言葉で少しずつでも、自分の中のガスを抜く
とにかく書く。
集中力が途切れてるのは何のせいなんだろう?
耳鼻科に行ったのに点鼻薬をもらえなかったせいじゃないか?
鼻づまりは少しゆるんだけど解消はしてない。
不快は続いている。腹部膨満感もある。なんでだ????
なんでこんなに調子が悪いんだ???
それもちょっとずつ。なんだよ!寝込みたいよ、こんなんだったら。
いいこともあった。これも病院がらみだけど。
今日は採血に行ったら、すぐ呼ばれた。
10:00の予約で10:20くらいに行ったんだけど。30分枠の中で、その枠内で遅くいくと待たずに呼ばれる。のかもしれない。意図してやったわけではないが。
また、採血をいつもは見ないようにしているが、今日はすごい見てみた。
採血の人はひじの内側をつんつん、ってやるよね。
今日、採血の人がつんつん、ってやって「よしここ」って感じになったので
「ここ何があるんですか」って自分もつんつんしてみたら、
ブァン!!って感じの跳ね返りがあってびっくりした。
こんな大きい血管があるのか。こりゃ触ったら分かるわ。
って感じ。
それから、採血管も5mlと2mlを見た。よく見た。
5mlは本当は8mlまで入るんだけど今日の場合5mlでいいのでそのくらいにしとくんです。。。とかなんとか教えてくれた。
私がなんでこんなのに興味持ったかっていうと、
私は日ごろ、調査では心理とか知能とかの情報をとることが多いけど
ときどき対面の身体調査にもかりだされることがあり
そのとき、子どもたちが採血される場面が
けっこう山場っていうか、緊張感・達成感が伝わってくるような
ビッグイベントなんだなって分かってきたこと
それと、
あと自分は研究でも全然、血液のことなんか分からないし考えたこともなかったのだけど、疫学調査では血液からわかる環境曝露だとか健康状態だとかが色んな研究の花形試料であるのだということが、周囲のみなさんの研究相談や発表をきいていると、どうしようもなくひしひしと、私にでさえも感じられてくるので、なんつーか、採血というイベントや血液という試料からわかる情報について、若干の関心が湧いてきたんじゃないかと思う。
研究で解析に踏み出す一歩前の時間、
私はこんな風にモラトリアム気味に過ごすことが多い気がする。
精神的にふらふら、ふらふらさまよう。
身体的には図書館やら、座談会やらを渡り歩く。
やらなければいけないことは分かっている。
狙いを定めて、データをまとめて、解析に乗り出さなくてはならない。
しかしそれには、「ここをこう刺していこう」という
なんというか、つまり「問が見えた」みたいな瞬間が欲しい。
それがなくても動けるし、動いた方がいいのかもしれないけど
結局どこかでさまようことが多いので、
私はできるだけ早めにさまよっておきたい。
まださまよいの途中だが、
考えるための粗い解析という方法もあると思い直し、
手元の参考になるデータを解析することにした
同僚からRコードをもらったけど
ファイルにパンパンに色々入っていて
どれが何と関係あるのか、非常に分かりにくい。
コードをもらえることは嬉しいけど、
取り掛かりの悪い私にとって、
メインの目的の前に探し物がおおいこと、
それも本質的なことではない探索行動はつらいことだ。
本質的ではない探索行動が人生の大半を占める。
ほとんどそれがすべてだと言っても過言ではない。
と私の中に内在化されてしまった偉そうなおやじが言う。
うるせえ、おやじ。黙れおやじ。
ほとんどめんどくさいことを人におしつけていたおやじ。
面倒なおやじから逃げ出しても、そのおやじはしっかり内在していて自分の中であれこれどうしようもないことを発言しだす。
けど内在化したおやじは、もはや私になにかを押し付けることはできない(内在化したおやじが私に何かを押し付けてくるとしても、それは自分でやらなければならないことをやってるだけなので、押し付けとはちょっと違うから大丈夫)。
書きながら考えている、
ああそういうことが今、気になってるんだね。
腹部の膨満感はどうやったら消えるんだろう。
それは分からないからせめて、言葉で少しずつでも、
自分の中のガスを抜いている。