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【旅行記】宮城県 石巻市と震災の記憶

ホテルキャッスルプラザ多賀城に1泊して、朝。
移動距離がけっこうあるから、少し早めに起床。

ずんだ餅と笹かまぼこがあった。
普段仕事のある日なんかは朝ごはんは基本的に食べないことが多いけど、旅行中はしっかり朝ごはんを食べたい派。
時間がゆっくり取れるからというのもあるし、食べてないとガス欠になってしまうからというのもある。何年か前に香川県の金刀比羅宮に行った時、食事を取らずに歩き回ったせいで疲れ果ててしまった苦い記憶。
旅行には体力が必要。

2日目はまずJR多賀城駅から石巻駅へ。1時間ほどの移動。
途中、松島海岸駅を通り過ぎながら「後で戻ってきますよ」と心の中で呟いた。

9時前ぐらいに石巻駅に到着。
駅の至る所に石ノ森章太郎さんのキャラクターがいた。石巻は石ノ森章太郎さんのゆかりの地(?)というか思い出のある場所のよう。
仮面ライダーやサイボーグ009がお出迎え。

行きたい場所は決まっていたけど、順番は決めておらず、とりあえずタクシーに乗って「みやぎ東日本大震災津波伝承館」へ向かった。
タクシー運転手の方から「こんな早い時間に伝承館行かれる方はあまりいないですよ」と言われた。
運転手の方も当時被災されており、タクシー業者の仲間で亡くなった方もいるとのこと。道中、「この辺も元々は店があったりしたんですよ」と教えてくれた。

津波伝承館は9時開館で、開館後すぐに到着。僕以外は誰もまだ来ていないようだった。
中は広々としていて、パネル展示や映像で震災・津波のことを学べる場所になっている。パンフレットを見返して今さら気付いたけど、建物の高さ6.9mは津波が停滞した時の高さと同じらしい。
現実を見ることは正直に言って怖いことではあるけれど、知ろうとしなければ何も得られないし、少しでも向き合おうとすることが大事なのだろう。

伝承館から歩いてすぐの場所に小高い丘がある。
眺めの良い場所。気持ちの良い青空。
ここが震災と津波の被害に遭ったことが信じられないぐらい。
キレイな風景の裏側には、様々な悲しみや苦しみが隠されているのかもしれない。

震災遺構の小学校に向かおうと歩いていたところ、途中で「伝承交流施設MEET門協」という場所に立ち寄った。
津波伝承館に比べると小さな建物だけど、ここでも展示品や、映像によって震災を学べるようになっていた。より子ども向けの教育施設という感じで、クイズやアニメなどもあった。
震災当時の人々の移動の様子がわかる映像も流れており、今は安全な場所に居ると分かっていながらも緊張感が走った。とても怖いし、自分はこんな風に動けるのだろうか…

そこからすぐ近くの「石巻市震災遺構門脇小学校」に移動した。
事前にあまり調べていなかったせいか、ここは小学校の建物が残っているだけで、外から見るだけと思っていた。実は隣に展示館があって、そこから震災遺構の校舎の内部まで見られるようになっている。

崩れた教室を見ていると、実際にあったことなのに、現実味を帯びていないというか、違う世界のように感じられる。現実が想像を超えすぎて、よく分からない状況。

パンフレットの一部を抜粋する。

自然がつくりだしたこの世界で
未来をそうぞうし
生きることができるのが人間です
そして 判断し行動できるのも人間です
ときに大事なことを見失い
気づけなくなることの
おそろしさを知ってほしいのです
なぜ 一番大切なものが見えなくなるのかを
考えてほしいのです

震災の記憶を辿り、死に対する怖ろしさを感じていたけれど、本当に怖ろしいのは「大切なものが何か分からなくなること」なのかもしれない。


震災の当日。平成23年3月11日。
専門学校の卒業式前日だった。

卒業式を明日に控え、予行演習。
国家試験の自己採点は合格ラインを超えており、就職先は地元の病院に内定しており、気持ちの面でとても穏やかな時だったと思う。

震災遺構を見ても現実味が無かったように、あの時もやはり信じられなかった。テレビから流れるあの映像。建物が津波に飲み込まれていく瞬間。
家や車、そして人々が流されていく。

専門学校のクラスの人の呼びかけで、数日後に募金活動を行った。
大分市内の一番賑わっている場所に立って、声掛けをした。
あの活動が何かしらの役に立っていたらいいなと思ったが、同時に、どれぐらいの役に立ったのだろうかと無力さも感じた。

もうすぐ3月11日。
震災が起きないことを願うのではなく、震災が起きても同じ悲しみを繰り返さないように備えていきたい。


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