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世快を創る

他者への怒りを思う時、
自分の不快感を忘れ(そのままにして)
他者への不満を思考し続ける。
怒りでトランス状態に。
そしてそれは持続する。
この時、
僕は一時的に《怒る人という役》に入り込む【名女優】になる。

他者への感謝を思う時、
自分の心の心地良さ(快)を感じながら
他者への感謝を思い続ける。
しかし
その快は持続しない。
だからこそ
できる限りの感謝できる対象を見つけようとする不断の努力が必要となる。
この意識が
一時的な《感謝する人という役》に入りながらも舞台のストーリー全体を見通している為【大女優】となっている証になる。


食欲を満たすことで得られる“快“も一時的。
間も無くして、空腹になり不快を覚える。
不快は食べるまで持続する。

性欲も睡眠欲も同じ。

満たされることで感じる“快“は刹那的。
満たされぬことで感じる“不快“は
満たされるまで半永続的。

感謝の心も三大欲求に近しく
小さくても絶え間なく満たし続ける意識が不可欠となる。

食欲・性欲・睡眠欲のように
“快“を感じ続けることで【生きられる】
とするのなら
感謝によって
“快“を感じ続けることで【幸せに生きられる】。


怒りは対象が
たった一つのこと、
たった一人の人でも
半永続的に“不快“な我を忘れて(そのままにして)【不幸せに生きられる】。

この快と不快の舵きり、
幸せと不幸せの舵取りが
僕が選べる一つのこと。


演劇を観ていても
【名女優】は不快な芝居に多く見られる。
不幸な役に【名女優】は多いのです。
【大女優】は
不幸なストーリーでは脇役(サポート役)として出演している場合がほとんど。
喜劇において素の個性のままに主役をやることはあっても。


世界がもしも世快なら
それは正解。
正解の世界は世快だと僕は思います。
しかし
世の全てを知ろうとすれば
不正解を知ることで
正解の世界を選べるのかな、
と思います。
それが世解。
つまり世を解き明かすということ。

世界の界とは“さかい“(境)の意味。
世という全ての中で
自分の世界を創れるのが
肉体という個を持つこの世。
地球という全体の世の中にあって
國境というその國の世界があるように、
個人もまた独自の文化をもって
個人の世界を築けるのです。

世とは別次元で
國境は人間が創ったもの。
世界もまた人間が創れるもの。

人間が
世を創れると思うのは傲慢なのかもしれませんが、世界は人間の責任の元に創れるのです。

僕の世界は僕の責任の元に
世快として創り運営します。
その為に
感謝を探し続け、快を感じ続けられるように
顔晴ろうと思うのです。
それが僕の世快の正解であると
この世快のピーターパンみたいな王が申しております。

チンギスハン
フビライハン
ピーターパン

ピーターはん

ひょっこりピーターはんが申しております😆


またねっ👋
チャオ❣️🥰


祭統 白宇
SHIR㊉W

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