悪いことは言わないから『綺麗事』しか言わない奴を信用するな!
綺麗事とか耳障りの良い言葉って、私も含め皆が好きだと思います。
正直、楽になれますもんね。
頑張らなくていいとか、嫌なら逃げてもいいとか、学校行かなくてもいいとか。。。
努力もしないで、結果が付いて来ないのは当たり前なのに環境とか周囲のせいにして、自分を正当化する材料にしたいんですよね。
分かります。私がそうでした。
でも、その結果待っていることはクソみたいな負け癖と逃げ根性でした。
今でも、根っこは変わんないですけど、ちょっとはポジティブになれたかなと感じます。
本記事では、『悪いことは言わないシリーズ』として、綺麗事しか言わない人をぶった切っていこうと思います。
誰が幸せになるの?
辛いことを吐き出して幸せになる?それで楽になる?
相手が言ってほしい言葉をかけて満足?誰を救ってる?
そんなことを、ふと考えてしまいます。
辛いことを言う人は、「大丈夫だよ」とか「力になるよ」とか耳障りの良い言葉で騙されるのが落ちでしょう。
それに、答えなくてはならない人も、自分の意見ではなくその場で相手が言ってほしそうな言葉を持ってきて話しているだけです。
さて、この瞬間誰が幸せになっていると言えるのでしょうか。
表面上では、辛いと嘆く人は気持ちが楽になったかもしれませんが、本当に困ったときに助けてくれる保証なんてどこにも無いのですよ?
大丈夫と軽い気持ちで相手を救った人は最後まで面倒を見る事が出来ますか?という問いに対して、真摯に向き合い発言できますか?
結局はお互いが辛くなるだけなんですよ。
綺麗事しか言わないモンスターが誕生する理由は?
皆が皆を信用できない世の中だとか嘆いている人にとって、綺麗事が唯一信じる事が出来る言葉なのでしょうね。
私の周囲にもいました。
自分の意見に共感しない者は全て敵とみなして、共感してくる者のみを受け入れる人物。
結局のところ、こういう人物を扱うには綺麗事で手懐ける方法が一番楽なんですよね。
虚勢の塊で自分を大きく見せたい奴らは、自分が本当に求めている言葉をこれだと勝手に勘違いしてくれますからね。
意外にも世の中そんな連中が多いので、教祖になるためには綺麗事を連発することが大切なんですよ。
まあ綺麗事連発しているだけなんで、何も生まないんですけどね。
最後に
最後まで話しませんでしたが、僕はどちらかというと教祖側で綺麗事を連発している方でした。人に嫌われたくないし、綺麗事さえ言っていれば周囲に人もいてくれる。
そんな想いだったと思います。
でも、それはダメでした。私の罪悪感が膨張していくだけでした。
本当の事実に目を向けて、厳しくても、嫌われても、それを言葉にしなければいけない。
私はそう思います。
だからこそ、
悪いことは言わないから『綺麗事』しか言わない奴を信用するな!
と私は言いたいです。
私自身がその立場で、私の綺麗事によって失敗してきた過去があるということが本記事の根拠です。
今日はそんな話