行くぜ、東北。冬のごほうび。(東北旅行記)
2023年12月22日
なんとなく、本当になんとなく雪が見たかったんです。
東京生まれ東京育ち、雪が降るのは年に数回。
クリスマスを直前に控え、まちが赤と緑に染まるこの時期は、
なんだか寂しい気持ちと同時に、雪が見たくなるのです。
実際東京で、クリスマスに雪が降る日はあったのでしょうか。
なんか小学生の時にあったような、なかったような気がします。
あまり、おぼえていません。
どうせクリスマスは予定もありません(嘘つきましたよく見たら授業があったので東京に戻ってきてました。)。
雪と言えば、東北。
「行くぜ、東北。」松岡茉優の如く、無計画で東北に繰り出したのでした。
まあ、あれは東北新幹線のCMですが、あたしは鈍行旅です。
心の中で、ちいさくJR東日本に謝っておきます。ゴメンネ。
Day 1
旅のきっかけ
基本的に鈍行旅に出かける時は、帰れなくなるリスクを勘案して事前にある程度行き先と路線の目星はつけておきます。放浪とはいいつつ、完全に無計画なわけではないんですね。
「放浪」という言葉は「さすらい」の類義語(と言うかほぼ同意)なのですが、「さすらい」と聴くと奥田民生が浮かびます。
最初にこの曲を聴いたのは、いつだかのMusic Station「~世代の曲ベスト~」だった気がします。
"風の先の終わりを見ていたらこうなった。雲の形をまにうけてしまった"
"さすらいの道の途中で、会いたくなったら歌うよ。昔の歌を。"
雲の形を真に受けてしまった、これいいですねぇ。
20世紀最大の物理学者アルベルト・アインシュタインも、
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである」
なんて言っています。なんとなーく、知った気になっている事や物、世の中のアタリマエや、自身の価値観としてのアタリマエ。
実際世界を見てみないと知らない事ばっかり、自分が持っている価値観なんてちっぽけなものだったことに気づかされます。自分と違う価値観や世界を探しに行く試みが「さすらい」なんだと奥田は詠っている気がします。
実はこの文章を書いているのは、また別の「さすらい」の最中なのです。さすらいの途中、鈍行は平気で3時間程度は走りっぱなしです。
糸崎から岡山に向かう中、異音確認で停車し、運転見合わせのアナウンスが流れる山陽本線の中で、私もまた昔の歌を詠いにきたのかもしれません。
日立
さあ、雲の形を見に行きましょう。
今回は、「東京→福島→新潟→山形→秋田→岩手→宮城→東京」の予定。
日本海側から北上し、太平洋側で南下する、東北大回り計画です。
ところが初日で計画は頓挫しました。その頃はちょうど日本海側がドカ雪で、電車がおもくそ運休だらけ。新潟に出ても帰ってこれる保証はありません。
雪は見たいですが、雪にまみれて動けなくなっては本末転倒。
そこで、路線変更。
太平洋側から北上し日本海側から南下することにしました。
最初にその地を踏んだのは、茨城県の日立駅でした。
日立駅、ご縁のある場所なんです。
日立は茨城5区、与党議員は大學学科直属の先輩なんです。
私の大學OB国会議員は全部で4名、学科直属のOBは1人だけです。
なにぶん、政治ヲタクなもので、気になる議員の選挙区は行ってみたくなります。
これまた日立でご縁がありまして、日立・高萩・北茨城周辺を案内してもらいました。
日立にはウミウを捕獲する伝統の技術があります。
鵜飼といえば、岐阜の長良川ですね。
でも、そんな長良川の鵜はこの日立で捕獲されているのだそう。
そんな鵜を捕獲する日立市十王町には、日本一予約の取れない国民宿舎として有名な「鵜の岬」があります。26年連続で利用率ナンバーワンとか。
私、「国民宿舎」なんてシステム自体初めて知りました。
いつか利用してみたいなとおもいます。
今、携帯のロック画面は日立駅なんです。
ほんと、綺麗な駅です。
茨城県は太平洋側に面しているので、夕日は見えませんが朝日が見えます。
いつか、太平洋から顔をのぞかせる朝日を日立駅で眺めたいものです。
