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生き延びる、から、命を生き切る、へ

わたしは小さい頃、
8人で暮らしていました。

曽祖母、祖父母、
両親、叔父、妹、
そしてわたし。

地方の田舎に住んでいたんですが、
見栄を気にして、
やたらプライドを持った人が
多く住んでいる場所で。

昭和の終わりから平成初期にかけて、そういう人がたくさんいた時代だったからかな?

周りの大人は
いつも見栄を気にして、
いつも不機嫌で、
眉間に皺を寄せたり
陰口をぶつくさ言ったり。
相手を自分の都合のいいように
コントロールしようとしたり。

そんなのを見て育ちました。


母はそんな家に嫁に来て、
頑固で気の強い曽祖母
気難しくて陰気な祖父
恩着せがましくて見栄っ張りな祖母
短気で気難しくて傲慢な父

そんな人たちを相手にしながら
仕事にも行き、家事もして、わたしたち姉妹の世話をしていました。

本当、今思うとよく耐えられたなと思うほど、想像を絶するほどの苦労と屈辱とストレスにまみれた生活だったと思います。


そんな母を見ながら、長女としてはさらなる苦労をかけたくないし。母に喜んでもらえたら嬉しいし。ワガママなんて言えない。自分がどう振る舞えば、この場が丸く収まるのか。小さい頃からそんなことを考えて過ごしていました。(2つ下の妹も奔放で、嫌なものは絶対嫌、を貫く子だった)


わたしにとって、自分の本音なんてさておいて、母の意見に何でもかんでも賛成すること、同意することが、自分が生きる意味だったんです。いわゆる、大人の言うことをきく「いい子」でいること。それが、わたしが母にできる唯一最大の貢献でした。

母と違う意見を持つことは、母を悲しませること、母を怒らせること、母を裏切ること。
それはわたしにとって「生きていけない」「見捨てられる」「生きてる価値がない」と同義だったんですね。


わたしが我慢すれば。
わたしが従えば。
表面上、とりあえず平和にまとまってくれればそれでいい。と思っていました。本当に、不機嫌な大人たちばっかりだったので。


家の中はとても居心地が悪くて、家族はお互いに信頼し合ってないから本音も言わないし、ただの見栄とプライドのぶつかり合い。血のつながった家族なのに、どうしてここまで仲良くできないんだろう。どうしてこんなに薄っぺらいところでしかやりとりできなくて、どうしてこんなにいがみ合ってるんだろう。ずーっとそう思っていました。

でも、そんな家で、そんな家族の中で、なんとか生きていかなくてはいけない。

無意識のうちに自分の感覚を麻痺させて、本音も無いものとして過ごしていたから、当時どんな気持ちで過ごしていたかよく覚えてないけど、振り返るととにかく窮屈で、自分を押し殺して、よく生き延びたなと思います。

生きることは本来、喜びであるはずなんですよ。だけど、「生き延びる」という文脈に入った瞬間、不安と恐れにまみれて、毎日を生きることが苦行のようになってしまう。常に不安を抱えながら生きていたら、幸せは感じられません。

『お金の不安と恐れから自由になる!』

自分で自分を満たし、自分の人生を豊かに生きるには、「この社会でなんとか安全に生き延びる」から「自分の命を生き切る」という意識にシフトする必要がある

『お金の不安と恐れから自由になる!』


自分で自分を満たす とか、
自分の人生を豊かに生きる なんて、
そんなのできっこないって無意識にあきらめ続けてました。これはもう、つい最近まで。何でもかんでも、思い付いたら即、あきらめる癖がついてました。


最近になって、HSS型HSPとかINFP(仲介者)の性質が自分にあると知れたけど、
今までの人生ではデメリットしか感じてなくて、どうしてこんな性質で生まれたんだと、長いこと思っていました。
それは、ただただ安全に、できるだけ無難に、この社会を生き延びられたらそれでいいという意識だったからですね。


だけど今はもう、いろんな人のお陰様で、そんな意識はすっかり影を潜めて。ほとんど出てこなくなりました。


自分で自分を満たす。自分でしか満たせない。
自分の人生を豊かに生きる。他の誰でもない、自分の人生なのだから、自分の質を知って、それに気付いて、活かしていく。
だってそうじゃなきゃ、「わたし」に生まれた意味がないもんね。と、思っています☺︎


今はお休み中の四柱推命鑑定も、自分の質を知るためにはとてもいいツール。「わたしはこういう人なんだ」とレッテルを貼って自分を縛るためではなく、もっと自分らしく、自分を活かしていくために使っていきたいな。

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