【歴史から学ぼう】于禁
シロクロ🤍🖤です(`・ω・´)ゝ
今日のテーマは三国志 魏の猛将。
曹操在世時に最も功績があった将軍として
張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃を一つの巻に収録しており、
于禁はその三番目に位置付けられている。
于禁は五人の中で最も剛毅で威厳があったとされる
どんな人?
「威厳の人」于禁の真骨頂であったが、
あまりに厳格すぎたのか、人々は彼を畏怖(いふ)した。風貌も独特で、みなが于禁に一目置いたという。
于禁の軍人としての人生は、義勇兵からスタートした。弓馬の技術に秀で、将才もあった彼はめきめき頭角を現す。
注目したい出来事
219年、劉備軍の筆頭指揮官・関羽が、
南方の要地・樊城(はんじょう)へ攻め寄せてきたのだ。
于禁は曹操の命を受け、増援の七軍全権を任されて出陣する。ところが、タイミングが最悪であった。
折からの長雨で、布陣した于禁の軍勢は
増水した川の濁流に呑まれてしまったのである。
高台へ逃れた、わずかな兵とともに于禁はやむなく降伏する。
自身も曹操軍に降伏した過去を持つ関羽。
曹操軍・最高の指揮官である于禁に対し
寛大な処置をとり、自身の本拠地の江陵へ送って、ひとまず軟禁した。
ところが、于禁とともに援軍を率いた龐徳が、
関羽に捕らわれても降らず、死を選んだのである。
その知らせを受けた曹操は「于禁は30年もわしに仕えてくれたのに、新参者に及ばないとは・・・」と、こぼしたという。
于禁が魏の国に戻った時は曹丕の時代。
墓所の壁面には、関羽に死罪を願う龐徳と、ひざまずいて命乞いする于禁の絵が描かれていたのである。
大きい失敗とそこから学ぶべき事
実際に曹操が言ったか怪しいと私は思うけど…ね。
敗残の将は責任をとって死罪も有り得る時代。
絵が描かれてたくらいだから相当評価が下がっちゃったと言うか有り得ないって判断なんでしょうね。
学ぶべきポイントは大きく分けて2つ
・于禁の対応
責任をとる方法の選択ミス。
仕事でミスをして責任のとり方を間違えると
お前何言ってる?ってなるよね😂
三国志の時代と現代では環境が違うけど
責任の重さは同じだと私は思う。
如何に現代に当てはめるかだしね。
・魏国の対応
思う所はあるにしても、功労者(しかも現役)に
対してあまりにも辛辣だとは思う。
こちらも同じ風景が現代でもしっかりあって
あいつ有り得なくない?って集団で言う事あるよね?
学校でも職場でも同じ事が起きる。
何度も見た事あるし。
意識はしてないけどきっと私もした事あると思う。
こうやって振り返ると色々考えさせられる。
言われる側にも逃げ道ないと絶望しちゃうって
ほんとにわかりやすい事例だったので紹介しました🙇🏻♀️
于禁の命乞いが有名だけど、
私としては双方の対応が悪かった。
権力が強い側の主張が強く残った典型的な事例
「勝てば官軍負ければ賊軍」
これに尽きるのかな。
1800年前と大きくは変わってないと考えると
人の性質って大きく変わらないのね💦
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