めちゃくちゃ関係ないんですけど、私「方角ってどっちがどっちだっけ?」となった時に今でも思い出す俳句があります。
「菜の花や 月は東に 日は西に」与謝蕪村
夕暮れ、月が昇るのは"東"。陽が沈むのは"西"。この俳句が無ければ、西と東が今でもぽかーんだったかもしれません。
さて。またいつものように脱線続きですね。
軌道修正しましょう。
そうそう、日立駅も、日立市役所も、日立出身の妹島和世さんのデザインだそう。あんまり現代美術?には詳しくないのですが、なんとなく、妹島さんの作品は好きだなぁと思います。
生まれ育った故郷に、こんな形で貢献できるなんて本当に幸せだろうなぁととても羨ましく思います。
いわき
いわき市は、私の大スキピオな友達の地元。なんとなく街を見てみたくて。
これなかなか共感されないんですけど、私仲いい友達とかの生まれ育った地元がどんな街なのか気になっちゃうんですよね。
この町が、彼を育んだんだなぁと、しみじみ。
ちょっと散策したかっただけなのでそんなに長居はしていません。
富岡
つづいて富岡です。
本当は、3.11伝承ロードを回りたかったんです。
2011年3月11日、私は小学2年生で帰りの会中でした。
経験したこともない大きな揺れに、初めて本気で机の下に隠れたことを覚えています。帰宅すると、テレビには太平洋沿岸部が黄色や赤に点滅した日本地図が一日中表示されていました。
小学2年生ですよ。もう忘れてしまったことの方が多いあの頃ですが、あの異様な赤と黄色の点滅は今でも忘れることはできません。
2つ下の妹は当時幼稚園生でした。今聞いても、あまり覚えてはいないそうです。そう、もしかしたらあの頃を覚えているのはせいぜい私たちの±1~2歳の世代までなのかもしれません。
震災後に生まれた子供は、今中学1年生の代。生まれる前です記憶などないでしょう。
私たちの世代には、次の世代に記憶を紡ぐ責任がある。と強く感じています。
そんなこともあって、3.11伝承ロードを回りたかったのですが、立地的に車がないと厳しい場所が非常に多いこともあり、今回は泣く泣く断念しました。必ずや、いつか。
常磐線は、いわきから仙台を進みます。
その途中に、富岡と言う駅があります。
南側の楢葉と富岡に跨るように、福島第二原子力発電所があります。
私も実際行ってみるまで立地関係がイマイチよくわかっていなかったのですが、福島原発は二か所あるのです。
大熊町には福島第一原子力発電所、富岡には福島第二原子力発電所。
メルトダウンしたのは、前者の第一原子力発電所で、第二はメルトダウンしませんでした。
しかし、第二も現在廃炉の第一段階が進んでいます。
海沿いを歩きながら、南の沿岸沿いを除くと福島第二原発4号炉が見えます。
おじさんと犬が散歩をしていました。
日常はここにあります。
そういえば、パソコンが壊れました。
この日のこの時間、気温は0度近く。雪がパラパラ降り始めていました。
電車を待ちながら何かの資料を作っていた私は、絶望するのでした。
仙台
人が多い。東京から新幹線で2時間弱。テレワーク月1~2出社とかだったら仙台くらいなら余裕で住めそうな。
仙台は、神社の奉仕やその他のお仕事でも何回か来たことあるので、そんなに書くことはありません。
乗り換え20分でスタバに並びました。
電車に乗ったのは発車1分前でした。
山形
あら!急に山形にたどり着いたんですか??終電で着です。
福島まで長々と書き連ねてきましたが、気づいたらもう山形のようです。
雪が積もっていました。雪が、とても積もっていました。
足が、びちょびちょです。そりゃそうです。何を間違えたか、スニーカーで来てしまったのです。靴下までびちょびちょです。しもやけを覚悟しました。
数日に渡る旅ですが、雪国にキャリー引きずってお散歩観光とはいきません。リュック1つで出かけています。最悪現地で調達すればいいんですよ。
凍える足のなか、山形駅周辺を散歩することにしました。
山形城って、めちゃくちゃ平城ですね。(僭越ながら私、実はお城ファンでもあります)
山形と言えば、最上氏。最上氏と言えば、羽州探題。
羽州探題と言えば、斯波氏ですね。
「斯波」って氏、めちゃくちゃかっこよくないですか????
