窮屈で苦しいだけの服が人生を変える服になるまで
◎窮屈で苦しいだけの服が憧れの服になるまで
窮屈で苦しいだけの服。
成人式の前撮りのために初めて振袖を着たときの感想だ。
着物なんて二度と着ない。もう二度と会うことはないと思った。
その2年後、職場の人間関係や仕事の将来性に絶望し、逃げるように入学した大学で再び出会うこととなった。
同じ学部の友人が所属する茶道部のイベントに招待されたとき、きれいな着物を着た部員が、優雅な動きで茶や茶菓子を運んでいた。それを見たとたん、窮屈で苦しいだけの服という印象が一転、優雅でおしゃれな服という認識に変わり、たちまち着物に憧れの感情を抱いた。
ところが、『年2回の茶会に参加するときの着物は自己負担』と聞き、現実に引き戻された。当然といえば当然の話なのだが。しかも、具体的な金額は忘れてしまったが、部費自体もそれなりに高かった。会社員時代の貯金に合わせ、アルバイトで得たお金で学費を賄うのに精一杯だった私にはとても無理な話だった。
そもそも私には縁がない世界だったのだ。私は自分にそう言い聞かせ、憧れをそっと箱に入れて閉じ込めた。
◎思わぬところでの再会
月日が流れ、結婚、出産した私は、お宮参りの時期を迎えようとしていた。
すると義母から『お宮参り用の掛け着物を送った』と連絡が来た。完全に事後承諾である。聞けば、件の掛け着物は加賀友禅なのだという。思わず夫と顔を見合わせた。加賀友禅といえば、着物にさほど詳しくなくても、高価なものであることぐらいはわかる。
私は恐縮して言葉を失い、夫は「なんてことをしてくれたんだ」と怒り心頭。何を隠そう、夫は無駄が大嫌いで、物を捨てることに快感を覚えるミニマリスト。長い間着られるわけでもない服にそんな大金を払うなんて無駄でしかないと。今回だけだからなと、義母に釘を差す夫。
いざ、お宮参りを迎え、まだ何も話せない娘に掛けられた加賀友禅をじっくりと見てみると、目を見張るほど美しかった。写真スタジオに置いてあったレンタル用の掛け着物とは雲泥の差がある。素人ながら、高くて当然だと納得した。義母にお礼を言うすがら、「加賀友禅は美しい。着物っていいもんですね」と伝えたあとの義母の返答に唖然とした。
「あら、そう?じゃ、私の着物、着ていないものもたくさんあるし、白豆腐ちゃんに譲りたいんだけど、どう?」
◎義母と着物
義母は、息子2人が成人した後、忙しい仕事の合間をぬって着付け教室に通ったり、着物を買い揃えたりしていたらしい。
そんなさなか、死の淵をさまよう事故に遭ってしまい、そのときの大ケガがもとで、着物を着ようと思えなくなってしまったのだという。
ところが、手放そうにも、一度も袖を通していない高級な着物ですら二束三文で買い叩かれてしまう現実。義母はそれが悔しかったのだという。「息子2人のお嫁さんたちに着物を着てもらえたらうれしい」と思っていたそうだ。
◎運命の女神、義母の名アシスト
憧れの着物をもらえる…
夢のような話だった。喉から手が出るぐらい欲しかった。ところがその願いを叶えるためには厳しい難関があった。夫である。
前述のとおり、夫はミニマリストであり、お金、スペース的に無駄なものが大嫌い。しかも亭主関白。案の定、「スペース取るし、着物なんてもらうのやめておけよ」ときつめのジャブを打ってきた。
「でもほしい」「いいや、ダメだ」と押し問答する私達に、義母が鶴の一声を発した。
「私の"形見分け"って言ってもダメなの?事故で"一度死んだ"とき、『死んだらあの世には何も持っていけない』と痛感した。だから生きているうちにお嫁さんたちに譲っておきたい」
"一度死んだ"経験のある義母の重い言葉に、さすがに夫も何も言えず、私が義母の着物を譲り受けることに承諾してくれたのだった。
しかもこのとき、桐の着物箪笥も買う約束も取り付けてしまう義母は大変やり手だと思う。自分のほしいものは必ず手に入れる、そんなしたたかさを見習いたいと思った。
そして、娘が小学校に入学するのと同時期に引っ越したタイミングで、桐の着物箪笥を購入した。譲り受けた着物を箪笥に納めたときの感動は一生忘れないだろう。
