世界の見え方は何も変わってない
3年前、祖父はこの部屋で最後の日を迎えた。
その日も新聞に目を通し、何気ない会話をした。ここ流れる空気感は20年前と何も変わっていなかった。
私は小さい頃、毎日じいちゃんと一緒に寝ていた。じいちゃんはいつも、小さなスタンドライトをつけて、古くて紙がちゃいろくなった本を読んでいた。じいちゃんの横顔を眺め、ちょっと話をして眠りについた。
朝起きると、老眼鏡をかけて新聞を読んでいる。私にはさっぱり分からないけれど、朝霧に包まれた庭をじいちゃんと散歩することが楽しみで目が覚めた。
写真は過去の記録。
ここにいる私が、そんなことを考えて、眠りについて、目覚めていたことなんて私にしか分からないだろう。
けれど、この頃はそれが全てだった。
私が世界をそうとらえ、全てがそう動いていた。
じいちゃんの枕の匂いも、じいちゃんの後ろにテレビがあることも、雷が鳴った時でもここにいれば大丈夫だと思っていたことも、目が覚めて時計の音と暗闇が怖かったことも全部。今の私の中にもずっと生きつづけている感覚だ。いつだってこの時の私に立ち戻れる。
けれど、大人になって、この写真を見て気付く。
「この時、こんな風にみえていたのか」と。
家族にとってはきっと、じいちゃんと私が寝ている日常の風景。
この写真を撮った家族はこの時何を思っただろう。
じいちゃんは、いつも寝る前に何を思ってただろう。
私がここを離れてからは、何を考えていただろう。
そんなことを話すこともなく、あの頃と同じ空間で祖父は死んでしまった。
20年前の日常も、最後の日も。
私から見えているこの空間は同じだった。
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