なんか、音感が「シヴァ」っぽくて、とてもすき。
インド神話通った人なら、一度はあこがれませんか破壊神シヴァ。
歴史の話はいくらでも語れてしまうので、Day1山形編はこれくらいにしておきまshow time!!
(夕飯は、二郎系まぜそばをたべました。にんにくぱわーですよ!ぱわー!)
Day 2
山形
おはようございます。
Day 2初日も山形市内からお送りします。
雪が降ったり、晴れ間が見えたり、不安定ですね。
ただ、ほのかに望む雪をかぶった山々は、私の胸を躍らせます。
ア~早起きしてよかった~(5時)。
市内と言えば、山形1区。もちろん遠藤議員のポスターをぱしゃり。
街のお稲荷さんにもご挨拶です。
やはり城下町、何かと由来は最上氏ですね。
稲荷神社ですが、鳥居は神明鳥居。
まあお稲荷さんなので、こういうことは良くありますよね。
誕生日に頂いた、スタバのチケットが余っていました。
ありがたく、朝のドーナツとナニカ(多分なんか甘いやつだと思う)を優雅にいただきます。
山形を南に向けて電車は進んでいきます。
あれって思ったあなた、感がいいですね。
そう、南下しています。まあご縁のある行きたいところがあったんです。
車窓から雪化粧した街を見ながら思ったのですが、
「雪化粧」って言葉を作った人ってとてもセンスがいいですよね。
本当に、街がおしろいでおめかしをしているみたいで、なんだかどきどきしてきちゃいます。
上山
上山につきました。
2013年の第41回全日本ジュニアトランポリン競技選手権大会は、ここ上山で開催されていました。その時ぶりです。ちょうど10年。私も大人になりました。
トランポリン競技、11年間続けていましたが、高校卒業を期に辞めてしまいました。最近審判資格も取ったので、少しずつ顔出したいものだなあとは思う所があります。
「なつかしい!!この足湯入った!!」
ひとりできゃっきゃしながら、足湯に足を浸けます。
上山は温泉町で、いたるところに足湯があります。
まだお正月休みに入る前のこの時期は、まだまだ閑散期なようで、貸し切りの足湯で30分くらいのんびりしました。
「やまがたで あしゆにつかる ふゆげしき」
全日本Jr.は夏開催でしたが、この足湯から見る冬景色を想って小学4年生の時に詠んだ一句。まさか10年後の大学3年生になって思いを馳せた景色を眺めることになるとは。いやはや感慨深すぎて、「これがエモかぁ」とZ世代なつぶやきが漏れます。
(これは裏話ですが、夏休みの俳句コンクールの宿題で提出したこの句。小林一茶かなんかの俳句コンクールで入選して、記憶違いでなければ新聞に載ったことがあります。引っ越しする前の家では額縁に入ったその紙面が飾られていたのですが、今は押し入れの奥かもしれません。)
上山には「上山城」というお城があります。
私が歴史大好きになったことや、今神社の学部に居ることさえ、この上山城がきっかけなんです。
父が自分のベッド以外の寝床で眠れない性格なこともあり、「家族旅行」というものにあまり縁がない家だったので、トランポリン大会における遠征が私にとって世界を見るいい機会でした。
そう、(私の記憶上では)初めてみたお城が上山城だったんです。
こんなに大きくて壮大な建築物を、今よりもずっと昔の人が建てたという事実に驚きが止まりませんでした。また、城内は博物館になっており、甲冑や城より前の遺跡出土品など、色々驚きだったのです。
まあ、物心ついてから、って話ですからね。うちの親は私をよく博物館や動物園水族館に連れて行ってくれていたので種は撒かれていたのでしょう。
色々な懐かしさを感じながら、城内の展示品を見て回りました。
また、天守閣は展望台になっています。
10年前は夏だったので、雪化粧している町ではありませんでした。でも思ってしまいました。やはり雪はお化粧の様を呈します。10年前の自分に、この景色を見せてあげたかったなぁ。
「よし、子供が出来たらこの景色を見せに連れてきてやろう。」そんなことを想うのでした。
上山城の隣にも、足湯があります。
10年前にも入った足湯です。当時を思い出したのか、
「足湯だ~!!懐かしい~!!」
と童子心に還り小走りで駆け寄ってしまったのが運の尽き。
けっつまづいて、足湯にドボン!
