桜島の借景が美しい大名庭園「仙厳園」をご紹介
こんにちは、ゆうさいです。
鹿児島鹿児島市にある大名庭園、「仙巌園」。
別名「磯庭園」とも呼ばれる、島津家28代当主斉彬(なりあきら)もこよなく愛した庭園です。
近くには鹿児島城もありますので、ぜひセットで訪れてほしい場所です。
庭園を歩くと錦江湾を挟んで桜島が借景となっていて、美しい庭園加えさらに雄大さも感じられる造りになっています。
この庭園は、1658年に島津家19代の島津光久さんによって島津家の別邸としてつくられました。
薩摩藩別邸仙巌園を含むおよそ1万5000坪といわれる園一体は、2015年に「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産にも登録されています。
仙巌園にある御殿は、29代島津忠義さんが一時本邸としても使用していました。
その後、国内外からの要人を招く迎賓館としても使われ、幕末には勝海舟さんも訪れたそうです。維新後には、ロシア皇帝のニコライ2世が宿泊したことでも知られています。
そんな仙巌園内には、幕末から明治期にかけてつくられた工場群「集成館」の反射炉跡が遺されています。
これは、富国強兵、殖産産業を目指し推進した幕末の名君としても評価の高い島津斉彬さんによってつくられました。
斉彬さんが藩主に就いた幕末期、薩摩藩では欧米諸外国からの脅威に対して、国の防衛のためには大砲や軍船を国内で製造する必要があると考え、材料となる鉄を溶かす溶鉱炉や反射炉の建造に注力しましす。
当時反射炉の内部は、薩摩焼の技術を応用してつくられた耐火レンガで覆われ、周囲の石垣はそのレンガの重量に耐えられるよう、薩摩在来の石工技術で切石を精密に組み立ててつくられていました。
また、この反射炉には高さ16mの煙突も立てられていたそうです。
ちなみに1号炉は残念ながら炉の温度が上がらず失敗に終わりますが、改良を加えたこの2号炉によって大砲の製造に成功します。
集成館ではその他、製鉄や紡績、薩摩切子で有名となるガラス製造や活版印刷なども積極的に行われ、最盛期には1200人を超す工員が勤務する大規模な工場となりました。
現在では「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産認定を受けた構成要素のひとつとして評価されています。