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「お城と歴史を語る」

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ゆうさいが大好きなお城や人物などの歴史をまとめてご紹介しています。 また主宰するお城や歴史に関するイベントなどについての語りも掲載してます。
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2022年2月の記事一覧

難攻不落と謳われた九州の名城 岡城をご紹介(前編)

難攻不落と謳われた九州の名城 岡城をご紹介(前編)

こんにちは、ゆうさいです。

九州の中央部に位置し、難攻不落の名城と謳われた岡城。

現地に赴くと、想像を超えた場所に立派な石垣群に驚かされます。

今回は、そんな岡城をご紹介します。

岡城は、現在の大分県竹田市にあります。

築城は、平安末期の1185年。
この地を領有していた緒方三郎惟栄さんが始まりといわれています。
しかも築城の理由が、源頼朝さんに追われた牛若丸こと源義経さんを匿うためとい

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難攻不落と謳われた九州の名城 岡城をご紹介(後編)

難攻不落と謳われた九州の名城 岡城をご紹介(後編)

こんにちは、ゆうさいです。
前編に続き、今回も岡城の後編をご紹介します。
前編がまだの方は、こちらからぜひご覧ください。

「文禄の役」と呼ばれる豊臣秀吉による朝鮮出兵の翌年の1594年。
岡城には播磨国三木城の城主だった中川秀成さんが7万4千石の所領が与えられて入城しました。

秀成さんは、摂津国茨木城主だった中川清秀さんの次男です。
兄の秀政さんが「文禄の役」の最中に鷹狩りを行い、その

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甲斐武田家の三代の居館 躑躅ヶ崎館をご紹介(前編)

甲斐武田家の三代の居館 躑躅ヶ崎館をご紹介(前編)

「甲斐の虎」と恐れられた戦国武将、武田信玄(たけだしんげんさん)の居館といえば躑躅ヶ崎の館。
しかしこの躑躅ヶ崎の館は、信玄さんではなく、そのお父さんである武田信虎(たけだのぶとら)さんにより造営されたものなんです。

その躑躅ヶ崎の館は、信玄さんの子の勝頼さんが1581年に韮崎に新府城を築き移るまでの約62年間、甲斐武田氏3代の居城として機能しました。

武田信虎さんが、甲斐国の領国経営の本拠と

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甲斐武田家の三代の居館 躑躅ヶ崎館をご紹介(後編)

甲斐武田家の三代の居館 躑躅ヶ崎館をご紹介(後編)

一時は武田家最大版図を広げた武田勝頼(たけだかつより)さんでしたが、徐々に織田氏に追い詰められ、最後には嫡男の信勝さんと天目山で自刃し武田家は滅亡します。

その後、躑躅ヶ崎の館へは織田信長の家臣の河尻秀隆(かわじりひでたか)さんが居館とし政務を執ったといわれています。
※でも、本拠は岩窪館だったという異説もあるようです。

しかし武田家の滅亡後の混乱がまだ収まっていない甲斐では、1582年に起こ

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徳川家康の隠居城、駿府城をご紹介(後編)

徳川家康の隠居城、駿府城をご紹介(後編)

1570年、家康さんは豊臣秀吉さんより小田原征伐の功績として、関八州を与えられたことにより江戸へと移ります。

家康さんの後には、秀吉の家臣である中村一氏(なかむらかずうじ)さんが駿府城へ入城。
その後、この中村氏は、関ヶ原の戦いでは家康側の東軍に属した功績により子の一忠さんは米子へ加増転封となったため、駿府城には家康さんの異母弟でもある内藤信成(ないとうのぶなり)さんが城主として入りました

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