私は統合失調症と再会してみる,自分なりに,安全な方法で。その①「弟をだました日のこと」
私は統合失調症について何を知っているか。
世の中にはいろんな人がいるということ、その多様さの一形態として統合失調症もあるということ。
調子がよくないときは,「現実検討能力」というのが低下して頭の中で考えることが現実とごちゃごちゃになり,恐れていることや期待していることが,あたかも本当に起きているように本人には感じられるらしいこと。
これらのことを知っていく過程で気づいた最も大事なことは,
誰かの体験は,身近にいてなんとなく想像がついているような気がしていても,実は全然理解できていないということだ。
だから,その体験をしている人の意思決定が,たとえどんなに不便そうで,効率が悪そうに見えても,その機会を乗っ取って勝手に決めちゃいけない。
何か助けになれることがあるとすれば,
その人がその人の人生について,できる範囲のぎりぎりいっぱいまで考えて,決めていくところに,立ち会うだけだ。
人は障害も健康な部分も含めて多様であり,
それぞれのマシンをそれぞれの方法で操作しながら,
日々自分を生きている。
意思決定に唯一の正解などない,あるわけがない。
回り道をしながらも,
最終的にこういう考え方をするようになってきたのは,
子どもの頃、私の祖父母の目が不自由であったことと
関係している気もする。
目の見えない祖母,義眼と超弱視の目を持つ祖父の生活は,
一般的ではない不便さも多いけれど,
温かくて文化的だった。
また今になって分かることだが,
父母・兄弟の中に定型発達の人など,
一人もいなかった。
兄弟には思春期以降に引きこもりや暴力を発症した人,
統合失調症を発症した人,(今考えると)思春期限定型の非行を行っていた人など,様々な人が共生(と言っていいのかわからないけど)していた。
家族は親密で,日々リビングのコタツに多方向から刺さり込み,みんなでスペースシャワーTVをみながら工作したり読書したりしていた。
それは愉しい蛸壺のようだった。
蛸壺はその狭い世界で似たように見えるもの同士がひしめき合う様子を揶揄するような言葉なのかもしれない。けどそこに住む蛸にとっては,唯一無二の快適な居場所だ。
私は個々人のユニークさと親密さを愛し,お風呂に首まで浸かるようにして,その居場所に馴染み切っていた。
人生にそのような期間があったためか,
今でも私にとっては「変わった人」と言われるくらいの人と一緒にいると
家族に会ったような親密さと落ち着きを感じる。
逆に普通っぽいことしか言わない人々と一定時間以上共にいると,
違和感と不安を感じて帰りたくなる。
そんな蛸壺仲間のひとりである,
統合失調症の弟Tとの交流を絶って,もう7年くらい過ぎた。
その頃,私はまだK市に住んでいた。
Tが車に乗って家出をした
昨日から帰ってきていない
と父から連絡があった。
Tと父は口論になり,父はケガをしたらしい。
父はTの捜索願を出した。
父に怪我をさせたことから,Tは家には戻らないと思う
もしかしたら,りーさのところに行くかもしれないから,
そのときはすぐ連絡してくれ,とのことだった。
それから数日が経ち,
勤め先の学校で会議の準備をしていたとき。
Tからメールがあった。
こんにちは!
