「優しい」ってなんだろう?
同僚の男の人が口にした一言があまりにもクリティカルヒット過ぎて、1日経っても私の脳と心は痺れたままだ。
「世の中に“優しくない彼氏”っているんですか?」
彼が言うには、世の中の彼女の多くは「彼氏のどこが好き?」と聞かれて「優しいところ」と答えるのだそう。「彼はちょっとルーズなところがあるけど、でも優しいから好き」「私には優しくしてくれるから愛されてるなって感じる」「私が嫌なこと言っても怒らないし常に優しい」etc....
答えは「いるんです」。
恋愛=ALLお花畑ではないんです。ロマンティストな年下の同僚に私は冷たい現実を突きつけることにした。
「優しくしたら負け」と思っている男
私の恋人は優しくない。
正確に言えば、“女に優しさを求められる瞬間”を憎んでいる。
日頃はとても“善良な紳士”だ。電車で老人がいたら即座に席を譲るし、道端で車椅子から人が転倒したら抱き上げて戻すし、当然のように物を落とせば拾って渡す。最近はときどき忘れるけど、道を歩くときは私を道路の内側にエスコートして自分は車線を歩く。人目のあるところでは私のコートの着脱の手伝いもしてくれるし、椅子をひいてくれるときもある。
彼は“善良な紳士”だけれど、決して“優しい彼氏”ではない。
数ヶ月前、私は仕事に追われて昼・夜食を食いっぱぐれたあげくに高熱のまま締め切り残業し、大雨の中タクシーで深夜2時帰宅した。震えながら朦朧とする私が部屋の入り口に現れた途端にベッドの中の彼は一瞬、迷惑そうに顔を上げてから就寝。
隣にそっと入り込みながらも震えが止まらず身を丸めている私の気配に、彼は大きな溜息をついて背を向けた。その瞬間、どっと大きな哀しみの波が私に押し寄せ、私を飲み込んだ。仕事と私生活の不幸を全て背負い込んだような自分の姿を哀れんで大号泣。すると私に向けた背中から「うるさい! 静かに寝ろ!!」という怒号…。
彼はとにかく女が泣くことが大嫌いらしい。感情的な女性が嫌いでヒステリーに付き合いきれないのだと言う。だから、「弱っている」「傷ついている」というアピールは頑なに拒絶するのだそうだ。
確かに、彼からすれば、自分を追い詰めて働く私はバカみたいだし、そうさせている会社が悪いのであって、優しく出迎え介抱しない彼が悪いわけじゃない。むしろ彼にとってはいい迷惑だというのも客観的に正しい。そこで優しさを求めるのは合理的ではないし、極めて感情的で一方的な都合だ。
「優しくされる=愛されている」と思っている女
しかし、残念なことに彼が結婚しようとしている女(私)はとても感情的な人間だ。疲れていたら労い、倒れそうになれば支え、傷ついていれば抱きしめる。そういうことが「人間として(そして相手を人間として見ている人として)できて当然」の行為だ思う。人間じゃないの?と疑ってしまいすらする。
私の中では「愛する=優しくする」なわけで「優しくされない」は「愛されていない」に直結してひどく傷ついた私は涙が止まらなくなって、彼は心底吐き気がするという態度をとり、私は癇癪を起こすか子どものように泣き出すかで、最悪ループに突入してしまう。
だってさ。
自分の可愛い女が泣いてるんだよ? 普通、胸を痛めません? 「可哀想」って思いません? 可哀想だから抱きしめてあげようって思うのが男なんじゃないの? どうなわけ? おめえ、器がちっちゃすぎだろ!!!!