なお、私と義妹(夫の弟の妻)の着物への関心や着るシーンに応じて、義母から譲り受ける着物は下記のようになった。将来を見据えて着物や帯を分配した義母はさすがだと思う。
<私>
休日のお出かけで気軽に着たい
いずれ茶道を始めたい
冠婚葬祭で着る機会は少ない
→浴衣、紬・小紋(※1)がメイン、訪問着(※2)は少なめ
<義妹>
着物への関心は低い
立場上、ハレの場で着ることが多い
→訪問着のみ
※1
紬・小紋…外出着、普段着の着物を指す。
洋装でいうと少しかしこまったワンピースのようなイメージ。
※2
訪問着…フォーマルの着物を指す。
お宮参り、七五三、入学式、卒業式、披露宴、パーティで着用できる。
◎コンプレックスを解消してくれる服
コンプレックスだらけの私にとって、着物はコンプレックスを解消してくれる服だ。
まず1つ目は、似合う洋服がないこと。
身長が低く地味な顔立ちなうえに、加齢とともにますます似合うと思える服が少なくなっているのを感じていた。雑誌のモデルや衣料品店のマネキンが着ている素敵な洋服が自分にはしっくりこないのだ。
「私なんておしゃれするだけ無駄だから、とりあえず無難な服を着よう」とファッションを楽しむとは無縁の人生を送っていた。
ところが、着物を着るようになってからは、身長の低さや地味な顔立ちが一切気にならなくなった。
それもそのはず、着物はもともと顔の彫りが浅く、背が低い日本人のため服なのだから。しかも、胸が小さくて寸胴なスタイルも気にならないどころか、着付ける前の補正が最小限で済むのでメリットですらある(スレンダーな人やグラマラスボディの人はタオルを巻いて寸胴になるように補正する必要がある)。
さらに、着物は着ている人口が少ないうえに、基本的に着物は"吊るし"ではないため、99.9パーセント誰とも被らない。量販店で買った洋服のように、自分よりも若くてスタイルのいい人と被って比べられることもない。
ただ、私がここで強く言いたいのは、"似合うと周囲の人にジャッジしてもらえるか"ではなく、自分で"似合うと思えるか"が大切だということだ。自分の中に揺らぎない自信があれば、ほかの誰かに似合わないと言われようと『それってあなたの感想ですよね?』と笑い飛ばせる。
そしてそれを後押ししてくれるように、義母も「白豆腐ちゃんは洋服よりも着物の方が似合う。"檀ふみ"さんみたい」とことあるごとにベタ褒めしてくれる。
檀ふみさんは言わずと知れた、女優、エッセイストだ。彼女は文句なしの知的な美人で、メディアでの着物姿が印象的だ。
(お義母さん、檀ふみは言い過ぎだよ…)
とこっぱずかしい気持ちもありつつ、私のことを全力で応援してくれる義母がそう言ってくれるのであれば百人力だ。ますます自分の着物姿に自信を持てるようになっていた。
義母との付き合いや子育てをする中で自身の人生を追体験して気付いたのだが、私は自己肯定感がかなり低かった。「似合う洋服がない」と思ってしまうのは、そのせいなのかもしれない。毎日着物を着られるわけではないが、「着物を着た私は素敵」という自信は私の心の支えになっている。
そして2つ目のコンプレックスは、人からナメられやすいことだ。
私は「優しそう」、「人によく道を聞かれそう」とよく言われるほどの"いい人顔"のようで、街を歩けば、見ず知らずの変な人に遭遇したり、いわゆる危ない人に罵声を浴びせられたり、痴漢をされたり、説教や武勇伝を一方的に聞かされたりしがちであった。
しかし、着物を着るようになってからは、先述のような変な人に遭遇しにくくなった。おそらくだが、そういう人たちは「自分に自信のない、歯向かってこない」おとなしい人を的確に選んでやっているので、そのターゲットから外されたと思われる。
少し話は逸れるが、着物は、はっきり言って脱ぎ着や手入れが面倒くさいうえに動きづらい服だ。それにも関わらず、仕事や冠婚葬祭以外であえて着物を着る人は、「好き」の一点でそれらをねじふせてしまう人と言っていいだろう。要は、"我の強い、一癖ある人"である。知らず知らずのうちに、強そうなオーラが出ているのかもしれない。
さて、話を戻そう。
着物を着ていると変な人に遭遇しづらくなるどころか、大切に接してもらえることが多いように感じている。