近くにいます,犬を連れています。
近くまで来て,家が分からなくなってます。
犬をお風呂に入れて,保護してほしい。
不自然にフレンドリーで,かつ性急な感じのする文面だった。
“連絡ありがとう。”
と私は書いた。
“犬は保護できないと思うけど”
投薬治療,その薬をやめてしまう,
そして陽性症状,なにかトラブルが起こる,
強制入院,投薬治療,寛解,またその薬をやめてしまう,
なにかトラブルが起こる…の繰り返しで,
もう何回警察が出動したか分からないということが,数年間続いていた。
それまでの色々な関わりのことを書いていると,
この作文は終わりそうにないので,
ひとまずこの,弟との決別となってしまった出来事だけ,
それもかいつまんで書く。
細部を忘れているし,順番も忘れていて,
うまく書ける気が全然しないけど。
犬は保護できない
という返信に対して,弟は腹を立てたようだった。
分からないならいい,とにかく金を出せ,
と脅すような口調の返信が来た。
(平素は明るく優しい弟なのだ)
そうか。いまはこんな感じなんだ。
これ以上弟にどう返事をしたらいいか,迷った。
R君に電話をしたけどつながらなかった。
次に,弟がいなくなっていることを伝えていた,
友人のY先生にメールをした。
「弟がみつかった。弟は私を頼ってきてる。
捜索願も出しているので警察に連絡しないといけないと言われてるけど,したくない。このあと自分が主催しないといけない会議がある。どうしたらいいか分からない」
「かわいそうだけど,警察と,お父さんにも連絡して。いまは保護してもらうのが最善だと思う。そしていったん会議に集中。仕事はメシノタネだ。そのあとのことはそのあと考えればよい。」というような主旨の返信があった。(こういうとき,冷静なto doコマンドを返信してくれるのは,
大変助かるものだ)
気持ちを決めて,K市の警察署に電話をかけた。
「統合失調症の陽性症状で,車に乗って家出して捜索願が出ている弟が,
いまK市に来ていると本人から連絡がありました。ひとまず投薬が必要と考えていますが,今の状況で私が会っても説得することはできないと思います。入院させるために,協力していただけませんか」
K市の警察はこう言った。
「弟さんに,どこかに来て貰ってください。
私達が,さりげなく弟さんにお声をかけてみて,保護できるかと思います」
「お姉さんは入院先を探してください。K市内であれば,そこへお送りするところまではできます。K市以外の病院となった場合は,我々がお送りすることはできませんので,ご家族で送迎も手配してください」
弟が出て来た実家,主治医のいる県は,K市から車で5時間ほどかかる。
いったんK市で入院できればと,めぼしい病院に電話をかけたが,のきなみ断られた。別の県から来た人を入院させるのは得策ではない,そのスペースもないということのようだった。
仕方がないから,実家のある県に電話をかけ,入院先を探した。いつも弟が行っている病院とは違う病院で受け入れてくれることになった。ただその病院も,
「K市まで迎えに行くことはできません。どうにかして連れて来て下さい。」と言うのだった。
問題: 絵の中の虎をどうやってつかまえる?
答え: まずはその虎を縛ってください,
そしたら私がしょっ引いて行きます,みたいな。
私に出された問題はこうだ。
K市の警察はK市内しか行けません。M市の病院は入院はできますが連れて行かないといけません。お父さんは迎えには来られますが,陽性症状のとき,弟はお父さんの車には乗りません。ふたりきりにすると口論になり、暴力を振るってしまいます。
制約の多いとんち話みたいな,なぞなぞみたいな問題だった。
蛇の道は蛇という言葉があると思うけど,こういう特殊なニーズに応える業者というのは存在している。K市の警察署から実家のある県のM市の病院まで弟を送ってくれる業者が見つかった。運転手と,付き添いが2名。5時間の道のり,高速道路やガソリン代や人件費,全部の費用込みで23万円。
答え: お金で解決だ。
話は逸れるが,10年前の年の瀬にも,私はまた別の「特殊なニーズに応える業者」を探し出した。殺人事件現場の清掃業者。年末なのに,5時間くらいかかる他県から来てくれた。17万円くらいだったか…曖昧な記憶。安くはない。けど,この業者が存在することと,(200万円とかじゃなく)この絶妙な価格で,赤の他人がこの仕事をやってくれることは,ありがたいとしか言いようがなかった。
(とにかく,赤の他人でない人がやるには,この仕事はつらすぎたのだ。本当のところ,赤の他人がやるとしても,殺人現場の片付けという仕事はつらいものだと思う。研究などだけやっていると,そういうつらい仕事をやっている人がいるということを忘れそうになるが,忘れるわけにはいかないと思う)
家出して数日後にK市まで来た,統合失調症の弟Tの話に戻る。
色んな手筈をどのような順番で整えたか忘れた。
急性症状の弟が近くに来ている。
数日間行方不明だったから捜索願が出てる。
車運転してる。犬も乗ってるらしい。
助けてって言って来てる。
しかし,今回は私が会いに行くのでなく,
警察に保護してもらう。
心苦しい。
私を頼ってきているのだ。
いつも通り、家に入れて、あたたかいお風呂に入らせて、ご飯を作って食べてもらって、一旦眠ってもらって、私は「あなたの気持ちはわかる。犬に餌をあげよう。保護してここで飼おう。まずは食べることだ。君たちみんな,全員,私の家で休ませてあげよう。」
なんて,頼れる姉。
そういう風にしたかった。
でもできなかった,もうしなかった。
ゲームブックに指を挟み,ここ10年の我々のあゆみを考える。
こっちのページを選択したら,いつもいつもここに戻ってくる。
私はいつでも原家族のために緊急出動する専門職員ではない。それにどのみち,これを続けたところで,またこうなるだけだから,全然弟の役には立ってない。
いつもと違うことをしてみよう。
不慣れな思いつきだが,私は多分,そんなことを考えていた。
家の近くのローソンを案内して,弟と待ち合わせをした。
そこに私が行く前に(というか、私は行かない予定だった),
警察官が”いつものパトロール”を装って立ち寄り,弟に声をかけた。
This is the end of our journey.
