旬をいただく。
季節の食べものを食べると、健康で長生きすると聞く。
私は祖父祖母と一緒に暮らしていたこともあり、幼い頃からそう言われながら、季節の食材を食べてきたように思う。
その季節にとれる野菜や果物、とれる魚を食べると元気で長生きするんだよ、と。
庭でとれた歪んだ茄子やスイカを、
はたまた漁師さんからお裾分けいただいた鯵や牡蠣を、
「初物(はつもの)」として食卓に並べていた記憶がある。
幼い頃はおいしいばっかりで、おばあちゃんが口にする難しい話なんて、少しも理解してなかったけれども。
今となっては、
季節に触れることの大切さを教えてくれてたんだなと思う。
現在は、農業の技術がぐんと向上して、あらゆる季節においしい野菜や果物を口にすることができる。
そんななか、季節にとれる旬な食材を食べることは、なんとなく年齢を重ねた今でも大切にしているふしがある。
先日、はじめて行ったスーパーマーケットがとても気に入りまして。
野菜と果物コーナーが充実していて、めずらしい野菜が新鮮な状態で陳列されていたので、もうわくわくが止まらず!
長時間スーパーマーケットをうろうろ。
とても大きな柿を購入。
今年、柿をまだ食べていなかったので、これにしました。
やわやわの柿もおいしいけれど、
私は硬めのものがとても好みで。
噛みしめながら、おいしくおいしくいただきました。
あとは、サツマイモをたくさんいただいたので、みたらし団子風のおやつに。
旬をいただく。
それは、季節にとれる食材を知ること。
そして、旬の食材たちは、その季節を生き抜くために生物としての栄養価が含まれている。
季節に触れることが大切だと感じるようになったのは、本当に最近のことで。
昔は土いじりとか家庭菜園だとか、まったく興味がなかったけれど。
年々、地面近くの暮らしの趣きに気持ちが近づいていく気がしている。
自然のこと、生きものの仕組み、人が続けてきた文化やしきたりの名残り。
やっぱり、
年齢と共に身近に感じるものなのかな。
1年の半分が夏になってしまったというニュースを見ながら、季節の移り変わりがあわてて身に沁みている40代。
確実に歳はとりますよ。
そして、それは悪いことだけではなく。
風情を増して、
ゆったり人生を遠巻きにながめているような、
食べものを生きものとして同時に達観できるような、不思議な感覚です。
さあ、来週は秋刀魚を買ってこよう。
カボチャも煮よう。
ゴボウと椎茸を入れて豚汁を。
あそうそう、
忘れてはいけない大根おろしも。
そして、
ごはんをモリモリ食べようと決めている。