社交
社交的な場面でたじろいでしまい、どんな振る舞いをすべきかわからず、打ち解けるための取っ掛かりを見失って尻込みするような引っ込み思案な性格のために、なんとか人と関わろうとするたびに、一人きりになって落ち着きたい、人にあれこれ言われず静かに過ごしたいという欲望をわたしは抑圧するのだが、同時に、他者との交流がうまくいかないとわかると、本当は社交的な人間として大勢の前で軽口をたたいたり、すぐさま気の合いそうな友人候補を見つけて連絡先を交換したりしたいといったもうひとつの欲望をも抑圧する。つまり、わたしにはどちらでもよいのであって、べつに自分の性格にこだわりもないのだけれど、それでもわたしは引っ込み思案で消極的な人間として周囲からみなされ、無理をして誰かと話さねばならず、ちょっとでもおどけた姿をさらそうとたくらむものなら、それはたいてい失敗に終わるか、自分らしくもない振る舞いとして認知され、あまりの恥ずかしさに体がこわばってしまうほどだ。だからといって、わたしはやはりユーモラスで気さくな茶目っ気のある人物として一目置かれるということを、その時点では完全にあきらめているわけでもない。そこで、よし開きなおってやろうという思いにかられ、今後は一切、他人の目線などおかまいなく勝手気ままにさらけだし、自分らしくいればよいではないかと自分に言い聞かせるのだが、いったいわたしはどちらの自分らしさにもとづいて開きなおればよいのかがわからない。ようするに、なりふりかまわず笑顔や無駄口をふりまく愛想のいい自分でいるべきなのか、それとも無口で無愛想で無関心なつまらぬ自分を貫くべきなのか、ということである。わからないから、じっとしている。喋ってはだめだ。しかし、みんながわたしをひとりにさせないのだ。