鋼のメンタルなんかいらない
2023年も早いもので、3月になりました。世間は年度末で仕事に追われ、新生活の準備で慌ただしく、道行く人の表情は硬い。こういう時期はどんなメンタルで乗り越えていけばいいのでしょうか。
私も会社員時代、年度末の記憶はほとんどありません。目の前の仕事がとにかく終わらなくて「明日の件なんですけど」と声を掛けられても「明日?なんでしたっけ?」状態。心が忙しくて、何もかもすっぽ抜けていました。
そんな時期のメンタルは言ってみれば鋼のメンタルです。落ち込む暇などない。「これなんだけどさあ、」「はい!すみません!気を付けます!」怪訝な顔で近づく上司も気にする暇はない。「しろねこさん、あれやった?」「あー!これからやります!」そう言いながら次の瞬間には目の前の仕事に戻る。
こうしてまわりの声を聞き流せば、心は丈夫に保たれるわけです。そして仕事は進む。出来は別として。
じゃあ、鋼のメンタルも悪くないかって?
その瞬間で言うならそうでしょう。戦争中の防護服は身を守ってくれます。
だけど、戦争が終わったらどうだろう。まあ服なら脱げばいい。心は?戦争から帰った兵士が戦時中の恐怖をしばらく引きずっているように、心は一瞬で「さあ、リセット」とはいかない。これこそが、鋼のメンタルの弊害です。
危機が過ぎた後も心の鎧は脱げなくて、周りの表情、声、そして優しさに鈍感になってしまうのです。
優しさに鈍感な人ってどんなひとでしょう。
自分のことでいっぱいいっぱいで、荷物を抱えて目の前が見えない、だからせっかく差し伸べた手も気づかずスルーしてしまう、そんな人です。
それは心の中のお話。現実では視界はクリアで、相手と顔を合わせて話しているわけです。他人が見れば「冷たい人」「淡々とした人」「話しても伝わらない人」でしょう。そして気づいたら人は離れていっています。
そうするとどうでしょう。
孤独になっても強がり「大したことない」と気持ちに蓋をして、鋼のメンタルを磨いてしまう。心の病気の始まりです。
なぜ人は鋼のメンタルに「憧れ」を抱くのか。
不安や痛みを感じず、楽に生きていけると思うからです。そうじゃない。心は不安や痛みを感じるためにある。そんな繊細な感情が心の栄養になる。感じる心は豊かに成長していく。
時には折れたっていいんです。しなやかに折れた心は自分でまた回復できる。けれども硬くなった心は一度壊れたら回復が難しいんです。
感情を置き去りにした鋼のメンタルなんかいらない。波打つ心を感じて生きる、しなやかな心を持ちませんか。
私たちは助け合って生きています。
シャッターを下ろさないで、かたくなにならないで、弱さを見せてほしい。鎧を脱いだら、人の温もりも肌で感じられるから。
温もりを感じる心は幸せです。
心が硬くなってることに気づいたら、それがカウンセリングのタイミングです。
必ず変われます。
もう一人じゃないって、自分も人と幸せになれるんだって。