職場の創業記念パーティーで訪問着を着た際には、(主に年上の女性に)大変ちやほやしてもらえた。極めつけは、いつもチャキチャキ話しかけてくる年配の事務員の女性が、私を見た後に隣にいた別の人に「あのお着物をお召しの方はどなた?」とまるでVIPを扱うような言葉遣いをしていたほどだ。
また、初対面の人にも基本的に丁寧に話してもらえることが多いし、ドアを開けてもらえたりと厚遇されることが多い。もしかしたら着物を着ていることで、"いいところの奥様"と勘違いしてもらえるのかもしれない。
なんだかんだ、人は何歳になっても大切に扱ってもらえるとうれしいものである。普段は、妻として母として、家族の世話に忙しい立場だが、着物を着ている間はそれを忘れられるような気がしている。
◎「できない理由」がなくなる
着物の魅力に気付いたのはよかったものの、いつまでも誰かに着せてもらうのではお金が掛かるし、何より自分の大好きな服を自分で着られないのは悔しい。
Youtubeで着付けを説明している動画はいくらでもあるが、自分の着付けが正しいか判定してくれるわけではない。早い話、独学で着られずに途方に暮れていた。
『ほらね、あんたは何をやらせてもダメ』
次第に脳内でそんな声が聞こえてくるようになっていた。母や前職場の先輩などから幾度となく言われてきた言葉だった。
(やっぱり、私は何をやってもダメなんだ。"いつか"着付け教室に行って着られるようにしなきゃ)
着付け教室の受講料も必要になるのでまとまったお金を工面する必要もあるし、小学生の娘はまだまだ手が掛かる。だから、もう少し状況が落ち着いたらと考えていた。
しかし、今になって思えば、冷静な判断といえば聞こえはいいが、「着付けを習っても着物を着られるようになれない」かもしれないという恐怖から目を背けていたのだと思う。
そんなとき、近所の呉服屋のショーウィンドウに掲げられていた、着付け教室の看板が目に留まった。
家から徒歩5分の場所で、開催日は土曜日(月に2、3回)。休日なので仕事に差し支えがなく、家にいる夫に娘を見ていてもらえば問題なく参加できる。しかも、受講料は都度払いなので、家庭の都合で行けない日は料金が発生しないうえに入学金などのまとまったお金も不要。
まるで図ったかのような好条件である。
神様から『できない言い訳を全部排除してやったからとっとと始めなさい』と言われたような気がした。
着付けに限らず、できない理由を並べ立ててチャレンジしないことで結果的にチャンスを逃がすことが多かった。はっきり言って負け犬だ。いや、勝負すらしていないので負け犬以下だろう。
私は腹をくくり、今まで避けてきた「習っても着られるようにならなかったら?」と向き合い、「こんな私でも着られる」ようになろうと決心した。弱い自分からおさらばするのだ、と。
◎着付けの先生との出会い
それまで、着付け教室は、先生が厳格で怖い、着物を押し売りされるというイメージを持っていたが、幸い、その教室では着物を無理やり売りつけられることはなかった。
先生もチャキチャキした明るい女性で、厳格さは一切なし。楽しい雰囲気の中で、手取り足取り丁寧に教えてもらえたので、回を増すごとに着実に上達していった。
思わず先生に、「先生はすごいですね。『あんたは何をやらせてもダメ』って言われるような私を自分で着られるようにしてくれてありがとうございます」と言うと、「やだ、そんなこと言われてたの?そんなの教え方が悪いだけじゃないの?」と一刀両断。痛快だった。
長きに渡り、母や前職場の先輩などから言われて傷ついていた心が一気に癒えたような気がした。この先生に教われて本当によかったと思った瞬間だった。
着れば着るほど、知れば知るほど、着付けに夢中になり、着物を着て色々なところに出かけたいというモチベーションが高まっていった。
◎クリエイティビティを刺激してくれる服
私は着物のほかに、漫画やアニメなどが好きなので、そういったグッズをよく購入する。そして、好きな作品の公式グッズのスカーフを買ったとき、「これを帯に縫いつければ、"推し帯"を作れるのでは?」というインスピレーションを得た。
