すごい世の中になったなあ と感じる日々
こんばんは、はぐみです。
皆さんは最近マイブームな曲、ありますか?
私はあります。ありますし、それと並行して2、3年前からずっとマイブームとしてピックアップしている曲もあります笑
それを並行しながら…定期的に「今これ好き!」が変わる部門があります。
でも、マイブームが変わったからと言って、全く聴かないわけではないです。ふとした時に聴いたり、しばらく経ってからMVがYoutubeにおすすめで流れてきたことで、久々にポチッと☆ なんてこともあります。
いづれにしても、振り返ったり思い返してそのままということはなく、毎度感動して「この曲好きだなあ…」という感情にしばらく浸ってしまうくらい、時間が経っても愛してしまうのです。
そういう切り替わり方、リスト入りパターンの曲になりがちなのは、私の場合は歌詞が直接的な曲です。
曲調も好きがあるので、曲調に惹かれてお気に入りになる曲も少しはありますが、最近は歌詞で惹かれることが多いです。歌詞が好きになった曲は、自分の気分が落ちた時に聴く曲にも選ばれやすいです。
私はこれまで、その選曲や気に入りやすい傾向の歌詞を自分の周りの人が見た時に、”闇が深い”、”根暗”とよく言われてきました。自分が闇の深いのは自分でよく分かってはいるので(笑)特に何の感情もないですが、私がこの一年、生きていてびっくりしているのは、ネット上で流行りだす曲の傾向です。
ひとまとめで言うのは勿論難しいですが、大きく2極化してるなと思っていて、暗めな音やバラードに”生死”が絡んだ歌詞の曲か、パンクのような世間的にいう うるさめ の曲調に、結構直接的な言い方をする、訴える系の歌詞の曲が、Tik Tokなんかを見ているとこの2種類がかかりがちだなあと思うのです。
確かに私も、この2要素は好きになりやすいです。バラード曲の流行りは素通りすることが多いですが、包み隠さない、例えば映画やドラマの真相や主人公の衝撃的な過去が掘り返される時の加害者の激白シーンの台詞に使われるような、直接的な言い方や、”生死”について絡めた歌詞、これもまたストレートな言い方になっている歌詞はとっても好きです。
例を挙げるなら、「命に嫌われている。」や「うっせえわ」、「夜明けまで強がらなくてもいい」、HKT48の「意志」なんかはめちゃくちゃ好きです。
普通に推し活動をしていて出会う曲も中にはありますが、例えば「うっせぇわ」なんかはテレビで長い期間(今も)何かと歌われ続けていますよね。また、「命に嫌われている。」に関しては、私がこの曲に出逢うのが遅かっただけで、この界隈では長く愛されていて、多くの人の心の支えになったり、なっていたりする曲です。このような近年の流行りになりやすい曲の歌詞は、家の中や学校、社会の公の場でそんな言い回しをしたなら怒られたり、注意されたり大人から引かれたりする案件な言葉が入っていることが多いと感じます。私の視点的には、だからこそ好きだったり、くりかえし聴きたくなっちゃうので、今の流行りを司る若い人たちもそういう状態なのだろうなと感じます。言っちゃいけないと口を抑えられる言葉こそ使ったり、頭の中を支配しちゃう時期は必ず人には来ると経験上感じるので、その時期をこの歌たちはになってくれているのだと考えています。それが、近年は流行りとして前に出てくるようになったこと。親の世代が「ネットは分からない」と丸投げしちゃい易くて、”見えない世界”が出来たのがネット社会の進化の先の話でもあるのかなあと思いました。ただ、それが刺さりやすいほど若い世代に「生きることの緊張」が響いている、ということだとも考えました。”一緒に頑張ろう”、口だけじゃなくって、本当に行動できる人がたくさんな世界が欲しいです。
この一年ちょっと、生活する中で中心的に使うメディアをテレビからYouTubeに移してから、今までより何倍も流行りが目に見えるようになりました。(だから、テレビの「これ今流行っていますよ」の時差がみえるみえる笑💦)これだけ、流行りというものは短いスパンで新しいものが生まれて、すぐ進化していく。人間や生き物の仕組みというものは、単純な構造をしていない、ということだと私は解釈しています。
流行りは変わるけど、でも捨てたわけじゃない。大勢の中には誕生から長く愛してくれたり大事にしたいと思ったり、想いを胸にずっと持ったままで生きている人もいます。だから「流行り」は決して腐るものではないけれど、流行りを作る歳は卒業して人生の先の地点にいるからと言って、「今これ流行ってるんだろwお前らやべぇセンスだなwww」は違うと思いたいです。
今はコロナが無かったとしても、私達はどこか余裕のない生活をしていて、時間なんてあっても無いような環境で生きています。だから、調べる時間が無いのは分かる。だけど、私はそこをどうしても気にしちゃう自分があってしまうのが、私自身の嫌いなところです。その曲は確かに流行ってる。素晴らしい技術、素晴らしい歌唱力、だからオーディエンスは感動した、胸を打たれた。だから流行っている。でもね、もっとよく調べてみてほしい。流行りの”ウラ”には、たったの数%かもしれないけれど、一生懸命生きた人の証があって。それがその人と応援している人との特別な時間になった瞬間があって。 私にはそんなことがたくさん転がっている世界に見えます。
今はネット社会。過去一桁の数の年内にどんな形でも学生をしていた方から、今、またはこれからの学生は「情報」という教科の中で、インターネットに書きこんだものは簡単には消すことができない、ということを何度も何度も、環境が変わっても念押しのように繰り返し教えられます。今回の話もこれは言えると思っていて、これからの歴史、事柄は私も含め人類が今想像している以上に、簡単には”消えない”世界になっていくと考えています。
だから、過去の発言、過去の行動は”今”掘り起こされる。その時必要なタイミングじゃなくてもです。最悪なタイミングでもです。容赦なく”それ何年前の話してんねん”が掘り起こされて、最近国民が時間を使うことが多かったのはこのためです。これは言い換えれば、「君あの時こういう行動とってたけど、実はいついつの時こういうことが起きてて、だからあの時の君のこういうやり方って本当はめちゃくちゃ不謹慎なんだよ、知ってた?調べてなかったでしょ」がこれからたっくさん出てくるということです。ある種恐ろしい世の中になったなあと感じます。
しかも行動した本人もそれが本当に不謹慎な行動だと感じちゃって、その人は一生を背負うくらいの思いに駆られて生きていくことになるかもしれません。
もうネットがある生活においてリスクを回避する手段は、「顔出ししない」や「登録しない」じゃとどまらなくなってきているのかなあ。
これまでもたくさんの風刺画が生まれていますが、本当にその通りになることを避けるために、より一層想像力と学習する気概を忘れないように生きていかなければなりませんね。頑張ります。
本日も読んでいただき、ありがとうございました。
頂いたサポートにお応えできるよう、身を引き締める材料にしたいと考えています。宜しくお願い致します。