下半身はびしょぬれ。色んな持ち物も濡らしてしまいました。
まあそんな日もあります。「デビルじゃないもん」を聴いていました。
上山城の敷地内には、「月岡神社」という神社があります。
小学4年生の時に来た、この月岡神社・上山城に始まり、神社やお城といった日本史に興味を持った私が、結局現在神道系の大學で神職の資格取得のために勉強しているのですから人間何がきっかけで将来が決まってゆくのかわからないものですよね。
月岡神社、ご祭神は松平利長公と松平信一公の二柱です。
お城の敷地内に、藩主のルーツや特定の人物を祀るのは、よく見られる祭祀の形態ですね。藤井松平家の祖とされる利長公と、大名に取り立てられた信一公が上山藩主松平家のルーツであったのでしょう。
御朱印は、お賽銭箱の上に折敷で置かれており、500の初穂をお納めするスタイル。日付は自分で記入しました。
上山は温泉街なこともあり、街には共同の浴場が何軒かあります。
すっかり凍えそうな私は、お風呂に入りに行きました。
皆さん、おうちのお風呂は何度ですか??42度?高くても45度程度でしょう。私の入った温泉、給湯温度50度。アツ過ぎました。全身まっかっかです。
サウナは苦手ですが、お風呂は大好きなので、街歩きの際は地域の共同浴場に入ります。しかし、こんな熱いとなかなか難しい。忍耐ですよ。
お風呂の何が好きって、地域のおじちゃんと仲良くなれる所です。
INFPの私、同年代は怖くてなかなか声かけたりできないのですが、対おじいちゃんおばあちゃんは何故かいけます。すぐ仲良くなれます。
ただ、上山のおじいちゃんたち、東北訛りがキツくてあまり聞き取れませんでした。でも楽しかったです。
そういえば、こういう浴場って厚労省管轄の「公衆浴場法」で管理されているんですね。いつか深掘りしてみたい法律だなぁと思いました。
参議院山形選挙区、国民民主党の舟山康江議員のポスターを見つけました。
新庄
上山でぽかぽかになりました。さあ、北上しましょう。
日本海側は雪でやばいとの報道でしたが、北陸はやばそうですが東北はなんとかなりそう。?
より深い雪を求めて、山形から秋田を目指します。
乗り換えで、最初に降り立ったのは山形県の新庄でした。
台風かと思うくらいの大きな風、風、風。
前髪とはもうお別れです。気温0度に加えて、風の影響で体感-6度。
加えて足元は、路面凍結防止の噴水?(語彙力)のせいでびっしょびしょ。
雪ならいいんです、びしょびしょにはならないですから。でも、水はびしょびしょになります。
いや~死ぬかと思いましたね。時刻は15:00でしたが、東北の夕方は早いですね。お店はほとんど空いていませんでした。新庄城址前のパン屋さんが空いていたので、飛び込みました。温かいコーヒーを飲みます。あったかいパンを食べます。店員さんに東京から来たことを告げると、「よくもまあ、こんなタイミング悪いときに来たんねぇ~」と。
新庄は、山形3区。山形3区(4区)と言えば!YKK「加藤紘一」ですよね。日本政治史に多少詳しい方なら、知らない人はいない「加藤の乱」。
今は三女の加藤鮎子議員の選挙区ですね。子ども政策担当大臣、何かと話題でテレビで見る機会も多いのではないでしょうか。
めちゃくちゃどうでもいいんですけど、加藤鮎子と宮崎謙介って結婚してたんですね。金子恵美のイメージでした。
秋田
車窓から眺めると、ほんとに雪だらけ。
たまに動物の足跡があるんです。なんだかいいなぁと思ってしまいます。
さあ秋田につきました。
やはり、日本海側に近づけば近づくほど雪はその深さを増しますね。
街中の雪は、踏まれてきちんと道になっています。踏まれていない新鮮な積雪を探しに散歩に出かけました。
秋田駅の近くにある久保田城址、こちらも分類は平城ですが、形態としてはある程度高さのある丘に敷地があります。
本丸表門は、雪とライトアップで、秘境感があります。
こんな雪が積もってる夜(20:00頃)に、城址を散歩しようなんて奴はあまりいません。新鮮な積雪はおよそ50cm膝上くらいまでありました。
あんまりよくないらしいですが、こんな雪、食べてみたいじゃないですか。
よく聞くパウダースノーです。舌の上でとろけます。
東京の雪と違って美味しいですね。かき氷シロップをかけたくなりました。
秋田と言えばなんですかね。個人的には「きりたんぽ」「いぶりがっこ」「稲庭うどん」のイメージです。全部楽しめる御膳を食べました。
ちょっと奮発してもいいかぁ~と、3000円のお支払です。
秋田ってお酒上手いですよね。新政に、花邑に。個人的には、福小町が飲みやすくて好きです。
神社にいると、色んな地域の日本酒を目にします。そんなにお酒強くはないのですが、いつか日本酒ソムリエみたいな資格とか取ってみたいなぁと思います。各地域の日本酒の銘柄はなんとなく覚えているので。
夜食は牛丼です。
サイトには3時までやってるラーメン屋が何軒も表示されていたのですが、一軒もあいていない!!
