仕事は稼ぐ手段であり、稼ぐことが目的ではないという話
私の人生は仕事だ。つくづくそう思う。
プライベートでは特に遊びたい人間もいないし、遊びに楽しさを見出せない。
もし、交際相手が出来て、家庭を持っても、子育てをすることに人生を使い果たすことは出来ない。
もちろん家庭の仕事を一切しないわけではなく、可能な限り分担したとしても、それを人生の軸には出来ない。
お金もそうだ。お金儲けをすることは非常に簡単だ。
今のご時世、ご高齢の方からお金を巻き上げる方法はいくらでもある。
しかし、それは犯罪の可能性もあるし、何よりも社会貢献活動ではない。
では、社会貢献活動だけしたいのか?
否、それも違う。
やはり人間生命を維持させるには、お金が必要不可欠であるから、そこは必要最低限でもいただきたい。
日本の企業が今後考えていかなければならない
「経営者と社員」「社会奉仕と利益」のお話をしようと思う。
仕事は本来楽しく、有意義な時間であるはずだ
月曜日が辛い、金曜日の夕方は最高。
そういった話をよく聞く。
以前の会社では、土日関係なく仕事をしていたので、あまりその気持ちが分からないが、休みがある前は幸せで休みが終わると憂鬱。
それだけの話だろう。
私は、その考えに問題があるとは思わない。
何も考えずに休む時間は幸せであることに違いない。
しかし、休みが幸せ=仕事が辛いになってしまっている現代には問題があると感じる。
仕事は辛く、苦しいものであると潜在的に感じているのだと思うが、それは本来の仕事を楽しめていないからなのである。
私は、暇を見つけてはこうして記事を更新している。
それは、仕事とは無縁なので、本来は仕事中に行うべきではないが、一種のストレス発散でこういった方法を使っているだけなのだ。
見出しにも書いたが、仕事とは本来は楽しくて、有意義なものである。
その考えは変わらない。しかし、それを会社に求めてはいないだろうか
確かに、会社は社員が働く環境作りにおいて大きなファクターを占める決定権を持っているが、結局のところ自分の働く環境は自分で整えていくしかないのだ。
仕事を楽しくしようと行動しているか。
仕事を有意義なものにしようと行動できているか。
そういった自問自答の末に、自分なりの働く環境を作っていくべきなのである。
いつの間にか、目的と手段が逆転していた
稼ぐことがゴールになった人達を何度も見てきた。
確かにお金は必要であるし、生活を豊かにしてくれる大変魅力的なものだ。
しかし、お金を稼ぐことが先に来ている人物はいつの間にか、自分しか目に入らなくなってくるように私は思う。
それこそ、先で記述した
ご高齢の方からお金を巻き上げる人たちは悪い例であることは明白である。
加えて話すと、社員のことを考えられなくなった経営者も私には同じくらいに悪質なものを感じる。
以前書いたことがあるかもしれないが、会社を経営するにあたって、経営者は二通りの利益獲得方法があるように私は思う。
一つ目は、画期的な製品を発明・開発し、それを高額でも良いからと購入してくれる方向けに営業を行うこと。
二つ目は、人件費の掛からないような仕組みを作り、良品を安く提供すること。
私は、この二つくらいしかない。と思っている。
(それ以外にもあれば教えてください)
そして、前者は紛れもなく良い企業であろう。内情は分からないが社会にとって必要な物を生み出し、それを販売しているのだから。
しかし、後者の中には恐ろしくブラックな企業が存在するという事実がある。(後者の企業全てがブラックと言っているわけではありません)
一見すると、どちらも社会にとっては必要な会社であるだろう。
だが、人件費を安くする仕組みというものが存在せずに、単純に安い賃金で人材を使い捨てている経営者を多く見てきた。
そういった人材をコストのようにしか捉えることが出来ない経営者も存在しているのだ。しかも、こういった経営者は少なくないむしろ多いのだ。
そこが、日本の闇だなと私は思う。
話はそれてしまったが、仕事=お金と考えるとどうしても良くない方法を取ってしまう方もいる。それは事実である。
だからこそ、仕事をお金を稼ぐゴールにしてはいけないのだ。
最後に
かの、松下幸之助さんは「社会奉仕が先、利益は後」とおっしゃっていたと聞く。
この言葉は、今の日本の中小企業には必要な考え方であり、言葉なのかもしれない。
そんなことを考えたという話。