中国のスタバでトリを救った話
わたしは夏休みの工作で、一度も成功したことがない。
ドライヤーを熱源とした「たこ焼き機」を作ろうとして家のドライヤーを壊したり、水道直結の「流し素麺マシン」を試作して台所を水浸しにしたりと、旺盛な発明意欲に技術が追いつかなかったのだ。
これは、そんなわたしが大人になってから、世紀の大発明で一つの貴重な命を救った実話である。
迷子トリとの出会い
時は2021年10月、場所は中国・上海。
中国は国慶節、日本でいう建国記念日ウィーク真っ只中で、上海・古北のオフィス街は人が引き払ってがらんとしていた。
この日、もともと人間があまり得意でないわたしは、夜の干潟に現れるタコのように、「しめしめ」とオフィス街にある客ゼロのスタバを訪れた。
すると、客の代わりに何かいる。
それは、鳥だ。
シロガシラ、中国華東地区の都市部でよく見られる野鳥である。
実はわたし、幼稚園の頃の愛読書は「日本の野鳥」、小学校時代の趣味は秩父でのバードウォッチング、中学生から大学までは実家の近所にある小鳥屋で餌やりのバイトをしていたほどの鳥好きである。
スタバの店員によると、このトリは(以下、愛称でトリと呼ぶ)、もうかれこれ3か月近く、この建物の中から出られなくなっているのだという。
なんという哀れなトリだろう。
シロガシラの寿命は10年程度、人間の時間感覚に置き換えると、2年刑務所に服役しているようなものだ。
そこで、わたしは思った。
このトリをわたしの手で助けてあげようと。
過去にも中国でカフェに迷い込んだモズを素手で捕まえて外に放したことがあったので、このバードレスキューが容易く達成できると、この時わたしはことをすっかり甘くみていたのである。
長いスタバ生活で警戒心を失ったトリ
このトリ、哀れな迷子鳥であることに間違いはないのだが、スタバ生活が長くなり過ぎて、すっかり人を恐れなくなっているようだ。
平気でわたしの半径2メートルに入ってくる。
とは言え、ここは商業ビルのロビー階で天井が高く、逃げ場がたくさんあるので、モズの時のように素手で捕まえるのはまず不可能そうである。
そのためわたしは早速、中国のネットショッピングモールで明日には届くという鳥捕獲器を購入した。
捕獲器を買ったわたしは、スタバの店員にトリを明日捕まえていいか尋ねると、「うちは糞害で困ってるからありがたいけど、一応、ビルの管理に相談して欲しい」と言われた。
そこで、今度は管理所に話をしに行くとと、「捕まえられるもんなら捕まえてもいいよ。でも、ヤツは今幸せだよ、以前より太ってきたしね」というのだ。
外に出られなくなったトリが、スタバの客の食べ残しであるパンやケーキを食べて太るのは当然だ。
しかし、シロガシラは本来、雑食性なので、栄養バランスの観点からみれば、昆虫などのタンパク質をとらないといけない。
実際、トリは羽に艶がなく、健康でないのは明らかだ。
鳥捕獲器が届かない…
中国ネットショッピングモール売り上げ第2位、年間販売額2.6兆元の天下の京⚪︎にだってミスはある。
そう、配送予定時刻の24:00を過ぎても鳥捕獲器が発送されていないのだ。
それに、よくよく考えてみれば、発送地が遠く河北省で、翌日上海に届くわけがない。
あの「翌日配送」の表示は何かの誤りだったようだ。
しかし、ビル管理所に「明日、捕まえてみせます」と啖呵を切ってしまった自分がいる。
これでトリを捕まえに行かなかったら、日本人の信用問題に繋がる。
かと言って、手ぶらで行って「ヤー!」と叫んで構えてみても、やはり日本人のイメージ問題に繋がる。
「そうだ、もう、自分で罠を作ろう」。
こうして、わたしは未だかつて成功の日の目を見ない「工作」を、数十年ぶりに始めたのだった。
罠に入ったトリ
スタバは連休中で客がほとんどいないため、トリにとっては未だかつて無い深刻な食糧不足のようである。
トリは余程お腹が空いていたのか、わたしが作った怪しい罠にもホイホイと入っていった。
「イケるかも!?」と思いきや、罠に入ったトリは、トリガーであるはずのでかいリンゴを咥えて飛び去った。
「な、なにぃ…?」
わたしの天才的な発明では、リンゴを咥えた瞬間にバチーンと扉が閉まるはずなのに、一体どういうことだ⁈
結局、わたしはスタバに6時間滞在したのち、店員に憐れみの微笑みを向けられながら、悔しさに拳を震わせて退散した…。
しかも、夜になっても、依然として捕獲器は届かないのである。
てゆーか、いまだ河北省にあるじゃん…。
…
仕方がないので、わたしは自作の罠をマイナーチェンジすることにした。
紐の長さを微調整し、ターゲットが仕掛けのリンゴに少しでも触れさえすれば瞬時に扉が閉まるよう何回も繰り返し実験を行った。
高校の物理は8点だったけど、理論ではなく、トライアンドエラーで精度を上げたのだ。
もう後がない、連休最終日
休みは今日で終わりで、わたしのトリ捕獲計画にはもう後がない。
明日には休み明けのビジネスマンたちでこのスタバは賑わい、店内が残飯で溢れるため、腹が満たされたトリを捕獲することは不可能だろう。
朝、罠を仕掛けてみるが、今日はビルの窓掃除の日だったようで、警戒したトリはなかなか高所から降りてこない。
その後、昨日に引き続き、罠に入ったトリではあったが、身の危険を察知したのかリンゴには触れずに罠の入り口付近の餌だけを食べて飛び去った。
余談だが、昨夜このトリについて調べたところ、体の特長からして、メスで間違いないだろう。
ここに住み着いた3か月前と言えば繁殖期の真っ只中だから、雛鳥の餌を必死で探しているうちに迷い込んでしまったのかもしれない。
時折、窓の外を寂しそうに見つめるトリが不憫でならない。
「ここまでか…」と、わたしはガックリした。
すると、昼過ぎ、ついにトリが仕掛けのリンゴに食いついたのである。
その瞬間、物理8点のわたしが作った罠の扉がバチーンッと力強く閉まった。
最後は興奮してカメラワークに失敗してしまったが、トリ、捕獲成功である!
その後、スタバ店員、ビル管理者たちの拍手喝采の中、トリを放鳥。
こうして、失敗を繰り返し続けたわたしの「夏休みの工作」は、数十年の時を経てこの日ついに報われたのである。
トリよ…もう帰ってくるなよ…元気でな。
おわり