その点、FC牛丼屋は裏切りません。
そういえば、この時スペースで弁論部の友達と話していたことを思い出します。一人旅好きですが、寂しい気持ちも、あります。
みんないつもかまってくれてありがとうございます。
Day 3
泉外旭川(秋田)
さすらいはどこまで費用を抑えられるかが勝負です。
その点ネカフェは便利すぎるほど便利です。一泊2000円弱です。安い。
大概街から少し離れている国道(県道)沿いにあるほうが安いイメージです。
まあ、1~2時間歩くくらい大したことはありません。散歩大好きですからね。
昨日付けた足跡を見に行こうと、久保田城址に向かいました。
東北の朝っていいですね、空がほのかに明るくなったころから、街に雪かきの音色が聞こえます。
地域が横で繋がる生活の営み。今、日本のまちが忘れかけているものだと思います。行き過ぎた個人主義によって、各家家が独立して街に暮らしているように見えますが、家という概念は建築物に帰属するものでは無く街に帰属するものだと思います。一軒家は一軒家ですが、町全体がある意味集合住宅であって、「~家」だけでその場所に存在しているわけではないのではないでしょうか。
なーんてことを考えながら、街を歩きます。雪かきの文化は、否応でも横のつながりに頼らざるを得ない部分があります。自然発生的な横のつながりは、私に美しさを感じさせました。
まあこれも卵が先か鶏が先かみたいな問答になりそうではありますが。
いい面も悪い面も含めて、隣家との距離が近いいわゆる「田舎文化」なのかもしれません。
久保田城址は平城ですが、丘の様相を呈しています。
斜面から公園に侵入した私は、やわらかい新雪に何度か滑り落ちそうになりました。まあ、普通のスニーカーですからね。
なんとか登頂し、誰も踏んでいない道を歩くと、そこには雪化粧をした櫓が。
うーん、朱のワンポイントが、映えさせています。とてもいいですね。
誰も踏んでいない道のはずが、私より先客がいたようです。
先客の足跡は茂みに消えています。あまり動物には詳しくないのですが、うさぎかなにかの足跡でしょうか。でも四つ足の足跡っぽくないですね。何だろうこの足跡。詳しい人いたら教えてください。
上山城に続いて、城址あるあるです。
敷地内には多くの神社がありました。
「彌高神社」
久保田城は、関ケ原のち外様として久保田に転封された佐竹氏による築城です。佐竹氏は源氏の系譜であり、一族の氏神として八幡信仰を持つよう。
佐竹氏の氏神「大八幡宮」「正八幡宮」から勧請された歴史があるそう。
澁谷鐵五郎著『正八幡母系神女鶴女 : 佐竹正八幡宮女系神主の形容. 上巻』によると、この彌高神社、女神主のような有夫の女性によって祭祀が継続されるという、男系継承が多数を占める神事の世界では珍しい祭祀のカタチが見られるという。いつか、深掘りしてみたいなと思っています。
「與次郎稲荷神社」
また、與次郎稲荷神社というお稲荷さんがありました。
由緒を調べてみました。
佐竹氏転封にて久保田城築城の際、ここらに住んでいる白狐が「私たちの住処が無くなってしまう!」との訴えをしたそう。
その訴えを聴いた佐竹義宣公は、狐に城の茶園の近くの場所を与え、「茶園守の與次郎」と呼ぶことに。
住処を貰った狐は、秋田~江戸を六日で往復する速足で重宝されました。
しかし、狐の活躍により仕事をなくした飛脚たちの恨みをかい、羽州街道の六田村で罠にかかり殺されてしまいました。
