悪いことは言わないから『好かれる部下』を目指そう!
『上司ガチャ』という言葉を最近良く耳にする。
確かに上司は選べない。しかし、上司も部下を選べない。
部下という主観で見ると自分だけが選べない運ゲーと感じるかもしれないが、客観的に見ると上司もどんな人物が部下になるのか運ゲーなのだ。
もしかしたら、『部下ガチャ』という言葉がもう流行りだしてもおかしくないのかもしれない。
余談は置いておいて、私は上司を選ぶよりも、選ばれる部下になることをお勧めする。
それが今回の『悪いことは言わない』シリーズ
悪いことは言わないから『好かれる部下』を目指そう!って話。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
オットー・フォン・ビスマルクの言葉である。
私はこの言葉があまり好きではない。それはきっと私が愚者だからである。
自分の経験や判断でしか物事を図ろうとしない。そんな人間である。
話を本題に戻すが、この言葉が今の上司と部下という関係性作りを円滑に回してくれると私は考える。
私のまだまだ浅い社会人経験則になるが、全員に平等な上司はいたが、全員を嫌っている上司に出会ったことは無い。そして全員を好きな上司もいないのだ。
結局は上司も人間であるし、数年後は自分がその立場にいる可能性もあるのだ。
その時に考えてほしい。『自分の仕事ぶりだけを評価』してくれる上司がどれだけいるのだろうか。
自分が上司になった時にその人のひととなりを一切無視して、仕事だけ、数字だけで評価する上司になりたいか?という話だ。
そこまで極論を言うつもりは無いが、結局はそこに行きつく。
否、違うと感じる。
上司も部下の性格や良い行いは業務に関係なくても評価したいのだ。
困っている社員がいた時に相談に乗っているか、細かい気遣いが出来る人物かなど。他にもあるだろうが、そういった部分も評価したいはずだ。(社風にもよるが。。。)
直訳すると、上司から見て可愛がりたい後輩を評価してあげたいという言葉になってしまうが、先ほども記述した通り上司も人間だ。
そういった部分を評価してあげる気持ちも分からなくはない。
私はここで思う。
上司が皆そうではないが、ほとんどの上司が愚者なのではないだろうかと。
「自分が経験した部下を評価する」結果として、この評価方法でしか部下個人を測ることが出来ないのだろう。(歴史に学ぶということが出来ないので仕方ないですけどね。)
だが、部下は歴史に学ぶことが出来るのではないだろうか。
どのような人が上司に好かれているのか、そもそも上司がどんな人物なのか。を知ることは容易であるはずだ。
結局人間の多くは自分と似た人物に好意を持つことが多い。
答えが目の前にあるのだから、実際こんな簡単な問題は無い。
しかし、部下になる私たちはありのままの自分を優遇してほしいと考えてしまうのだ。それはあまりにも勿体ないのではないだろうか。
上司を選ぶことも変えることも出来ないのであれば、部下として生きる方法は賢者として上司の歴史を知り、行動に移すべきなのだと私は思う。
その会社で役職者になりたいのか
結局は、その会社に留まり役職者や取締役を目指し行動することが必要となる。しかし、人間は愚かで傲慢だ。
だからこそ、上司ガチャなんて言葉が出来る。
あなたが部下の立場で、上司たちに「部下ガチャ失敗したわー」と笑われていたらどうだろうか。
上司も同じ気持ちだろう。仕事がデキなくても上司になった人だってそれなりに苦労はしているだろうし、パワハラする上司も以前はパワハラされる部下だったのかもしれない。
上司の全てを容認する必要はないが、自分は容認されたいのに上司のことは容認しませんでは、さすがに可哀想だろう。
その会社に長く勤めるのであれば、部下として入社した我々が仕事させてもらえる環境を作ってくれた上司には感謝するべきだ。その心を忘れてはいけない。
その心がいずれ上司になる、あなたの部下にも伝染するだろう。
最後に
私は一社に留まって仕事をするつもりが無い。
いつかは起業または共同で事業を起こすつもりだ。
だから、どうという訳ではないが「上司ガチャがー」などと話す部下は会社を辞めたら良い。どうせろくな上司にならないのだから。
結局、悪いことは言わないから『好かれる部下』を目指そう!
今日はそんな話。