幸福をもたらす「つなぐ」という価値観
イタリアから学ぶ旅
これまでいくつもの国や地域を旅してきましたが、とりわけ「忘れられない旅」というものがあります。
私にとってそのひとつが、愛と情熱の国・イタリアへの旅路です。2023年の11月と今年の4月に、イタリア北部の"まち"を旅してきました。
これまでも、何度かイタリアを訪れたことはありますが、当時は旅というよりは旅行で、美味しい食事と美しい景色、そして「アモーレ!」の雰囲気を味わっただけで帰ってきてしました。
2度の学びの旅には、明確な目的がありました。きっかけは、砂川に建設した「みんなの工場」の立ち上げに携わっていただいた、都市デザイナー・内田友紀さんのFacebook投稿です。
彼女の投稿に綴られていたのは、イタリアのとある刑務所のお話でした。収監されている囚人たちが、更生プログラムの一環として演劇などのレクリエーションをしているということが書かれていました。重犯罪を起こした人間たちが、演劇を通して尊厳を回復していくのだそうです。
「罪を犯した人間に人生を謳歌する権利があるのか」という議論があるなかで、それでも生きることへの尊厳を与えるのはどうしてなのか。
従来のイタリアのイメージが覆され、直感的に興味が湧き、すぐに飛行機のチケットを取って現地に向かいました。アテンドしていただいたのは、ローマ在住の批評家であり、アーティストでもある日本人翻訳家・多木陽介さんです。
多木さんは参加者の興味関心に合わせて旅行先をアレンジしてくれます。出国前に相談し、10日間でいくつかの見学先を紹介してもらえることに。イタリア北部の"まち"を歩きながら、まちづくりや、ものづくりのヒントを得る旅を計画しました。
ひょんなことがきっかけで実現した、イタリアの旅。現地に足を踏み入れた瞬間の私は、この旅がものづくりに対する考え方を大きく変えることになるなんて、全く考えてもいませんでした。
イタリア人の根底にあるもの
多木さんの紹介で訪れた場所は、どこも印象的でした。特に心に残ったのは、イタリアの人たちの「考え方」でした。
建築家の方やワイナリーで働く方、そのご家族とお話をしていくと、みなさんに共通する、哲学のようなものがありました。それをひも解いていくと、古くからイタリアにある「プロジェッタツィオーネ」という考え方に行き着くそうです。
直訳すると「プロジェクトを考えて、実践すること」。英語の「Design」という用語が一般的でなかった第二次大戦後のイタリアで生まれたそうなのですが、日常的に使われる「Design」とは意味が異なります。
Designという言葉の定義は広いですが、日本では生活者の消費欲を刺激したり、短期的な賑わいをつくったりするための「装飾」を指すことが多いでしょう。
一方、プロジェッタツィオーネは企業が利益を追求するための「デザイン」とは異なり、社会性のある創造活動や、市民全般への教育を使命とすることなど、倫理性に富んでいることが特徴です。
私が出会ったイタリアの人々は、考え方の根底にプロジェッタツィオーネがありました。つくる行為に創意工夫が存在したり、つくる過程で意識を改革させたりと、「アウトプットするだけではないものづくりをしている」ことが伝わってきたのです。
一番驚いたのは、子どもでも、おじいちゃんでも、自分が関わっているプロジェクトの概要や自分の役割を自分の言葉で説明できること。
日本人である私たちは、彼らのように自分の想いをスラスラと言葉にできない気がします。初めて会った人に、自分の仕事や考え方をストレートに伝えるのは、本当に大変なことです。
でも、イタリアに暮らす人たちはそれができる。過去から連綿と続く思想や哲学を受け取り、それを未来につなぐ存在として、今この瞬間の自分自身を語れるのです。
どうしてイタリアの人々は、それができるのか。理由を自分なりに考えてみると、きっと家庭の中で、あらゆる場所で、何度も会話がされてきたのだろうと思うようになりました。
イタリアの人たちは、祖父母から両親へ、両親から子どもたちへ、「あなたが生まれてきた意味」や「あなたを愛している」ということを伝えます。そして、本人はそれを自分の頭で考える。人間関係も、仕事も、それらがそこに存在する意味を考え、語る機会が日々あるわけです。
愛と情熱の国と言われるイタリアですが、表面的な「アモーレ」だけではなく、深い慈愛が根底にあるように思います。歴史が紡いできた文化や考え方を後世に伝えていく気持ちを誰もが持っているから、言葉や考え方に自分自身が表れるのでしょう。
文化的な背景に違いはあるとはいえ、彼らの姿を見ながら、自分のスタンスを振り返らされました。
イタリアの旅は私に、過去からバトンを受け取って、それを未来につないでいく必要性を教えてくれました。
過去を知ると、未来がつくれる
私はこれまでの人生で、過去に学んだり、歴史を知ったりすることに、あまり時間を使わずに生きていきました。「歴史は自分でつくるものだ!」と思っていたくらいです。
でも、イタリアの旅で、歴史の重要性を再認識させられました。北海道にはどんな歴史があるのかを知りたくなったし、どんなふうに砂川という"まち"が生まれたのかにも興味が湧いた。それを知っているのと、知らないのとでは、砂川という場所でものづくりをし続ける意味が変わると思います。
実際に、過去に想いを馳せる機会も増え、砂川の歴史やそこで暮らしてきた人々の想いを聞くことで、自分がこの場所の過去と未来をつなぐバトンなのだと理解できるようにもなりました。
自分にとってベストな選択肢でも、ある人にとっては必ずしもベストな選択肢ではないということは、往々にしてあります。満場一致で「それがいいね」と話がまとまることは、そう多くありません。
砂川に「みんなの工場」をつくるときも、私の情熱だけが空回りして、周りがついて来られなくなってしまうことがありました。
もしあのとき、もっと過去に想いを馳せられていたらプロジェクトの形はもっと変わっていたかもしれません。イタリアから持ち帰った学びを自分の過去の仕事に照らし合わせると、「もっとできる」という未来への可能性につながります。
バトンを渡す、という人生観
現代はどうしても、自分がいかに成功するかを考えてしまう時代だと思います。SNSで他人の成功が可視化されて、キラキラしている生活が目に飛び込んできて、同じ時代を生きる人との比較を避けられません。過去から紡がれてきたものを受け取るとか、未来に何かを残すとか、そういうことを考えられる心の余裕を持ちにくい空気が漂っています。
でも、バトンをつないでいくことが大事なんだと思えたら、ちょっと気が楽になりませんか?目立たなくてもいいし、大成功しなくてもいい。自分がしたことが、次の世代につながって、少しでも未来がよくなればそれでいいと思えると、ふっと肩の力が抜ける。
そうやって肩の力を抜きながら長期的に社会に貢献しようと思うと、結果的に個人の幸福につながるのではないか、とも思います。
それは個人の生き方だけではなく、経営も同じです。不安を煽れば売り上げは大きくなるかもしれませんが、社会全体にもたらす悪影響も、長期的には大きくなります。瞬間的な快楽は、社会全体の幸福につながりません。
私たちはそれに気が付くべきだし、企業もメディアも行動を見つめ直すタイミングに差し掛かっているように思います。
自分の社会的な成功だけを目指すのではなく、過去から受け取ってきたバトンを次の世代により良い形で渡す。考えてみれば私たちは、そうして「つなぐ」ことしかできません。
そんな忘れがちな当たり前を思い出させてくれた、イタリアの旅でした。
(編集サポート:泉秀一、小原光史、バナーデザイン:3KG 佐々木信)