狐の死を哀れみ、祠をつくり祀ったのが與次郎稲荷神社だということです。
これ面白いのが、羽州街道の六田村のあたりには、また別の「與次郎稲荷神社」があるらしいんです。伝説とか伝承って何か別の事象のメタファーであることは度々言われます。神道学部としても、非常に気になります。
そうそう、話は脱線しますが、
「じゃこ天は貧乏くさい!」
で一躍話題になった、秋田県知事の佐竹敬久さん。久保田藩の佐竹氏の21代目。末裔なんです。
先祖がかつて治めた秋田の地を、憲政・県制の時代に知事として仕事をしているというのは、歴史と現在のムスビを感じてときめいてしまいます。
新庄
そういえば、クリスマスには授業があったのをすっかり忘れていました。
出席はぎりぎりなはずです。岩手にも行きたかったのですが断念。帰路につきます。秋田から南下した新庄にて、鴨蕎麦を食べました。
なんてったって、昨日は開いていなかったのです。
温かい蕎麦は、芯まで沁みます。幸せを噛みしめながらしぶしぶ帰りの電車に乗るのでした。
まとめ
なんとなく雪が見たいで始まった、旅でした。
存分に雪と戯れることが出来ました。
ただ、反省として、
「雪国に、スニーカーで行ってはいけない!!」
ということが分かりました。
ずっと雪を歩いていたので、スニーカーはほぼ凍ってみるみたいな感じだったのですが、帰りの電車でほかほかしてきた足からはほのかな異臭が漂いだしていたのを忘れません。
時系列的には、このあと台湾に行っているので、前に載せた台湾のnoteよりこっちの方が過去なのですが・・・。
まあ、台湾のnoteを踏まえると、大人数旅行に比べて一人旅は楽だけど寂しいです。
急に道旋回したり、多少の負荷も自分一人なら許容範囲でも、人といるとそうはいきませんよね。難しいところです。
まあそんな一人旅への最適解を後ほど見つけることになるのですが、それはさすらい<春編>ネクストnoteにてお話しすることにしましょう。
感想等ありましたら是非TwitterやInstagramのDMにくださいにゃー。
それでは、またどこかでお会いしましょう^^
Day 4(?)
上野
あれ?まとめたけどまだ続くんですか?
まあ、まあ。これは続きのおはなしです。
東北旅を終えた次の日のことです。
クリスマス当日ですよ??私は友人と飲みに来ました。羊を食べました。
写真はないですが、このあとワインを飲みに行きました。
私、実は初ワインだったんです。ワイン、マジで苦手なよう。
ゲロ吐く酔い方ではなく、初めて、記憶をなくしました。
Day 5(?)
上野(?)
神社の学部なこともあり、年末年始は神社で奉仕します。
四国に行かねばならない私は、本当はまた始発で出るつもりだったんです。
家を5時に出るつもりでした。さあ、私は何をしていたか。
5時に、上野の路上で寝ていました。
ギャーーーーーーーーーー。
本当に終わりですよ。財布とか盗まれなくてよかったですね。
なんか本当に記憶が無くて、次に気がついたら昼の12時、家の布団の上でした。
東京
焦りました!!!夜には、香川の友達と食事に行く約束をしています!
パッキングもしていません。こうなれば課金です。
東京から岡山までの新幹線に乗り込みます。
どこかで一片でも遅延があれば、一巻の終わりです。
”尾張名古屋は城で持つ。國學院は俺で持つ。”
大學の名誉をかけて、岡山へ駆け抜けました。
(まあ駆け抜けたのは新幹線様様ですけどね。)
多度津
なんとか香川は多度津に着きました!!!
