文化の違いを超えるために

各国のコロナの状況がウェブメディアで報じられるとき
そこのコメント欄を見るのが好きだ。

そのコメント欄には割と好き勝手(率直)な意見や見解が書かれていて
読んでいると、なるほど自分の周りで付き合っている人の考えていることとは180度違うようなコメントを見れるから面白い。

最近では特に、インドでヒンズー教の祭典クンブメーラで5万人以上がガンジス川の沐浴に集まったせいで、コロナウィルスが爆発的に感染が広がったと言われている。その報道に対して、何故こんなときに対策もせず実施できるのか理解ができないというコメントが非常に多かった。

悲惨な酸素不足が報じられてる、だったらやらなきゃ良かったじゃないか。
この気持ちは、すごく分かる。
だって、他国であんなに死者が増え続けて弔うのにも一苦労している報道を見ていたとしたら、どうして人混みをわざわざ作るのか疑問を呈してしまう。

でもクンブメーラがヒンズー教が国教の彼らにとって、絶対のことである。ということを理解しないといけないと思う。
なんでも禁止することがいいことではないのではないかと感じた。

文化を超えて理解するためには、それを踏まえて何がベストなのか考えることだと思う。

例えば、農薬を散布するような機械で町中を消毒してから始めるとか
沐浴した後に簡易の抗菌シャワーを用意するとか、妥協点を探してあげれば良いのに。

何もしないで実施することは悪かった。だから今悲惨な状況になっている。

けれど、ではその先で何ができるのか、
理解することから始めて、何ができることなのか、できないことなのか
なんでも批判することから始まってしまったら、文化は超えられない。

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