ともだち100人なんて遠い昔
その時のステージで、付き合う友達は変わると昔から母に言われていた。
小学生からの親友はずっと親友でしょうと思っていた自分はいなかったけれど、
よく意味が分かっていなかった気がする。
歳を重ねるにつれて、私は30歳になるところ
いわゆる普通の人が通る段階を経て、職場が変わったり、どんなに仲の良かった友達のいた高校の友人とも会う回数もとより連絡することすらも少なくなっている。
友人が変わることへ、少しの寂しさがある
自分も変わることへの違和感はいつでもあるけれど、昔に戻りたいわけではない。
こんな矛盾したうじうじ虫の気持ちを抱えてところで
自粛する日が長くなるにつれて、本当に連絡を取り合う友達は少なくなった。
それに対して、これで良かったという安心感を覚えている。
増えすぎたフェイスブック、ツイッター、インスタグラムなどSNSの友達、それとこれとは違うのだ。
付き合う友人が変わること、というよりも
付き合う友人が淘汰されていくこと、という上目線に聞こえる一言だけれど
これに取り残された不安な独りよがりな気持ちがあったけれど、
ずっと皆と100人友達でいる必要はない。
例えば、全ての出会って読んできた本を全て好きな確率の方が絶対に低いだろう。
途中まで読んでやめた本だってある。10代のときに読んだ本を今読むと、その時に込み上げてきた感情を同じパートで感じられないことだってある。
あらゆるステージを迎えた時に、自分の心地よいと思えることに対して
社会の価値基準は批判してくるように感じるかもしれない。
それで寂しさを感じさせられることがあるかもしれない。
それは、偽の寂しさだから
友人との付き合いが少なくなることを恐れる必要なんてない。
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