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「お城と歴史を語る」

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ゆうさいが大好きなお城や人物などの歴史をまとめてご紹介しています。 また主宰するお城や歴史に関するイベントなどについての語りも掲載してます。
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2021年5月の記事一覧

丸岡城の「人柱 お静」伝説とは

丸岡城の「人柱 お静」伝説とは

こんいちは、ゆうさいです。

前回までの丸岡城の歴史の番外編として、伝説もひとつご紹介したいと思います。

「人柱 お静 伝説」
※鬼滅の柱の物語ではありません。

1576年、越前国をおさめていた織田家臣、柴田勝家(しばたかついえ)さんの指示で、その甥の柴田勝豊(しばたかつとよ)さんが丸岡城を築こうとしていました。

ところが、天守の石垣を何度積んでも積んでも崩れてしまい、一向に築城が進み

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「北陸唯一の現存天守」をもつ丸岡城とをご紹介(後編)

「北陸唯一の現存天守」をもつ丸岡城とをご紹介(後編)

こんばんは、ゆうさいです。

今回は前回の投稿の後編です。
まだ前編を読まれていない方は、前編を読んでからのほうがわかりやすいので、まずはこちらをお読みください。

~前回からのつづき~

丸岡城代となっていた青山宗勝さんは、主君として仕えた丹羽長秀さんが死去すると、そのまま豊臣秀吉さんの家臣となり越前に2万石が与えられました。

さらに九州平定への従軍や伏見城の普請にも功績を挙げ、遂には越前丸岡

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歯の治療はお早めに。

歯の治療はお早めに。

こんばんは、ゆうさいです。

実は先週から左上の歯が痛いんです。
痛みの種類は、ズキズキというよりも痛痒いような鈍い疼き…。

以前、反対の右側の奥歯に根尖病巣(歯の根っこに炎症がおきる病気)ができていて治療を行ったことがあり、その時も同じような痛みだったのを思い出しました。

この病気の原因は、以前おこなった根尖治療(歯の根っこの治療)が不十分だったことによる影響が多いようです。
痛みの種類が同

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掛川城の歴史をご紹介(後編)

掛川城の歴史をご紹介(後編)

今回は、前回投稿した掛川城の後編をお届けします。

まだ前編を見られていない方は、できましたら下記よりご覧いただいた上でお読みいただければ幸いです。

掛川城は徳川の大軍に囲まれながらも、朝比奈泰朝(あさひなやすとも)さんは掛川城で氏真さんを守り懸命に戦います。

この攻防戦は5ヶ月にもわたり行われましたが多勢に無勢。
ついに主君である氏真さんの身の保全を条件に徳川軍と和議が結ばれ、1

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掛川城の歴史をご紹介(前編)

掛川城の歴史をご紹介(前編)

今回は、新幹線からもはっきりその存在を確認できるお城、掛川城をご紹介したいと思います。

この掛川城、築城は1473年頃で、駿河国守護の今川義忠(いまがわよしただ)さんが遠江進出の足掛かりとして、重臣の朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)さんに築かせたのがはじまりといわれています。

でもこの時の城は、今は「掛川古城」と呼ばれていて、現在ある掛川城の北東約500mの位置にありました。

現在

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福井の「井」はここにあり!?福井城(後編)

福井の「井」はここにあり!?福井城(後編)

こんばんは、ゆうさいです。

今回は前回の投稿の後編です。
まだ前編を読まれていない方は、前編を読んでからのほうがわかりやすいので、まずはこちらをお読みください。

~前回からの続き~

福井城の築城が完成し、その北側に城下町を新しくつくろうと動いていた矢先、結城秀康さんは死去してしまいます。
享年24歳という若さでの急逝でした。

秀康さんの死後は、嫡男の忠直さんが跡を継ぎ二代藩主となりました。

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福井の「井」はここにあり!?福井城(前編)

福井の「井」はここにあり!?福井城(前編)

福井の「井」の部分。
そう、井戸の「井」ですよね。

以前の投稿の一乗谷館跡でも井戸の跡がいくつも発掘されていますが、本当にこんな形をしています。

しかも県名にもなっている「福井」の「井」がこの福井城内にあった井戸からきているといわれています。

ということで、少し無理矢理ですが今回は福井県福井市にある福井城をご紹介したいと思います。

実はこの地は、1575年に織田信長さん家臣の柴田勝家(しば

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越前朝倉氏の居城、一乗谷の歴史をご紹介(後編)

越前朝倉氏の居城、一乗谷の歴史をご紹介(後編)

こんばんは、ゆうさいです。

今回は前回の投稿の後編です。

前編をまだお読みでない方は、先にそちらを読んでいただけるとわかりやすいので、まずはこちらをどうぞ。

1565年、足利義輝が松永久秀らによって暗殺されるという「永禄の変」が起こります。
朝倉義景さんは、大和国の松永久秀さんのもとに幽閉されていた義輝さんの弟、義秋さんの救出を助け居城のある一乗谷に迎え入れました。

義秋さんもその恩に報い

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越前朝倉氏の居城、一乗谷の歴史をご紹介(前編)

越前朝倉氏の居城、一乗谷の歴史をご紹介(前編)

越前の名門朝倉氏が11代にわたり居城とした一乗谷は、東西の幅が500m、南北3kmの谷底にある平野に居館を築きました。

谷の入口部分には土塁を築いて城門が作られ、京に近い南側は上城戸、北側は下城戸と呼ばれています。

この間の約1.7kmには、朝倉氏の居館や侍屋敷などが作られ、一大城下町が形成されていたんです。

当時応仁の乱で京の町は荒廃していたので、多くの公家や高僧・文人が避難してきたことで

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