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おばけと恋人
ある人との会話で、「自分の考えていることを何でも安心して話せる相手」についての話が出た。こんなことを言ったらどう思われるだろう、否定されるだろうか、おかしいと言われるだろうか、軽蔑されるだろうか……といったことを一切心配しなくていい相手の存在について。
そういう人と過去に出会ったことがあるという人もいるだろうし、今現在の身近な友達やパートナーの顔がすぐに思い浮かぶとしたら、それはおめでとう。そういった関係性は本当に得難いし、人間にとってこの世で最も尊いものに分類されるからだ。
でも、それをまだ見たことがないという人もいる。この世界がすごく平和で温かみに満ちてると感じている人はそんなに多くないと思うので、おそらくこれはこの世で暮らしている人間全体のそれなりの割合を占めると思う。多くの人は、本物の愛情とは何なのかということを、まだ知らない。
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たとえば「プロのミュージシャンになりたい」という若者がいるとして、実際になれる確率がかなり低いというのは事実だろう。信じているから必ずなれるというわけではない。でも、仮に本人が「自分ならできる」と心から信じていないとして、その人が本当にプロになるということは可能だろうか?
努力したからって成功するとは限らないけれど、努力せずに成功するということはあり得ない。それで、自分で信じてもいないことを本気で努力することなんてできるだろうか? そんな人っている?
で、冒頭の人間関係の話になる。人間関係というのはお返しの連鎖でできているので、こちらが相手を大切にすれば相手もこちらを大切にしてくれる、みたいな面がある。でも当然、それは必ずではなくて、むしろ返ってこないことも多い。誰のことを好きになるのかというのは本人が決めることだから、気のない人に一方的に好意を向けたって、それが返ってくるべきだとかは言えない。それはそうだ。
そういう中で、人に親切にしたり、徹底的に寛容であったりすることって、お返しをしてくれる人がちゃんと存在するって信じていないと難しいんじゃないかなって思う。いつでも相手は裏切るだろう、こちらの善意を搾取してくるだろう、なんて疑っていたら、そんなことは決してできない。
そうだとしたら、まだそういう善なる人を見たことがない人、まだその存在を信じることができない人は、どうしたらいんだろう。まだ見たこともないものを信じろって、幽霊が存在することを信じろって言われているみたいだ。
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ある経験を最初に得るためには、それを既に経験している必要がある。なんだか「自分の靴紐を掴んで自分を宙に浮かせられるか」みたいな話を連想する。いわゆるブートストラップ問題。
私の経験では、「自分はそれを知らないのに、たまたまそれを知っている人が奇跡のように目の前に現れて、無償でそれを与えてくれる」というこの世の偶然にしか、突破口はない気がする。それを自分の力でどうこうすることはできないっていうことだ。
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私はおばけを信じていない。そういうものを見たことはないし、「他の人たちが昔からそう言っている」という以外に存在する理由があるとは思えないからだ。こういう笑い話がある。
「もし幽霊が存在して、心霊写真に写るというなら、顔とか手みたいな人間にとって認識しやすい部分だけでなくて、服を着ていない状態のおへそとか背中とか、さらには写ってしまうと明らかに不適切な部分とかも同じ程度の頻度で出現しなければおかしい」
私もそう思う。だからたぶん、本物の幽霊はいない。
愛情については、私はそれを見たことがあるから、かろうじて信じている。
(essay 1 - 2024.6.24)
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