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シロの日常。その1

ウォーキングが日課のシロ。

もうこれは1 0年以上続けていて、はじめの頃はほとんどよちよち歩きで、元気なおじいちゃん、おばあちゃんに抜かれながら歩いていた。

体調の悪い時は、意識が飛びそうになるのを耐えながら、ふらふらになりながら。運動というよりは、一歩一歩、その日の身体の動きを確認しながら歩く。

あまり長い時間歩く事も出来ないし、歩き終わった後は反動で激痛が待っている。はじめの頃は、歩き終わって寝転んだ後、しばらく立つ事が出来なかった。

だからといって、寝転んでいる間は楽を出来ているかというと、そうとも言えない。
むしろ、寝転んでいる間が1番痛くて、1秒たりとも本当の意味で身体を休める事が出来ないんだ。

それでも、その日その日、諦める事だけはやめようと思って、1日たりとも欠かす事なく歩き続けてきた。

もうそれを4000日以上続けている事になるのかな?よくやってきたな。

毎日毎日歩いていると、たまにおじいちゃん、おばあちゃん達が声をかけてくれたりする。
「いつも頑張ってるなぁ」とか、「毎日歩いてるなぁ」とか。

ごく稀に、「どこか悪いの?」と聞かれる事もあるけど、僕が「そうなんですよ、ちょっと身体を壊してて」と言うと、それ以上突き詰められる事もなく、「そうなんやぁ、大変なんやなぁ。頑張ってなぁ」と言ってくれる。

声をかけてくれる人はいい人ばかりで、一通り話したあと、いつも去り際に“ありがとう”と言ってくれるんだ。

僕を見つけると、笑顔で両手を振りながら近づいてきて、「こんなおばあちゃんの相手してくれてありがとうな」と言った後、“あめちゃん”をもらった事もあったな。その後「また会おうな」と言ってくれた時は、すごくあったかい気持ちになった。

ただ普通に挨拶をして、会話をしただけなのに、喜んでもらたうえ、ありがとうと言ってもらえる。それだけで、今日も生きててよかったなぁと本当に救われた気持ちになる。

おじいちゃん、おばあちゃんに混じって歩いているのに、怪しまれる事も疎まれる事もない。

それどころか、いつも声をかけてくれる人が、「にいちゃんいつも頑張ってるねん、えらいやろぉ」と、他の人に言ってくれてた時は泣きそうになった。

その表情はとてもやさしい。

数年前、土地勘もなく知り合いもいないこのまちに来た時は、“何故、僕は今ここで歩いているんだろう”と頭がぼーっとする事があった。

こうして歩いていても、僕の事を知っている人は誰もいない。何の思い出も愛着もない。本当にこの場所は存在するのかな?これは現実なのかな?

僕はいったい何なんだろう

ふとそんな思いが頭をよぎる。
自分の事なんか誰も見えていないと思ってた。

でも見てくれている人はいたんだ。

お互い名前も知らない人達。でもその存在は確かに認知し合えている。何か不思議な気分だ。そしてあったかい。

今でもこのまちが好きとは言えないけど、頭がぼーっとする時間は少なくなっていった。

そんなある日の出来事…

その日もいつも通り歩いていたら、いつも声をかけてくれるおばあちゃんと、その隣に見知らぬおばあちゃんがいた。

いつも通り挨拶をして、おばあちゃんから「いつも頑張ってるなぁ」って言ってもらったんだけど、その後に隣の見知らぬおばあちゃんが、「ああ、そうそう、この前も歩いてたわそういえば」と僕らの間に割って入って来たんだ。

急に知らない人から話しかけてこられて、このおばあちゃん2人の関係性も分からなかったから、一瞬戸惑ったんだけど…
とりあえず話を繋げないとと思って、「そうなんですか、見られたんですね。もしかしてみんな僕の事知ってるんですか?」

って口に出した瞬間、食い気味に

「いや全然知らん!!!」

と吐き捨てるように言いながらそのまま去っていく見知らぬおばあちゃん。

…いや、そうでしょうよ!

そりゃみんな知っているはずはないでしょうよ!!

でもこの前見たって言ってくれたから、おばちゃんが見たって言ってくれたから、何か言わないとと思って頑張って話したのに…

僕のあったかい気持ち!
あったかいと思った気持ち!!

決して自惚れていたわけじゃないんだよ…

顔馴染みおばあちゃんは素知らぬ顔で助けてもくれず…

僕はただ、小さくなっていく見知らぬおばあちゃんの後ろ姿をぼーっと眺めることしか出来なかった。

その後どうやって家まで帰ったか覚えていない。

おばあちゃん、これ読んでくれないかな。

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