映画 #君たちはどう生きるか をみて 美しい、夢の中にいたような
観てきました。映画の内容にふれてしまうところがあるかと思いますので,ちょっと空白をあけてから 感想を書きます
夢をみたあとのような感じなので,明日のお昼頃には90%の内容を忘れてそうなので,まずは急いで,出てくることを書いてみます
※うろおぼえで書いてるところもあるので,こまかいせりふなどは,映画と異なるところがあるかと思います
この映画終わる頃,自分は涙出てて,嗚咽してて
でもなんで泣いてるのか,ちょっとわかりにくくて
この感情なにかなぁ,とどこかで自分を眺めながら
タイトル・ロールが終わってもまだ泣いてた
うぐっ,うぐっってスカーフで涙ふきながら
エレベーター乗って,文具やにかけこんで
文具をみていたら,ようやく落ち着いた
祝日の映画館はけっこう混んでたけど
映画が終わって館内が明るくなったとき,
周囲の人々は,ポップコーンやジュースの残りを膝にのせたまま
「なんじゃこの映画は?」みたいなきょとんとした空気を醸し出していた
なんかその,周囲と自分の反応のギャップについては
当然だと思った,だってこれ
完全に井戸の中見せられてる,
作者の夢を一緒にみせてもらってる映画,
みたことない映画でしょう,何にも似てないでしょう
私おもった,あー,私いま,いろいろあって大変だけど
物語世界に飛び込むには全然垣根がなくなってる状態なんだ
チューニングがめちゃくちゃ合ってる状態なんだ
(これは,おかあさんがどえらい事件で死んでしまったあの冬以来)
そう,魂が死ととなりにあるような状態で生きているときって,
物語のなかでは,ぎゃくにすいすいと自在に泳げるようになる
魂の危機みたいなことに遭遇するのは
通常,ラッキーなこととは思われないだろうけど
全く悪いことばかりでもない,
物語とこの世を行き来するprivilegeが得られるんだからってそのとき思った
外側の世界のどこにも,自分の居場所がないように感じるときは
内側の世界につながるルートを見つけやすいし,
見つけたら,いてもたってもいられなくなり
ある瞬間,ずるりとそのなかに入り込んでしまう
そうなんだ,だからあの子が
美しい母親の寝姿のようなものに誘惑され
それが罠だと知っていながら,むかっていってしまうあの感じ
「ぼっちゃん,罠です」
わかっている,罠でもいい,嘘でもいいから求める,触れようとする
どのみちそれがなければ,もう生きていられないほどなのだから
外側の世界には,もうさほど,自分をつなぎとめるほどのものはないと
感じているのだから
真人の少女時代のおかあさんが,火を操る少女であったこと,
それは真人にとって,大きな慰めになったんじゃないかと思う
真人はおかあさんの亡くなった姿をみていない,
大きな,大きな燃えさかる病院だけをみた
そこには大きな心残りがあり,
内的な世界へひきずりこまれる条件が整っていた
火の中で真人を呼ぶおかあさんの夢をなんどもみていた,
真人はおかあさんをたすけたかった
だけど,あんなに自在に火を操れるあの子なら,
あの空襲の大火事にあっても,たとえ入院していたとしても
うまく火と話し合って,きっと上手に別世界に移動しただろう
ねえ,真人のなかのおかあさんの物語がそこまで動いたことが
その健気さが,私には嬉しかった
さいご,真人とおかあさんは,別々の扉から出て行く
おかあさんとわかれて真人は,なつこさんと一緒の扉から出て行く
切ないけど,現実の世界では,現実の采配に従うしかない
本当に幼いころは,人間には外の世界がほとんどないと思う
内的な,魂の世界だけで生きている,
そこにすこしずつ,大切な人々ができていく,
その人なりの世界観ができていく
そこには死がなく,すでに外の世界では失われた人たちも,
内的な世界ができたころの姿のままで,日常を生きている
他方で,外の世界には,
現実の采配により,いま居合わせることになった人々がいる
通常,子どもは成長するにしたがい
外の世界で居なければならない時間が増えてくる
世界観や登場人物が,そこまで内的世界と食い違わない時代には
その人は,外の世界でもさほど戸惑わずに生きることができるが
ときに,外の世界は容赦なく崩れていってしまう
私の期待とは関係なく,
大切なものが蹴飛ばされ,ふんづけられ,跡形もなくなっていく
そんなときに内側の世界へ迷い込むのは,
内側の世界の物語を修正しなければ生きつづけられないからなのかもしれない
どう折り合いを付けるか,どこで何の作業をすませる用事があるのか,
そしてまた,内側の世界から出て行くことができるのか
同じ扉をあけて,同じ時代,場所で居合わせる人々と
どんな風に生きていくのか
印象に残ったシーンはいくつもあるが,
いま思い出すのは,真人とおかあさんが,鳥の兵士に両方から囲まれて
身を避けるために,123の扉から,ノブを握ったまま外へ出たシーン
内的世界なんて無頓着な父親だけれど
あの,日本刀やチョコレートを急いでしたくして駆けつけるあの感じ
内的な世界からああいう姿を垣間見る瞬間が,
なんとか,外の世界と我々をつなぎとめる,ような気がするんだ
(用事がすんだら帰らなきゃ)
(外の世界だって,捨てたものじゃないんだ)って
思い出させてくれるんだ
それから,もう一つ印象に残っているのは
なつこさんが「あなたなんて大嫌い」と叫んだシーン
その言葉自体が,本当の気持ちということではなくて
そう叫ばなければならなかった,それが本当のことだった
言ってはいけないことがある外側の人間関係に
風穴をあける必要があったから
さいごに,扉を出て行くときに
おかあさん,そこから出て行くと,おかあさんは火事で死んじゃうよ
真人はそこまでおかあさんに言えたんだ
おかあさんは,こういった
あなたに会えるんだもの,そんないいことないよって
わたしも,この言葉になぐさめられたよ
自分のおかあさんも,こう言うかもしれないって
このせりふをきいて少しだけ,
自分のなかの物語も動いたよ
この映画は,監督が自らの作品作りをとおして,
私はどう生きるのかということ,
監督の世界観,覚悟をぶっちゃけて示し,
まとまらなくていい,わからなくなってもいいから,
きみたちも考えてみろ,表現してみろ,
めちゃくちゃに見えてもいいから生きてみろと
哲学的な態度を示し,問いかけ,
考えさせてくれる映画だと思う
帰宅して,まだいろいろやろうと思っていたことはあったけど
脳のどっか奧を,久し振りにぐりぐりと念入りに触ってもらって
すごくリラックスしたような,心地の良い,重めの疲労を感じていた
帰宅してからこれを,かなり,うとうとしながら書いて
ぐっすり数時間眠ってしまった
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