして認め、正面から受け止めるようにしましょう。

「5歳児の発達課題:人生を支える人間観」

この5歳という年齢は、幼児期の中でもまだ未熟ではありますが、一つの完成時期だとも言われます。そしてこの時期には「人間として大事なこと。ここだけはしっかり持って育ってほしい」ということを、保育者が伝える必要があります。

5歳の幼児期が終わり、小学校の児童期に入るころ、子どもの心は一定の落ち着きを見せ始めます。
そして、この心が落ち着いてくる時期に、知識の吸収が可能になってきます。

人間の「心」と「頭」は、同時に動かないことが多いと言います
心が動いている時、頭はあまり動きません。逆に頭が動いていると心は動きません。

落ち着かない時、イライラしている時は計算を間違えやすくなりますし、緊張している時には思い出せなかったことが、落ち着いた途端に思い出せたりする、というのはこのためです。

このことから、心が落ち着いてきた児童期には、知識を吸収するような「学習」というものがとても効果的になると言えます。

一方で、幼児期に心の発達を保障するためには、頭を動かすことより、心を動かすことを大切にする必要があるということがいえます。
知識の吸収を第一に考えてしまうと、知識を吸収するために、心が動かなくなってしまうからですね。

さてさて、このように、頭を動かして知識の吸収を行っていく「児童期」に入る前に、5歳児の間に「人間にとって大事なこと」これを保育者から伝えておくのが大切だ、と山田さんは言います。

そして、この時期にこそ、伝えておきたいのが「命の大切さ」です
それは「命は大切ですよ」と何度も口で説明する、ということではなく、実感を伴う体験をしてもらうこと。
さらに、命の大切さを知ってもらうために、「その命の終わり」に出会う、という体験が欠かせません。

このような命の大切さを知る体験には「植物の力を借りる」ことが効果的です。
また、実がなり、収穫し食べることができる植物、トマトやきゅうり、がおすすめだそうです。

芋掘り、稲刈りだけをする保育もありますが、命を育てる経験をするためには、実際に自分達が水をやり、世話をして、日常的に関わりが持てるものの方が向いています。

子供たちは毎日水をやり、友達のように話しかけ、きゅうりに共感しながら育っていくのを見守ります。
また、元気がなければ、水が足りないのかな、と心配し、植え方や肥料が悪かったのか、と考えます。こんな時に保育者は、安易に解決策を出すのでなく「頑張れきゅうりさん!」と声をかけたり、一緒に心配したりすることが大切です。

土日に園が締まって、水が足りずに萎れてしまったら、慌てて水を上げる子も出てきます。
うまくいかないことを通し「世話をすると育つけど、世話をしないと育たない」ということを知り、命があること、生きていることを実感することに繋がります。

きゅうりがうまく育つように、土日にまで出勤してきゅうりに水をあげる保育者の方もいますが、それでは「手をかけなくても元気に育つ」と間違った学びに繋がってしまいます。

わたしたちは、きゅうりが見事に育つことを目指しているのではなく、きゅうりの栽培を通して子どもたちの心を育てようとしていることということを忘れてはいけません。

昨日より今日、今日より明日、実ったきゅうりは毎日確実に大きくなっていきます。子供たちは誰から教わらなくても「きゅうりは自分達と同じように生きていて、同じように育っているのだ」ということをしります。

そして収穫です。

今まできゅうりを育てるためのジョウロを持っていた手が、ハサミを握ります。そしてその時に「収穫は実を取ること。そしてそれは、きゅうりの実の「命をたつこと」になる」と気づきます。

きゅうりを毎日世話し、育っていく姿に共感していた子どもたちの心は立ち止まります。

この時に、山田さんは一緒に悩み、相談してください。と言います。
「このままにしておくとどうなるかな?そのうち、腐って落ちてしまうねぇ」
と問いかけながら、子どもたちの決断を待ちます。

大抵は収穫することを選択しますが、考えて決断し収穫したきゅうりの命の重さに、子どもたちの心は揺さぶられます。
収穫物は食べると美味しい。でもそれだけでなく、それは、食べた人の糧にもなります。

体験を通し、保育者との対話を通して、
「自分はきゅうりの命をもらって生きている」
「目の前にある食事の全てが命あったもので、自分達は命を奪えないと生きていけない」
「たくさんの命をもらいながら生きている」と感じることができるようになります。

こう言った「命の大切さ」を体験する保育を通し、いずれ大人になった時に、自分の命も人の命も大切にできる人間になっていくのではないでしょうか。

まとめ

今日は年齢別の心の育ちを支える保育について見てきました。

現代は、幼児期に体験していないことや解決していないことがあるために、思春期に問題行動やつまずきが現れている子が多いです。

そんな子どもをこれ以上増やさない為には、「心の発達段階に合わせた保育」こそが大切です。

0歳は基本的信頼感を身につける時期です。

不快を感じて泣く。世話をされて心地よくなる。
こう言った体験を繰り返し繰り返しすることで「自分は、不快を訴えれば、快の状態にしてもらえる存在なんだ」「自分は生きることが保障されている存在だ」と感じます。
思春期には、この基本的信頼感が心の基盤となり、「自分は生きていいんだ」と思うことができ、不安定な時期を乗り越えることが可能になります。

1歳は発見し感動し、伝達することで共感をえようとする時期です。

一歳を過ぎるころ、自分の足で歩き、自分の周りの世界に働きかけ、自分の手で触れるようになります。世界にある何もかもが、新鮮で発見と感動の繰り返しです。
保育では、子どもが「発見」し「感動」する体験に出会えるような「環境」を用意すること。そして、子どもの「発見」に対して「共感」をもって接することが求められます。
発見に対しての共感が、ゆくゆく「人の心がわかる」という育ちにつながっていきます

2歳は身体を通して世界をつかまえる時期です。

2歳児になると運動能力が高くなり、体を通して世界を捕まえることが、発達課題の中心になってきます。1歳は「感覚を通して」世の中を捉えていましたが、2歳児では「身体を通して」この世を知りたがります。保育では、めいいっぱい体を動かすということを大切にし、「体を使って知る」という体験を、保育の中で積極的に取り入れましょう。

3歳は自己主張と攻撃性の発散の時期です。

3歳になると、自己主張が強くなります。そして、そこに「攻撃性」が含まれることが多くなります。「攻撃性」は「積極性」や「やる気」、またその子の「個性」の育ちにもつながる重要な発達です。押さえつけすぎず、突き放さず、十分に攻撃性が発揮される機会を保障しましょう。ごっこ遊び、ファンタジーの世界で、子どもたちの攻撃性を発散することがおすすめです。弱い優しさではなく、強い優しさを育むことに繋がります。

4歳はおせっかいが始まる時期です。

3歳で自己主張し攻撃性を発揮する中で「自分」を掴んでいった子供は、4歳になると今度はその「自分」を使って何かがしてみたくてたまらなくなります。
現代は、そんな子供たちの「おせっかい」が十分に発揮できる環境が整っていません。「自分が何かの役に立っている」と誇りを感じられるように、おせっかいが十分発揮できる機会を保障しましょう

5歳は人生を支える人間観を伝える時期です

頭の発達が加速する児童期に入る前に、心の育ちの総決算。保育者はこの時期に「人間として大事なこと。ここだけはしっかり持って育ってほしい」ということを、伝える必要があります。「命の大切さ」を伝えるのであれば、実がなる植物の栽培が役に立ちます。


 今日は以上になります。 どうも、ありがとうございました!

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