【俳句エッセイ】緋鯉
我先に群れる緋鯉の恐ろしき 白月
季語 緋鯉 《三夏》
明石白ちゃんの記事で、恐怖感が話題となった。
白ちゃんは日本史の専門家で、ライターをしている。
その歴史考察は膨大な史料を精緻に分析し、史実の根底にある人間の機微を描き出すスタイルで、歴史好きにはたまらない。
noteのみでなく活躍されているので、追っかけの俺としてはネット世界に転がっている彼女の記事を掘り起こしては少しずつ拝見している次第である。(小野篁の記事面白かったな)
そんな白ちゃんが蓮に抱く「怖いから好き」という感覚は、自分にも頷けるものがあった。
そのものが怖いというより、その裏にある深淵が怖いという感覚だろうか。
仏像にも造詣が深い白ちゃんだからその神性も踏まえた上での感覚。
さすが、辞世の句からその人物を丹念に読み取る白ちゃんの慧眼である。
さて、そのコメント欄にて、俺は餌に群がる鯉が怖いと書いた。
別に鯉が怖いわけではないし、鯉こくも美味しくいただける。
ただ、いつの頃だったか渓谷のそうめん流しに連れていってもらったとき、その思いは生まれたのだと思う。
そこでは鯉料理が名物として振る舞われており、それをみんなで食べていた。
当然食べ残しも出るのだが、人々はそれを窓の外に投げ捨てるのだ。
気になって覗いてみると、そこには数多の鯉の群れ。
そっと後ろに立った大人が、
「君も餌をやってごらん。
ただし、夢中になりすぎて手を伸ばしてはいけないよ。
指を食いちぎられるからね。」
みると、そこには無数の虚空があった。
知らぬこととはいえ、同族の肉を求めて群がるそれが、自分の指を食いちぎる様が、脳裏にありありと浮かんだ。
だから俺は、群がる鯉が怖い。
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