いや~焦りましたね。
農業実習で知り合った友達に、香川の美味しいお魚を食べさせてもらいました。いや~魚が上手いって幸せですね。
間に合った安堵も相まって、こんな美味い飯って世界に存在するんだという顔をしていた気がします。特に、鰤がたまりませんでしたね。鰤しゃぶです。んも~ブリブリ。ごまだれって幸せの味がしますよね。
太刀魚もおいしかったです。いつか釣りたいなぁ。
結局、御馳走して頂いてしまった。いやはや、もし東京に来たときは美味しいごはん連れて行かせてください。
あと、なんか農地で人手足りなかったらいつでも連絡ください。飛んでいきますぜ。
Day 6(?)
丸亀
Day4以降に関しては蛇足なので、適当です。
僕てっきり、丸亀製麺って丸亀に関係あるのかと思ってたんですけど、関係ないんですね。香川の友達に聞いてびっくりしました。
まあ、弊學のうどんはマジの讃岐うどんですからね。弊學のうどんは、あのスーツもYouTubeでほめていましたよ。是非食べに来てくださいね。
丸亀市役所、めちゃ綺麗でした。なんか丸亀という土地名もあって、亀甲船に見えます。
李舜臣、よく半日のシンボルになりますが(秀吉の文禄・慶長の役にて秀吉方を跳ね除けた朝鮮水軍の将軍として英雄視)、彼の清廉な人柄とっても好きなんです。
結局、慶長の役で、流れ弾で亡くなったとされるのですが、訃報を聴いた李氏朝鮮の国王宣祖は声を上げて泣いたという逸話があるくらい国王の信頼が厚かったとか。ん~情的。
日本には現存する天守閣が12城あります。
なかでも、1/3の4天守は四国にあります。太平洋戦争の際に、空襲被害が少なかったことなどが主な理由として挙げられれていますが、まあ確かに四国は本州と陸続きではない島なんですよね。特に瀬戸内側は海運の要所として、堅固な城址が多いような気もします。
まあそんな現存天守閣の一つがこの「丸亀城」です。
丸亀城、怖い伝説があるんです。
うーん。こわいですね。こわいです!
そういや、磯崎仁彦前内閣官房副長官の看板がありました。そういえば香川でしたね。
ここ香川2区は、国民民主党代表のタマキンこと玉木雄一郎氏の選挙区ですし、香川1区は「なぜ君は総理大臣になれないのか」「香川一区」のドキュメンタリー映画でも話題の、小川淳也氏の選挙区なのであんまり与党のイメージがありませんでした。
なぜ君、見ましたよ。政治信条に同意できるかはともかく、地元の有権者の為にあんなにアツくなれる議員のドキュメンタリーは、やはり心に来るものがあります。
タマキンのポスターは見つけられませんでした。
松山
ついに松山につきましたね。ここまで長かったですね。
私、予讃線大好きなんですよ。確かに、海が見える路線っていっぱいあるんですよね。常磐線もそうだし、山陽線もそうだし。
でも、この予讃線に特に惹かれるナニカがあるんですよね。上手く言語化できないんですけど。
陽が出ているうちに、香川ー愛媛間の電車に乗ってみるのは本当におすすめです。内陸側に乗ると、海が一望できます。
愛媛県庁も好きな形をしています。
なんか確か、愛媛県庁で説明会を聴いたような気がします。
そういえばスーツでしたもん。愛媛大好きおじさんなので、愛媛県庁で働くのもいいなぁと思いました。
大學のゼミが政教問題なので、愛媛県玉串料訴訟についてまたリベンジ訪問したいなぁと思ってはいます。
昼ご飯は、ラーメン。夜ご飯は牛丼です。
それでは、この後私は年末年始奉仕でした。
本当の本当に旅は終わりです。
今書いてみて、2023年も変わらず自分の好き勝手に生きているなと、なんだかほっこりしました。
2024年も、2023年の自分に負けないくらい、行動的で、好奇心旺盛で
知識に貪欲でありたいなと思いました。
あーあ。また1万文字越えちゃった。
あんまり長いと誰も読んでくれないのよね。
ここまで読んでくれた人いたならありがとうございます。大スキピオです。
またね🥲👍