清流の女王へ会いに行く。
清流の女王、鮎。今年30歳の私。鮎釣りをちょろちょろ初めて早5年。本腰を入れて挑戦しているのはここ2年。やはり、誘われるがままに川へ赴いていた数年前とは心持ちが違う。今年は自分で道具を注文して、自宅前の駐車場で8メートルの竿を伸ばし、仕掛けの下準備をした。今までどれだけ楽をして楽しませてもらっていたのかが身に沁みた。気づいたら1時間も経過していた。背中は汗だく。釣り仲間のおじさま達、ありがとう!と叫びたくなった。
年々自分で出来ることが増えていく。学生ではなくなって数年、「未知との遭遇」「新しい学びの場」としてもかけがえのない趣味。
鮎釣りは釣り餌を使わない。オトリアユを使う。ハナカンと呼ばれる鼻輪を生きた鮎に付けて泳がせ釣る。鮎は美味しい苔の周りに縄張りをもつ。その縄張りに入ってきた別の鮎を追い払うため、追いかけて体当たりする。その習性を使って鮎を釣るのが鮎釣り。
鮎は苔を食べているから、スイカのような香りがする。手で触れても滑りがなく臭みもない。スラリとした体躯に惚れ惚れする。野鮎と呼ばれる天然鮎は、縄張り争いをして追い気(他の鮎を蹴散らす気)が増していくと追い星と呼ばれる黄色い模様が出てくる。またそれが美しい。
真夏の炎天下かつ真昼間。水温が上がって活性が上がってくる時間。5時間くらい川の中で夢中になる。釣行同行するおじさん達に「昼だから休憩!」と言われなければ永遠と釣っていたいほど好きだ。魚が泳ぐ姿を見るのがとにかく好きだ。スーパーの生け簀や水槽、養殖場の魚影を見るだけでもテンションが上がる。子供の頃から大好きな場所。家の近所にある養殖場へも魚影見たさに散歩する。悠々と泳ぐニジマスもいいなあ。
釣れなくてもオトリアユを散歩させてるみたいでふくふくと嬉しくなる。だからこそ、弱らせないように無理なく泳げるように細心の注意を払う。ハナカンをするときも素早く正確に。釣れたら、「連れてきてくれてありがとう」と声をかける。だからこそ、父の批判的な言葉に傷ついた事がある。「鮎が可哀想だ、そんなの釣りじゃ無い」という。ハナカンとは別にもう一種の針が刺さっている状態で泳がせるので、確かにちょっと痛そうな気もする。けれど、解せぬ。他の釣りも針で釣られて食べられる。そう大きく変わらないではないか…と思ってしまう。鮎釣り贔屓なのだろうか…。そんな私の鮎釣り。今年はどんなシーズンになるか、今からとても楽しみ。待ちきれない。その気持ちと比例するように雨の日が増え、川は増水し釣り始めがどんどんと遠のく…。自然の中での遊び。大いなる力を感じずにはいられない。無事川へ繰り出せたらまた記事にしようと思っている、今日この頃。
(嗚呼、早く川へ行きたい!)