一緒に走ろうといったマラソンで横の友達を見るとクラウチングスタート
女児であったことがあれば「マラソン一緒に走ろうね」なんて言葉を交わしたことがあるのではないだろうか。
個人的には「なんで?」と思って「いや、それぞれのペースでいこうよ」と言って私は自らガンガン友達を減らしていった方であった。
でも、まあ、基本そんな約束守られるはずなくない?
少なくとも私は仲良く二人でゴールした例を見たことはない。
まあ、ごりごりの文化部で、ゴールした暁には酸欠でアスファルトとキッスをしていたから見逃していた可能性もあるが。
人生もそんなもので「もしみんな一人だったらシェアハウスしようよ」とか言っていた友達は一人も残っていない。
一人じゃなくなっているか疎遠になっているからだ。
今はシスターフッドでそういったシェアハウスがリアルな人が多くいるみたいだが、むしろ結婚よりもそちらの方が遠いなと思う。
恋愛も友情もどちらも同じくらい尊いが、私には「恋愛」という名目であばたも橋本環奈のように美化してくれる人がいたことはあるが、友情は結構簡単に切れてしまうなと思うからだ。あばたはあばたなことが多い気がする。
脳科学は知らんが、友愛とは別に恋愛みたいに脳を錯覚させてくれるおシャブはんみたいなものは出てこないのではないだろうか。だからあばただらけな私は友情は相当難しいものなのである。
「俺と結婚してください」といったプロポーズに対してOKをしたら婚約破棄でお金はかかるが「将来一緒に住もうね」という友愛には破棄しても別に何もない。むしろ「結婚おめでとう!」「パートナー見つけておめでとう!」「一人で生きていくって決意したのすごいね!」みたいに破棄に対してネガティブなイメージはないだろう。
むしろ、「それ」を「破棄」というほど重いものではないのだろう。
そんなわけで「一緒に走ろうね」と言った友達が横でクラウチングスタートするかもしれないなってくらい友愛の将来の約束は信じない。
「あ。あいつ実はめっちゃ足早いんやな」
って思うくらいがいいのだろう。
たまに寄り道して道の眺めたり突然短距離走のように一人で走っていくのも悪くないと思いたい。
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