本の読み方は自由でいい。読書家が偉いわけではないが、本とのコミュニケーションは大事だという話

私は結構周囲の人から読書好きだと思われている。
「読書家だねぇ」「凄いね」「そんなに読むの?」そんな言葉をしょっちゅうかけられる。

確かに私は読書が好きだし読むときはよく読む。

しかし私の本好きは本物の読書家とは程遠い”にわか”のようなものではないかと思う。私が読書家を名乗るのは読書家に失礼だ。

なぜなら私は常に書物に接しているような文学人間や愛読書を持つ人とは違い、思い出したように読み始めては止まらないタイプなのである。

どういうことかというと、ときどき何かのきっかけ(図書館や本屋に行く、暇つぶしに1冊手に取る、など)で本を読み始めるとそのまま本の世界にのめり込んでしまうのだが、その”きっかけ”がないと全く読まないのである。
読書は好きなのだが他にやりたいことがあったり、好きなことですらなにもやりたくないと思ってしまうからだ。
調子が良いとき(メンタル的な意味で)は毎日読書の時間を設けて読んでいた時期もあったが、一度ペースを崩してしまうとそれも難しい。
読みたいという気持ちはあるのに、だ。

さらに私は”たまに大食い”する上に”好き嫌いがはっきりした雑食””マイブームに波がある”という変な癖の持ち主であるから、古典文学からベストセラー、作家の名前など何を聞かれてもイマイチ答えられない。

というのも、読み始めれば数週間~1ヶ月くらいはずっと本ばかり読んでいて、ピタリと止まれば全く読まない期間がやってくる。そこで何を読んでいるかというと、そのときに興味がある分野(勉強法、就活本、育児本、小説、ライトノベル、自己啓発系…etc)からこれまたパッと見て興味が出たタイトルをペラペラとめくって選んだものを読む。ときどき同じ著者・作家で揃えたりもするがたいていはバラバラである。〇〇賞受賞やドラマ化映画化、話題になっている本が好きかというとそうでもない。むしろ話題になっている本ほど読んでみれば私に合わなかったりする。(理由は不明、もしかして共感性がないのだろうか。)

話を冒頭に戻そう。
私は人から読書家だと思われているらしい。

それは私の一部を見て「いつも読んでいるのだ」と思っているか、短期間ずつであってもそれだけ読むのであれば読書家だと判断しているのかのどちらかだと思う。

ということはつまり、そういう人たちは私より本を読んでいないということになる。(現に読書家である私の友人は私を読書家だとは言わない。そして彼女に読書家だねというとそんなことはないと言われる。)
私を本好きと評価する人は私以上に本を読まない。母が良い例である。

平日休日年がら年中ほとんどの時間を一緒に過ごしているハズなのに私のことを本好きだと言う母は、全くと言っていいほど本を読まない。
ときどき、本当に興味を持ったらしいタイトルを借りてきて読んでいるのを見るが、年に2~3冊である。(今年に入ってからは以前より育児系の本を読むようになった。)

隣で見ていて思う。
私が言うのもなんだが、それは非常にもったいない。

まあ人の好みはそれぞれなので無理矢理読書をゴリ押しするつもりはないが、ひとつ気になっているのが〈本は買う派か借りる派か〉という問題だ。

母は本は図書館で十分だと言う。

私は使い分けていて、どちらも大事だと思う。

本は買わないと失礼だという人もいれば図書館で借りればいいという人もいる。中古本は絶対に買わないという人がいれば、捨てられるよりいいという人がいる。紙は時代遅れだ(電子書籍派)という人と、本は紙で読みたい(めくりたい)という人がいる。

これを読んでいるあなたはどちらだろうか?

私は大型書店から中古本まで買い漁るし、図書館で上限冊数どころか(家族のカードまで使って)それ以上借りまくるし、電子書籍も持っている。
それぞれにいいところがあってそれぞれにあった使い方ができるからだ。

その使い分け方法も人それぞれだと思うが、特に図書館の利用に関してはもっといろいろな人に足を運んでほしいと思う。

驚きのnote記事を発見した。

この図書館利用率の低さには本当に驚いた。

最近は本読む人も少ないんだろうなくらいには思っていたが、5~6冊は少なすぎる。国民一人あたりということは一人でたくさん借りる人がいることを考えると……ほとんど利用されていないのでは?と思ってしまう。

本に対する考え方も人それぞれであって良いとは思うが、偏った認識だけはしないでほしい。図書館を利用しないのにもその人なりの理由があるのかもしれないが、食わず嫌いはどうかやめてほしい。
そして「図書館に行く理由がない」という人は是非一度わざわざ足を運んでみてほしい。知識とか教養という言葉に縛られて身構える必要はない。
確かに図書館は知識や教養を得られる素敵な場所であるが、それは結果なのだ。読む前からそんなことを気にしていては楽しめないし、苦痛になってしまう。(知識大好き人間はそれで良いのだけれど)
少しでも興味のあるものを初めの一行を読んでみるだけでいい、目次を眺めてみるだけでも構わない、とにかく本に触れるという行為から新たな好奇心を刺激され、自分だけでは知り得ない世界を覗くことができるのだ。日常から非日常へ、想像の世界へ連れ出されるための方法なのだ。


本について語ると、何を読んだらいいのかわからないという人がいる。

そんなことは当たり前である。

例えば貴方は、初めて訪れた見知らぬ土地で、一目見ただけで誰と友達になればいいかわかるだろうか?どの人と恋人になるべきか判断できるだろうか?

人の出会いは一期一会というが、本との出会いもまた一期一会だ。「今、これが気になる!」と思った瞬間がそのとき最高の読むべき一冊であって、そこを逃せばよほどでなければ忘れてしまうだろう。買わずに帰ってもずっと気になり続けている本があったら、それはきっと運命の本かもしれない。"一目惚れ"というアレである。

一瞬で人を判断できないように、本の判断も難しい。
人は見た目じゃないというけれど、結局始まりは見た目の情報がすべてでしかない。人とのコミュニケーションに慣れてくればだんだん「自分が付き合いやすい人」がわかってくるだろう。
本との向き合い方も同じである。見た目と直感で選んで中身を見て、「ウマが合う本」を見つけていけば良い。とにかく経験値を積むことだ。

本の良いところは、自分が違うと思えばすぐに縁を切れるところである。人間関係ではそうはいかないが、こちらがいくら切り捨てようと角が立つことはない。
自分にとって都合の良い人(必要なときだけ手元に置いて、好きなところだけつまみ食いをするように読める本)がいくらあっても誰も文句は言わないだろう。本とはそういうものである。

そんな自分勝手が許される最高のコミュニケーションツールを利用しない手はないと思うのだがいかがだろうか?

最後までお読みいただきありがとうございます。
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