見出し画像

人参が嫌い

人参が嫌い

ぼくは人参が嫌いだ。
でも、恋人を人質にとられて「たべるんだ!」と脅されれば食べないこともない。食べたら1万円やろうといわれれば食べると思う。1000円でも食べられるかも。考えてみると、食べてお腹を壊したこともない。つまりぼくの場合、「嫌い」は「食べられない」という意味ではないようだ。
もちろん人参が両親の仇(かたき)というわけでもない。


「嫌い」の反対は「好き」だとおもう。もちろん程度はあるはず。すごく好きでそれだけを食べ続けてる人がいるかもしれない。一方で、アレルギーのように身体生理的に受け付けない人もいる。けれどどちらの場合ももはや、好きとか嫌いという言葉とは少し違うようなきがする。

以前、グリンピースが嫌いという女の子と口論になった。彼女はシュウマイの上に乗っているだけでダメだという。なにもドンブリいっぱい食べるわけでもないのに。そもそもぼくは、好きか嫌いか判別できるほどグリンピースの味について考えたこともなかった。
「嫌いってどういうこと?」「嫌いだから嫌いなの」

ぼくの「人参嫌い」と彼女の「グリンピース嫌い」はどうやら何かが違うらしい。話し合ってもよくわからなかった。(たぶん親の仇ではないはずだ)二人で同じ食事をするなら「シュウマイと人参」はやめようってことで合意をえた。

ぼくは人参が「嫌い」なのだろうか。

好きとか嫌いという言葉はシンプルでわかりやすい。「好き」はもっとほしいだし、「嫌い」はなるべく遠ざけたいという意味で間違いない。わかりやすい。けれど実際にはもっと複雑で、説明したり共有したりすることが難しい、個人の感覚に絡みついたものじゃないだろうか。

好きとか嫌いというのはわかりにくいし難しい。

そういえば、「ぼくを人質にとられたらグリンピースは食べる?」という質問をしていたら、彼女はなんて答えただろう。



【ブロッコリーは好きです。たぶん】


いただいたサポートはクリエイターとしての活動に使わせていただきます。サポートよろしくおねがいします。