彼女が体調を崩していても無視。
(自分が体調を崩しているときに看病されることには疑問を感じない)
喧嘩しているときに彼女が泣いていたら敵意を見せて無視。
(自分が泣き出すときに抱きしめられることは覚えてない)
あかの他人だったら「大丈夫ですか?」と声をかけるだろうし、私が外で体調を崩せば素直に心配してくれる。でも、2人っきりでパーソナルでエモーショナルな文脈になると、彼は「優しくしない」を表明してくるのだ。
優しさとしての“マナー”はあるけれど、“愛情表現”としての優しさは持ち合わせていない。人間味が欠けているのか、障害か何かでパターンの学習が足りていないのか、あるいは他に理由があるのか…。
私たちの「愛」とは、「互いのために成長すること」
世の中の彼氏は皆優しいと思えている男がこの現実に存在している。その逆を考えているに違いない男=彼に、彼女に優しくできない理由を聞いてみることにした。
「あなたが私に優しくできないのは家族に甘やかされ過ぎた結果、自分勝手で人を受け入れる度量がない男に育ったからだと思ってるんだけど、この認識で正しい?」
「いや、違うと自分では思うけど。僕だって優しくしたいとは思うよ。でもできない」
「本当に思ってたらできるでしょう。優しくしようという想像力が欠如しているからこそ、よくもあんな人でなしみたいな態度がとれるんだと思うよ?」
「…………………」
「親の仇でもとるかのようにさ、敵意むき出しじゃん」
「……だって優しくしたら君のためにならないでしょう?」
「はあ?」
何を言っているのだろう? どういうロジックがあれば優しくない男が私のためになるというのだろう? 優しくない男は私の寿命を縮めるだけだ。
「なんで、優しくしたら私のためにならないわけ?」
「君が泣く。そこで僕が優しくする。すると、君は『自分が正しい』と誤解し、ことはうやむやにされる。もやもやしたまま日常に戻ることになり、そして悲劇は繰り返される……」
私は呆れ果て、一瞬ぽかーんとバカみたいに口を広げたまま、彼の顔をまじまじと見つめた。冗談を言っているのかと思ったし、あるいは、自分の都合しか考えられていないことを「君のため」なんて言える人間の面の皮はどれほどに厚いのだろうと思ったから、彼の顔に穴が空くほど凝視してしまった。
私も自分勝手な人間だし「我賢し」みたいな口を叩く彼にそっくりだけれど、それでも彼が泣いているときに一度としてそんなことを考えたことはなかった。
しばし黙り込む私。
静かに見守る彼。
数分後、私はそっと口を広げ、静かに彼に問いかけた。
「それって“調教”や“躾け”だよね」
彼は「あ…」という顔をして黙りこくった。
「ダメなことをした犬に飼い主が無視をすれば、いずれ犬は悪いことをしなくなる。いけないことをした子どもに親は躾ける。あなたのやっていることは、犬猫や子どもに対するものだったら正しいと私も思うよ。
でもね、パートナーは犬猫や子ども、その飼い主や親じゃない。性的な関係にあるパートナーは対等な立場にあるんだよ。私が泣くのは、自分が正しいことを通すためじゃない。傷ついて、不安を感じて泣くんだよ。
あなたが涙を浮かべて私に謝罪するとき、泣いて後悔しているとき、私はあなたを抱きしめているでしょう? それはあなたが正しいことを認めるためでもなんでもない。『それでもあなたを愛している』と問題を乗り越えてあなたを抱きしめているんだよ」
彼は俯いて両手で顔を覆った。
「ごめん…。本当にごめんなさい…。あなたに優しくしてこなかったことをとても後悔している……」
「私は今傷ついているよ…?(優しくされないことに疑問を呈したことで口論になっていたので)」
「うん、本当にごめん……(私をハグする彼)」
偉そうに彼に教え諭し、誘導したところはある…けれど、彼の胸に抱かれて私は、彼のこの素直さを心から尊敬していることを実感した。私は素直になれないから、甘えたいときに怒ったり泣いてしまう。「優しくない」というのも素直だからこそのものだとも思う。だから私は彼を信用している。ひねくれている私が、彼のシンプルな愛を歪めているのかもしれない、と感じて複雑な思いにもなった。
出会ってから約3年。どちらも30を過ぎたいい大人だけれど、好きなように生き、好きなようにものを言う、未熟な人間同士だ。相手の受け入れられないところが多く、衝突し、傷つけるし、傷つく。外では「社会人」として「善良な人」として生活を送っているけれど、実は他の人よりも多くの欠点や問題を抱えて生きている。
これから成長していけるのかわからない。
ネガティブ思考の彼は「前向きになれない」とよく弱音を吐くし、それに私は不安を感じて苛立ちもする。優しくない彼にストレスを感じるし、もしかしなくてもお互いにお互いを不幸にしている。
それでも今は諦めたくないと思う。
彼のために私はどんな試練も乗り越えていきたい。弱い自分、汚い自分、振り返りたくはない過去とも向き合って、自分の弱さを克服していきたい。私は成長していける、その自信がある。
彼は自信がないと言う。諦めてしまうんじゃないか、と私が見ていて感じることもある。「僕は君に依存しているようでこわくなる。つらいと感じるのに君に執着してしまうから病気なんじゃないかって不安になるんだ」「なんてひどいことを言うの」と思いつつ「それって私のこと好きだってことだよね…?」とも思う。
これからも私は傷を負っていくのだろう。そう思うとこわい。
でも、あなたといて幸せだと互いに笑える日々が続いていくよう、頑張っていきたい。
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