そうだ。
そして弟は保護された。
父との口論の原因になった,
払える見込みのないクレジットカードで衝動買いしてきた犬たちも,
一緒に保護された。
連絡したら父は急いで,車をぶっとばしてK市まで来た。
数時間後,私の家で合流した。
そこで弟をK市からM市まで送る業者の手配をした。
夜の12時くらいに,その”専門の業者”が来ることになった。
警察と打ち合わせをして,弟を乗せた特殊送迎業者の車の後ろから,
父の車が併走して,実家のある県の,M市の病院まで行くことになった。
K市の警察は,私に言った。
「弟さんの車が警察に残ってしまいます。
弟さんが警察署から出発したら連絡しますから,
お姉さんはこの車をとりにきてください」
真夜中に,歩いて警察署に行った。
お世話になりました,ローソンで保護していただいたxxの姉です。
車をとりにきました。
は,Tさんのお姉さんですね。
先ほど,弟さんを乗せた車と,お父さんの車がM市に向けて出発しました。
弟さんの車はこちらです。
古い警察署のビルの,地下通路みたいなところから,
地下のパーキングに案内された。
弟が数日間,犬を乗せて家出しながらK市まで乗って来た古い軽自動車に乗った。
車内はごみだらけで,水がちょっとだけ残った大きいペットボトルが転がっていた。犬のにおい,おしっこのにおい,腐った食べもののにおい。ああ,そうだよね,きたないね。このくらい,きたなくなっちゃうね。ここで寝て,ここで食べて,運転して,よく無事でK市まできたね。連絡してくれてありがとう。お金なくなったんだね。ガソリンもなくなるし,犬にもご飯食べさせたかったんだね。保護したかったんだね。だけど,ちゃんとできなかったんだね。おなかすいて,弟も犬も,みんな大変だったね。
こちら、急性期を車に詰め込み、真空パックしてみました。体験どうぞ。
まるで、そんな車の中だった。
運転しながら思った。
私は今日,弟をだました。
私は今日,弟が会いに来たのに,会わずに警察に保護してもらった。
(いまこれを書いていて,久し振りに,
なくなった胸があった場所が,痛む)
治療を受けて,おそらく寛解してから,
弟はなんどか電話をかけてきた。
メールも書いてきてた。
だけど,もう私は電話に出なかった。
メールにも返信しなかった。
実家に帰ると弟に会うことになるから,
私はもう実家に帰ることもやめた。
弟は,このときの入院をきっかけに,
やっと精神障害者の手帳をとって,
障害者年金をもらいはじめた。
病気になって10年以上過ぎていた。
(それまで、その病名が書かれた手帳をもらうことに,
弟は長年,抵抗を示していたのだ。)
いまどうしてるんだろう。
統合失調症の具合は,最近はどうなんだろう。
時々思い出す。それは仕方のないことだ。
めんどくさい,めんどくさい弟。弟たち。
(私には3人も弟がいるけど,のきなみ,全員めんどくさい。
自分だけでも充分以上にめんどくさいのに。)
統合失調症は自分にとっては,
まあまあ身近な精神疾患だ。
切実で,不思議な病気なのだ。
冗談のような,途方もない哀しさをかもしだす,
泣き笑いのような病気だ。
弟はどうしてるのかな。と思いながら,
私はできるだけ,弟から遠いところに暮らそうとして,
北海道まで移住してしまったのかもしれないと思う。
心はそういっぺんに遠くはできない。
そうであれば物理的に遠いところに住む。
これが私の思いついた、家族から離れるための手段だったのかもしれない。
この日記に結論はない。
書いていても,重さもない。
(錯覚のような痛みがあるだけだ。)
それは多分,もう会わないと決めているからだ。
どう思われるのか?誰から?
私は私の人生を生きる?それでいい?
それも分からない。自責の念はない,けど迷いはある。
たぶんこれで合ってる。
(と思いながら、気になっている。)
そこで私は数年ぶりに、統合失調症と再会してみることにした。
自分なりに,安全な方法で。
この日記は,その記録だ。
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