ただ、義母から譲り受けた高価な帯に手を加えるのは抵抗があったため、リサイクルショップで安い帯を購入し、それを材料とした。リメイクに向いている材料を探すのは大変だが、その過程も楽しく、「この材料を使えばほかにこういうものも作れるのではないか」と次々とアイディアが浮かぶ。
そして、副次的なメリットとして、"推し帯"を身に着けると、好きなアニメのイベントで会った仲間に褒めてもらえることも。同じ作品が好きな仲間に褒めてもらえ、喜びもひとしおである。
また、スカーフのほかにもグッズのマフラータオルを使った"推し帯"も作成した。なんとこちらは、とあるイベントでスタッフの方に「参考に写真を撮らせてほしい」と声を掛けていただけた。
そして、"推し帯"の他、私はバウンドコーデも楽しんでいる。
バウンドコーデとはバウンドコーディネートのことで、「特定のキャラクターをイメージしたコーディネート」を意味する。なお、特定のキャラクターの髪形や服装を真似る、コスプレ(=コスチュームプレイ)とは別物である。
和装でバウンドコーデをするときに自分が意識しているポイントは以下のとおりだ。
着物、帯、小物(半衿、帯揚げ、帯締め、伊達襟)に、推しの衣装の色やイメージカラーを取り入れる
帯留めや帯飾りに推しのキーアイテムやシンボルモチーフを入れる
帯留め、帯飾りについては、公式グッズのブローチや箸置きを帯留め用パーツ(手芸用品店で購入できる)と組み合わせて作成することが多い。
また、緑と赤をイメージカラーとするコンビのキャラクターが好きということもあり、緑と赤のバイカラーの帯揚げを身に着けたいと思ったことがあった。しかし、既製品では見つからなかったため、緑一色の帯揚げと赤一色の帯揚げをそれぞれ半分に切って縫い合わせ、バイカラー帯揚げを作成した。うれしいことに、こちらも仲間から好評だった。
今までは「自分に似合う服がない」と既製品に自分を合わせようとしていたが、「好きなものを身に着けたい、ないなら自分で作ればいい」という逆転の発想に変わった。着物に出会わなければこうしたリメイクをすることはなかったし、それによって仲間に褒めてもらえることもなかった。着物は私にとってクリエイティビティを刺激してくれる服なのだ。
◎着付け師になるという夢
着付け教室のおかげで着物を着られるようになり、当初思い描いていたゴールにたどりついた。
そんな私に、着付けの先生が「他装も教えてあげるよ」と次のゴールを示してくれた。他装というのは、自分で着る自装とは違い、他の人に着物を着せることである。
憧れの着物を自分で着たいという一心だったので、これまでは他装を習うなんて思いもしなかった。だが、次の道を示してもらったことで私も欲が出てきた。着せるときの向きが自分で着るときとは逆、紐や帯を締めるときの感覚が分かりづらいため難しいが、着実に上達しているという手ごたえを感じている。
先日、地元の花火大会の日に娘に浴衣を着付けてあげた。いつもと違う服を着てうれしそうに笑っている姿を見て、着付けを習っていて本当によかったと思う。そこで気づいたのは、着付けの技術=人を笑顔にできる技術、だということだ。自分に自信を持てずに生きてきた私にとって、その気づきは希望となった。そして、将来は副業やセカンドキャリアで着付け師になりたいという夢を持つまでになった。
◎着物に呼ばれ、人生が変わった
自分では手に入れられなかった着物を、約10年後に義母から譲り受けることになったことに運命を感じずにはいられない。
着物に憧れた私が、着物を諦めた義母と出会う。
着物を着たいのに着られない私が、着付けの先生と出会う。
まるでパズルのようにピタッとはまったそれは、まさに着物に呼ばれたとしか言いようがない。
貧乏な学生時代を経験し、無難に生きていければ御の字だと思っていた私の人生は、着物に出会ったことで鮮やかに彩られた人生に変わった。
私を着物の世界に導いてくれた義母に恩返しをしたい。『着物を楽しむ』という夢を道半ばで閉ざされてしまった義母の代わりに私がその夢を叶えたい。
私の夢は始まったばかりだ。
◎最後に
今回の内容は、私が過去に書いた下記の記事から抜粋し、加筆の上、再構成した。使いまわしとなってしまったことをお許しいただきたい。